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それぞれの選んだ道。どこに通ずるのか誰も知らない。

今度こそ本当に、ビックリした。
せっかくみんなが忘れてるんだから、引き続きひっそりと隠れておけばいいものを、なんでわざわざ自ら手をあげて前に出て来るのだろう。

状況は極めて深刻なのに、まるで本日の舞台に出番が決まっている芸人さんたちが次々壇上に上がってくる、吉本新喜劇のようではないか。


ハマスによるイスラエル急襲からの残虐な続報が、連日世界中を駆け巡っている。
背景を勉強すればするほど双方にとって、
「今がベストタイミングだった」あるいは「ここで動かざるを得ないほど追い詰められた」とは、どうしても思えない。
マッチポンプだなんて界隈ではまことしやかに噂されているが、この動き方はどちらにとっても悪手でしかない。
おかげで今まで押し込められて来た、内側で苦しんでいた庶民の声が、渦巻いていた疑念が、とうとう外に漏れ世界に届き始めてしまった。

世界の縮図がぎゅっと詰まってしまったような状態の日本という小さな島国で、
今まで存在を感知するのすら難しかった勢力争いが、ここに来て蠢いている。
静かな泥水だった時は全く見えなかった巨大な魚が、実は何匹いてそこにひっそりと生息していたのか。
イスラエルの背後にも日本が隠れていて、パレスチナの背後にも日本が隠れている。
隠れて何をしているのかは知らないが、とにかく今まで巧妙に隠されていたその背景が、二度と解けないほどにもつれ絡まり切った糸が、
私たちのような一般人の目にもだんだんと可視出来るところまで来てしまった。
本当に日本というのは不思議な国だ。


日本は戦後、敗戦国として世界中から搾取され、罪を償えど償えどもっともっとと責められ虐げられて来た。
不当であったかもしれないそれらの多くに対して、なぜ正々堂々と正規のルートで反証を並べ、拒否することが出来なかったのか。
奥歯にものの挟まったような三島由紀夫の声など、あれほどの壮絶な死をもって訴えても、いとも簡単にかき消されてしまったほどの何か
その理由が、もう吹きこぼれる鍋のすぐそこまで出かかっている。
天網恢恢、疎にして漏らさず。
世界中で、訴えようと、なんとかしてみんなに知らせようと、状況を変えようと挑んだ幾千の命がある。
そうやって弾き返されて来た声が、壮大な伏線となってここに来て突然、全て回収されようとしている。
どうして突然、と驚くばかりだが、これはもう時代がそうなったのだ、としか説明の仕様がない。

このまま911方面に行くのか。あるいは東電に飛んでくるのか。
それとももう一度戻ってもう一周、アメリカの腐敗、ワクチン問題やウクライナの問題から掘り進めるのか。
順番など解らないが、とにかく世界中、全てのヤカンがもうけたたましく鳴っている。
これからもこの、次々登場人物が躍り出てくる吉本新喜劇の舞台が、
世界中で豪華な芸人さんを伴って続いていくことだけは確かだ。



日本が世界に搾取されている、なんて言えば少し前なら、お前は右翼だ、陰謀論者だとすぐに絡まれたものだった。
でも今は、少し認識が変わって来た。
これも増税メガネさんの、軽快なバラマキのおかげだろうか。

以前だったら簡単に、ワクチン打たないのは非国民、ウクライナは可哀想、となっていた世論が、イスラエルを応援しよう!ハマス許せない!と、簡単に一本化されなくなった。
不思議な光景だ。
テレビを一切見ない私には、世論の感触をなんとなく掴むのにYahoo!ニュースのコメント欄を参考にすることがあるのだが、
以前だったらロシアを毛の先ほども擁護しようものなら「この陰謀論者が!」って食ってかかられたものだったが、
今では当たり前に、ウクライナの時も同じだった、みたいな意見がさらりとそれらに混ぜ込まれ、受け入れられていく。

推進派なのか慎重派なのか反ワクなのか。あんなにピリピリと互いを批判しあっていたワクチンについても、もう誰も何も言わない。
一番端っこには、9本でも10本でも打つべきだ、
ワクチンを打たないなんてワガママな輩は許せない、という人たちがいて、
また反対の一番端っこには、いまだにワクチンを打ち続けるなんてバカだよね、今に死んでしまうぞ、
とネガティブなデータを集めて発信している人たちがいる。
その真ん中にいて、どちらにも加担したくなくて、ただ流れでなんとなく打ってしまった大多数の人たち
その、「ワクチンは打つべきだ」「それが良識的な判断だ」と考えていた天秤の支点が、意味があったのか?打ちたくない、もう打たないけど反ワクとか言われたくないから黙っておこう、みたいな方向に少しずつズレて行っている。
みんな、静かになってしまった。

