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#019「GreenLushの心の根」政治でしか変えられないものがある。その2 愛の反対は憎しみではなく、無関心である。

みなさん、こんにちは。
いつもブログを見てくださり、ありがとうございます。

愛の反対は憎しみではなく、無関心である。~マザーテレサ~

これはマザーテレサの言葉です。

私は日本という国に対してハッキリ言って大いに誇りを持っています。

それは『その1』の冒頭で申し上げた通り、キチンと歴史を知ったからです。

私が知るかつてのこの国には、勇気と強さがあり、他者を思う慈愛に満ち、自らを戒め道義を重んじ、賢く謙虚で、民の幸福が溢れ零れる事もなく、また足りない事もない、そういった大調和があったと思います。

この強く、美しい国を取り戻して、更により良い形で子供や孫に引き継ぎたいと本気で思っている人間です。

しかし、そう思えるのも「相対として」の日本に誇りを持っている訳で「今現在」の日本に対しては正直言ってまったく誇りを持てません。

例えば、平和憲法という偽善と欺瞞で勇気と強さを否定あるいは放棄し、国民同士のルサンチマンを掻き立て分断を煽り、イマと自分だけ良ければそれで良く、不学で軽薄な事を悟られまいと如何にも秀才かのように傲慢に振る舞い、欲は更なる欲を生み足りないものばかり、不調和でギスギスしている世の中だと思う事が多々あります。

これが我が国の現状であるとすると、私はこのような日本にはまったく誇りを持てません。

従って愛国的であると同時に非常に反日です。

『その1』の冒頭で申し上げた通り「なんとなくの違和感」を感じている原因は、国民ひとりひとりの自国に対する無関心が引き起こした帰結なのでしょうか?

自国に関心がないから、社会問題にも関心が向かず、政治にも関心が向かない。それでは当然、自国に誇りなんて持てるはずがありません。そもそも無関心であるならその動機がない。

マザーテレサは「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」と言いました。

また、1960年~70年代のイギリスにおいて、「イギリス病」という社会問題が浮き彫りなった際、その原因の経済政策の失敗のみならず、多くの若者が自国に誇りを持てなくなった自虐教育が原因であったとも言われています。

言っちゃ悪いですが、客観的に見てかつての大英帝国の世界侵略はとても美化できません。

しかし、それでも将来を担う自国の若者に対し、行き過ぎた左傾教育をした結果、自国に誇りを持てない若者の増加が社会を低迷させてしまうと言うことをイギリスが証明してくれています。

これを教訓として日本も大いに見習うべきだと思うのですが・・・

ですので、まずは関心を持つことです。興味を抱く事です。そうすればきっと誇りを持てることに繋がります。すべてはそこから始まります。

そこでひとつ参考までに。

まずは、恐らく多くの方が誤解していると思われる日本の近代史から見直してみる事をおススメします。

手前味噌で恐縮ですが、下記のブログは私が今年2023年の終戦の日に書いたものです。日本の近代史の流れをざっくりコンパクトに書いています。

徐々に”正しい歴史認識”が広まりつつある昨今ですが、いまだ教科書の内容や一般メディアが主流である世の中においては、『なるほど、そうだったのか』と思っていただける内容になっているかと思います。


これが皆様の『気づき』や『関心事』のきっかけ、一助になれば幸いです。

今日はここまでです。

最後までお読み下さり、ありがとうございました。


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