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本日の読書 #031 「言文一致体」

参考書籍:『つまずきやすい日本語』 飯間浩明

第二章  時間が理由で起こる「つまずき」 より

作成した読書記録より引用。


言文一致体。
これは明治時代に誕生したもので、簡単に言えば「書き言葉と話し言葉が一致している」ことを指す。

以前、日本語の誤用を指摘することについて書いた。

ではそもそも誤用の指摘はいつからあるのかと考えたとき、一つの節目となるのがこの「言文一致体の普及」だ。


今でこそ書き言葉と話し言葉が一致しているなんてのは当たり前だが、明治時代より前は「口語体」と「文語体」に分かれていた。

以下は与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』で、文語体である。

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

これは話し言葉には無い表現方法だ。

その後、明治時代に二葉亭四迷や夏目漱石が「言文一致体」への移行を進め、日本語は「話せる人なら、読める」という新たな世界観を築いた。

するとどうなったか。

それまでは「口語が崩れても、伝統的な文語が崩れていなければ良い」という考え方だったのが、「口語が崩れることは、日本語が崩れるのと同義だ」になってしまった。

結果、多くの人が「その日本語の使い方は間違っている」と他者を批判するようになった。



現に私も、昔から「そういう」を「そうゆう」と表記する昨今の風潮に対して抵抗があり、苦々しく感じていた。

ただ一回り下の世代と一緒に仕事をする機会があり、「秒で(すぐに、の意)」とか「あーね(あーなるほどね、の意)」といった言葉を教えてもらうと、面白さも感じた。

若者の言葉の揺れ(と自分が感じるもの)に対して、指摘するのではなく、むしろ興味を持つこと。

もっと言えば、自分が死ぬまでに日本語がどれだけ変わるのか、といった楽しみ方をしてみること。

そう考えを改めることが出来たのは、本書を読んだ収穫であるといえる。

#本日の読書
#つまずきやすい日本語
#飯間浩明

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