#017「GreenLushの心の根」8月15日 78年目の終戦の日にあたって思う事
今日は78年目の終戦の日です。
先の大戦でお亡くなりになられた全ての方々に心から哀悼の誠を表します。
例年この日は東京九段下の靖国神社へ参拝をしているのですが、今年は台風7号の影響を鑑み靖国神社への参拝は取り止めて、雨の合間を見ながら地元山梨県の護国神社を参拝しました。
さて、今日は終戦の日という事で改めて大東亜戦争について私の思う事をつらつらと書いてみたいと思います。
大東亜戦争を一言で表現すると
まず始めに、私は先の戦争「大東亜戦争」を一言で表現する場合、次のようになると考えています。
「戦わざるを得なかった戦争。」
それが大東亜戦争だと思います。
しかしながら、この「戦わざるを得なかった」という言葉の修飾語には様々なものがあると考えます。
『日本の自存自衛の為に』「戦わざるを得なかった」
『同胞への迫害、残虐行為から守る為に』「戦わざるを得なかった」
『人種平等の実現の為に』「戦わざるを得なかった」
『東亜の開放の為に』「戦わざるを得なかった」
『大衆世論、空気の支配によって』「戦わざるを得なかった」
『国内政治、軍部指揮統制の乱れから』「戦わざるを得なかった」
『外国勢力の謀略によって』「戦わざるを得なかった」
どれもそれなりの理由、原因として位置づけられ、複雑に絡み合った結果として「戦わざるを得なかった戦争」だったと考えています。
よく歴史に「if」はないと言われますが「もし戦わなかったら?」と言う問いに対する答えは至極簡単で「植民地になって国民が殺され国家が消滅していた」というだけです。
すなわちこの戦争は「日本史の必然」であったと言う風に解釈しています。
その理由を順に述べていきます。
白人世界支配秩序の波に揉まれた日本
1853年、ペリー率いるアメリカ太平洋艦隊が来航。いわゆる黒船来航です。
苛烈で残酷な白人世界支配秩序の波がついに極東アジアの日本まで及んで来ました。
これまで”鎖国”という、軍事力を背景に外国との貿易・情報量を制御する”外交手法”によって白人列強の侵略行為から必死に国を守ってきた幕府も、産業革命による西洋の近代化によって、軍事力を始めとした国力の圧倒的な差を見せつけられ、とうとう開国せざるを得なくなります。
更に遡る事1415年、いわゆる大航海時代の幕開け以後、スペイン、ポルトガルを中心とした白人列強は、地球をケーキを切り分けるが如く、勝手に他国を征服し植民地とし始めました。そこに住民がいるにも関わらず、です。
その後1764年、イギリスの産業革命を期にその勢いは加速。アフリカは勝手に分割され、インド、東南アジアと続き、その手はついに東アジアに及び、地球上あらゆる非白人地域が次々と植民地となります。
当時東アジアの大国であった清国はイギリスとの貿易で阿片を買わされ、それが国中に蔓延。依存症になる国民が増える事に危機感を抱き貿易量の削減を迫るとイギリスが憤慨。戦争を仕掛け香港を割譲させると言う、有名な「阿片戦争」です。
その様子を吉田松陰先生を始め、後の偉人とされる当時の知識人、指導者も目の当たりにし、白人列強の愚劣で凶暴な侵略行為に対して国家滅亡の危機感を抱いたと言われています。
しかしながらここで我が国の誇るべき点は、元より信長公、秀吉公、家康公の時代より、スペイン、ポルトガルから端を発した”白人のやり方”を熟知していたという点です。
故に、当時世界最強と言われるほどに軍事力を強化した上で、鎖国という外交手法を取り入れ、貿易・情報量を制御する事でそういった侵略行為から国を守って下さいました。更に宣教師による思想改造や諜報行為も統制し、国内の乱れや分断を煽る”白人のやり方”を理解した上で、”そうはさせない!”といった極めて優れた政治を行っていました。
※信長公、秀吉公、家康公が日本史上最大級の傑物であると思いますが、このような本質的な偉大さは教科書では教えてくれません。逆に信長公の残虐性、秀吉公の宗教弾圧、家康公の排他的な鎖国政策、といった形に歪曲化して教えてくれますが・・・やれやれ。
我々の先人達は外国の情勢を的確に捉え、国家の行く末を案じ、国策を講じてくれました。