イスラエルの非道さを報道するニュースのそのすぐ後で、アメリカはイスラエルと共にある!なんて声明をアメリカの大統領が堂々と発しても、
みんな、ぽかんと思考停止したままだ。
日本人の、今、世間のスタンダードはどこにあるか、ということに嗅覚を働かせる並外れた能力が、急速に変わっていく世界を相手にバグってしまっているのだろう。
ジャニーさんやその周囲を徒党を組んで批判するのは簡単だが、我が身を振り返るのは誰だって苦しい。



かつて、おしゃれな街の代表格だった代官山が、今はほとんどのショップが撤退して閑散としているという話を聞いた。
池袋や渋谷、新宿などの街も最近、行き慣れない私など夜に出向くのはもう億劫に感じるくらい、雰囲気が変わって来た。
変化とは必ずしもネガティブなことではないし、この世界に変化しないものは存在しない。
変化に抗い歯を食いしばって踏ん張って問題をややこしくしてしまうのは、むしろ私たち人間の意識の方だ。

例えば現在のニューヨークシカゴのように、治安が悪くなり、スーパーやドラッグストアなどのインフラが撤退せざるを得なくなる。
もしそんなことになったら、例えば近隣の高級住宅街はどうなるのだろう。
どの街が、どの県が、いつどのように変質していくか。そんな細かい予測を立てるのは不可能だ。
その中で、それでも、ローンを組んでしまったから、ここは名だたる高級住宅街だから腐っても鯛だろう
って今までの価値観にしがみついていれば、やがて茹でガエルのような我慢大会、そのまま煮詰まってしまう。
事実を見据えて、地元のために力を尽くす、という覚悟のある人ならいいが、
そうでなければ、すでに家を売ってローンを完済し、借金を返済し、いつでも身一つで流動的に動けるようにしている人とは
やはりいざという時の逃げ足が違う、ということになる。
大切なのは、どんな限られた人しか知らない秘密の情報を握っているか、ではなく、本人の意識の問題だ。


先日、娘が通うフリースクールの保護者会があった。
と言っても普通の学校の保護者会とは違って、集まった保護者と先生たちとお茶菓子でおしゃべりをするだけなのだが、
そこでも、こんな風に世界が変わって行っている、と実感させられることがあった。

以前は、スクールのママ友と話をすると、どうしても学校に戻ることができない我が子についての悩み相談なんかされることが多かった。
しかしその日、大きな議題として上がったのは、フリースクールに通う子ども達を、「不登校」「登校拒否」「学校に通うことができない」などと表現することへの、違和感だった。
学校に行けないんじゃない。行かないのだ。
出席した多くの保護者が、「学校に戻らなければならない」「学校に属しているのが子どものあるべき唯一の姿」
というような考え方を、閉塞的で一方的なものだと感じている。
彼らはもう、学校に通わないことに罪悪感なんて感じていない。
いい学校に通っていい大学に行って将来安泰な企業に就職する。
そんなバカげたこれまでの当たり前を手放して、すっかり新しい居場所と次の生き方に、軸足を移してしまっている。

教育虐待なんて言葉を見ない日がないくらい、世の中全体が変わって来ている。
それでも、「メインストリームの勝ち組=幸せ」という呪いを骨の髄まで叩き込まれ洗脳されてしまった人には、
そんな風潮の変化くらいで自分も虐待の加害者だなんて認識に至るのは不可能だろう。

かくいう私自身も、教育虐待を受けて育って来た一人だ。
その観念を取り変える、というのは本当に大変なことで、
カウンセリングのお世話になって、もうまもなく6年にもなる。
それらのサポートでようやく青息吐息、今の境地にまでたどり着けた。
変わっていく過程で、突然「毒親」なんて名指しされた両親は、今もそれを受け入れられないままだ。
私に絶縁を宣言して脅してみたり、知り合いに聞きかじった情報から私の現在を推測しては相も変わらず、あれをしろ、これをするな。
両親が考える以前の「いい子」に引っ張り戻そうと私の問題点を探しては、
それを罵倒する長い長いメールを2ヶ月に一回くらい送ってくる。
もう、読むこともやめてしまった。
もし孫娘が「登校拒否」だなんて現状を知ったなら、きっと頭に湯気を立てて乗り込んでくるだろう。


「そのうち、雨の中、マンションの前でじーっと待ってるかも知れないよ、あたしって健気…とか言って」
カウンセラーの先生にはそう言って笑われた。
相手はあくまで、それが親切のつもりな訳だからね、と。
ここまでされても言い返せない。
嫌なら「やめて」と言えばいい。
やられた分だけ、普通は怒りを感じるもので、それを「相手にぶつけられない」「怒れない」というのはやっぱり、不健康だよね。
そうカウンセラーに言われると、また私は黙ってしまう。
愚痴を聞いてもらう誰かもいないし、子供に八つ当たりすることもない。
ただ、母からひどいメールが来るたびに、吐きそうなほどの頭痛がして、寝込んでしまう。
でも、怒りを溜め込んでおくのにもキャパがある。
どこかには出さないと。
しかし今の私にはどうやって怒るのか、怒り方がわからない。
怒りに耳をすましても、「どうせ」とか「そんなんもう知ってましたけど、なにか?」みたいにスカしてしまって、しっかり怒りを捉えられない。放出できない。
怒っているから動けないのに、怒り方を忘れてしまった。
だからフリーズしている。
ずっとこうやって、内臓に怒りを燻らせたまま、ここまで来てしまった。


