【一日一問】その『悲しみの種』は私の中にある
みなさん、こんばんは。Grounding Lifeの長谷川由香です。
今日は子供の音楽集会でした。
こういうイベント、自分が子供の時にあったか覚えていないのですが、毎月『各学年の音楽発表』という日があり、朝8時25分という朝の会の時間を使い、参観があります。年に1回の機会なので必ず参観する、と自分で決めてこの5年間過ごしてきました。
今日はその帰り道にふと思ったこと、です。心の中にある『種』について。
心にも『癖』がある
参観が終わり、一生懸命に歌う子供たちの顔を思い返しながら帰宅していました。私は2020年からフリーランスとしての仕事をしているのでこういう時に慌てて帰り、すぐに会社に向かう、というようなことがなくなりました。
それだけでも、とても心が穏やかです。
さて、その道中、私はふとこんなことを思いました。
『この5年間、私この会は絶対に行ってあげようと必死に調整していたな。その帰り道っていつもなんだか寂しくなっていたけど、今日は違うな……』
上手く説明できないもどかしい感情も沸き起こりますが、
私は自分の心の癖として『参観に一人で行くと、猛烈に孤独感を感じる』というタイプでした。参観に来られる方はお母さんの方が圧倒的なのですが、そんな周りの『常識っぽいもの』に関係なく、
・一人でこの場に行き続けている自分は、同じタイミングで会社に入社し、出産以外同じ条件で働いているはずなのに、いつまでも『一人きりで子育て』している感じで寂しいなあ、不平等だよな
・そもそも子供の音楽集会についてスケジュールを把握する気なんて相手にはないのだろう(=家族に関心がないのだろう)から切ないなあ
とそういう感情にさいなまれやすく、その『自分の中で勝手に起こる孤独感』にとても苦しい思いをしてきました。
その『癖』は『心にある種』が引き起こす
この感情は何だろう。
どうしていつもこんな風に『悲しい』『寂しい』という感情が勝手に湧きおこってくるのだろう…いつまで続くんだろう…
コーチングでは『感情』は一つのエネルギーです。
このテーマとも何度も向き合ってきました。で、ある時ふと思ったのです。
『私、寂しいという種を心の中にもらってきてるんだな』
なんで、という明確な理由さえない。特別大きな出来事があったわけでもない。ただ、心の癖のようなもので『寂しい』という感情がすぐに湧き出てくる。小さいころからずっと。でもこれは私のエネルギーでもあるんだ、と。
寂しいから行動する。寂しくないほうへ自分を連れていく努力をする。そうやって必死に自分を鼓舞して生きてきたんだな、と。
心の種を徹底的に癒す
心に『寂しいという種』がある、と気が付いてから私がしたことは『徹底的に癒す』ということでした。例えばこういうようなことです。
・今、寂しい、猛烈に寂しい、と自分の感情を表現する
・それを自分が伝えたいと思った人に隠さず伝えて聴いてもらう(伝えたくない人には一切無理しない。それも自分への癒しだから)
・ずっと聞きたかった言葉を自分に言う(寂しかったね、可哀そうにね、いやだったよね、この世界で生きていく気力を何度もなくしたよね)
そうやって何度も何度も癒し、自分が願っていた優しさを自分で精一杯与えていったのです。私が願うものを私以上に提供できる人はいないのだから。
そうして寂しいという感情に向き合い切ったとき、ふと『あ、もう大丈夫』という瞬間が訪れたのです。
今日の設問
心の種に向き合わずにいると何が起きるか。
それは『どんな状況でも、誰といても、同じような感情が引き起こされる』ということです。
組み合わせを変えても『心の種』が変わらずにいると、同じ感情に囚われる。これが心の種の力です。だから、その囚われが苦しいなら、今この瞬間に『それ』と向き合うことが大切なのです。
今日はこんな問いが浮かびました。
あなたは、心にどんな『種』をもっていますか
今、目の前に見える景色。
その色を付けているのはあなたの中にある『種』かもしれません。
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