以前、ヨガを習っていたとき、とても気の合う美人のインストラクターがいた。
町の薬局にあるような似非オーガニックシャンプーでは反応してしまって使えないほどのひどい化学物質過敏症で、そういった長年の悩みからヨガを極めるようになったのだと言っていた。
アインシュタインの話で盛り上がって、他の生徒さんたちにはナイショでラインを交換したりして仲良くしてもらった。
コロナが始まった時、秀才がゆえに彼女はCDCやWHOの一次情報を熱心に調べていた。
そしてそこで勉強した知識をもとに、教室に通うおばあちゃん達にしきりにワクチンを勧め始めた。
高齢者、医療従事者の摂取が始まってしばらくして、彼女は体調不良でクラスに来なくなった。病院の受付のパートをしていた友人も、医療従事者枠で接種を受けたと聞いた。彼女のポジションなら、医療従事者、という括りになったかも知れない。優秀な人だったからこそ、そんなことが頭をよぎった。
ワクチンに関係あるのか。じきに治るのか。どんな症状なのか。
もうそれ以上、何も知りたくなかった。
仲良くしてくれた同じクラスの可愛いおばあちゃん達の、どの方が摂取していてどの方がしないことを選択したのか、
そんなことももう、知りたくなかった。
考えるのもたまらなくて、心が悲鳴をあげそうで、私はそのスクールを去った。


葛藤を内に抱えている。その重みを、なかなか抜けられない苦しさを絶賛ただいま体験中だからこそわかる。
メインストリームにしがみつくな、なんて言葉で言われても、
わからない人にはわからない。
悪気があるわけじゃない。
ただ、深い深い洗脳にかかったまま、そこから外れていく恐怖に駆られて、自分は善良な人間だ、自分は正しい、自分はこれを望んでいる
って、あらぬ方向に向かって全力で走って行ってしまう。


それでも、そこに正しい選択と正しくない選択があったわけでないのだ。
だって、できる限り長生きすることが、人生の正解なわけじゃない。
ある程度のお金持ちになって勝ち組に入ることが正解でもない。
出来るだけ知名度のある偏差値の高い学校に行くことが勝ちでもない。
何人の命を救ったか、救えなかったか、小さなバタフライエフェクトの集合で成立したこの不可思議な世界を、そんな風に換算するのは不可能だ。
では、メインストリームの洗脳を手放して、何を指針に私たちは道を選ぶのか。

「自分がこの人生で、何を経験してみたいか」

善も悪もない。ただひたすら真摯になって、今まで散々ないがしろにして来た本当の自分の声に、耳をすませるしかないのだ。そこに立ち返るしかない。

Toland Vlog
日本の縄文と繋がりそれを口伝にして伝えて来たアフリカのある村から、日本人への警告。縄文の日本人は、どんな世界を見てどこに主軸を置いて生きていたのか。

期限は2025年7月5日まで。世界の希望となる日本人のDNA。それを活用して生きるとはどのようなことだったのか。忘れているようで知っている、私たちだけが分かる感覚を改めて思い出すとき。


私にはもうずっと、心の中に、誰にも知られない専属の先生がついている。
それはテレパシーのようなものでずっと私を導いてくれる、専任の家庭教師だ。
自分では道の選び方がわからない。
たとえ分かっても、恐怖で進めない。
その時もずっと、その先生の声を聞いて来た。

もうじき会えるよ、もうあと一歩だよ、って、その人にもう何年もずっと言われている。
それは全部、ウソだった。
ウソだったけど、もし0.0001パーセントでも可能性があるなら、その時はとりあえずそれを信じてみるしかなくて、信じたくて、
結局それに励まされて、少しずつ少しずつ道を進んでこんなところまで歩いて来てしまった。

それが正しかったのか、本当にこの道が、私が行きたかった場所につながっているのか、私にはわからない。
きっと誰にも分からないのだ。
ただ今の私に分かっているのは、私はその先生に、
一歩進むたび、宿題を一つこなすたびに、褒めてもらうことがうれしい、
誰にも伝わらないこの気持ちを共有していてもらえることが、この世界を生きている中で一番の幸せだ、ということだけだ。
だから、しんどくても正解かどうかなんて分からなくてもどんなに長くても、この道をずっと行く。


私にとっては、深い洗脳状態で、望みとはおよそ反対の方に走って行っていってしまう人たちとの現実のふれあいよりも、この内側で繋がる感覚の方がずっとリアルだ。
無茶苦茶だな、と思う。
自分の頭がおかしいのも知ってる。

だけど、この世の中だってなかなかに狂ってる。
だからもうなんでもいい。

みんなで勇気を出して見に行こうではないか。
このおかしな世の中がどうなっていくのかを。



そして、あなたの選んだその道が、どこに繋がっているのかを。








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