その後の明治近代化を経て富国強兵を推し進め、苦心惨憺、粒粒辛苦して、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州の権益獲得を経て、(日本の本来の伝統的価値観とは異なる自己矛盾を抱えながらにせよ、)ようやく当時の世界線で言う所の「一等国」としての地位を身につける事が出来ました。
この歴史的経緯自体は9割9分否定する事ができないと思います。
日本の本来の伝統的価値観と矛盾せざるを得ないとは言え、当時の価値観で当時のルールに従わざるを得ない状況において、必死になってたどり着いた地位です。※この辺りの先人達の苦悩をまず理解する必要があると思います。
仮にそうでなければ植民地になって国民の半分が虐殺されるか奴隷になるかのどちらです。残酷ですがそれは当時の世界の歴史が裏付けています。
ところがです。
日本が一等国になって、”列強各国はそれぞれの権益を維持しつつ仲良くやっていきましょう”、と、世界はそう単純ではないというのがその後の日本を更に苦しめる原因となります。
パワーゲームを仕切る側の白人列強の立場から見れば、当時の日本はこれまで彼らが見てきた他の有色人種とは他に全く例を見ない特異な存在であったと言うべきでしょう。
”有色人種ながら我々白人の支配に屈せず自国で軍事力を身につけ、存立を保とうとするのみならず、我々列強と肩を並べようとしている。”
これは当時の人種差別的価値観が一般的であった白人列強の立場から見れば明らかに警戒感、嫌悪感を抱かざるを得なかったでしょう。
その結果として日本に対して明らかに不平等、あるいは非常識な外交、移民迫害、貿易制限等の封じ込め、禁輸措置、軍縮等の、端的に言って”いやがらせ※”としか思えない行為が続きました。
その結果、とうとう耐えかねた日本が世界を敵に回してでも自国の存続をかけてついに戦端を開いた。
大東亜戦争とはそのような諸々の帰結としての戦争であったと思います。
※彼らはいつもそうです。彼らのルールの中でルールに従って行動していたにも関わらず、気に食わないのがのし上がって来ると豹変して一方的に糾弾し叩き潰してくる。もしくは即座にゲームチェンジを図り、それ以前のルールに従っていた事を道徳的に徹底的に非難してくる・・・80年代の日本の製造業界の隆盛、優秀すぎる日本の自動車、EV脱炭素の流れ、狭い所で言うとオリンピックのルール変更とか、そんなのばっかりです・・・
保守の皆さん、あなたたちは胸が苦しくならないのか?
今なお、ロシアとウクライナとの間で紛争が継続しています。
2022年2月24日にロシアがウクライナを侵攻した事で表面化したウクライナ紛争ですが、今もう一度真正面から問うてみたいと思います。
なぜプーチン大統領はウクライナに対して特別軍事作戦を決行したのでしょうか?
「国際秩序を乱しロシアがウクライナに侵攻した、ロシアは国際法を無視しとんでもない国だ!」
「自由と民主主義の国ウクライナは侵略と独裁のロシアに負けるはずがない!」
このように、ロシアのウクライナ侵攻によって国際社会からすさまじい反発と制裁、批判がある事は彼は十二分に承知していたはずです。
のみならず、ウクライナ及び支援するNATO(アメリカ)との衝突によって自国も大いに疲弊する危険性がある。
にもかかわらずプーチン大統領は特別軍事作戦を決行しました。彼は単に領土的野心の実現や軍事力を行使して他国を痛めつけたかっただけでしょうか?
『世界を敵に回してでもやらざるを得ない』
その理由がそこにはあったはずです。
終戦の日に合わせて我々の歴史とも重ね合わせて考えた場合、単に1941年12月8日の真珠湾攻撃のみを切り取ってみては歴史の流れが掴めないのと同じように、2022年2月24日のロシアのウクライナ侵攻という事象のみを切り取ってみては"歴史の本質"が掴めないと思います。
ソ連崩壊後、エリツィン大統領の元ロシア経済が疲弊しきっていた当時、NATOを1インチも東方に拡大しないという約束を反故にされ、どんどん東進してきます。
周辺の緩衝国も減少しついにミンスク合意も破棄。2014年にはアメリカの介入主義者達の手引きによって当時の新露派ウクライナ大統領であるヤヌコビッチ大統領をマイダン革命という名の軍事クーデターで失脚させ親米政権に据え変えます。
東部ロシア系住民への度重なる迫害行為。怪しい生物化学研究所も隣接している状態。ついにウクライナ自身もNATOに加盟する勢い。
度重なる交渉や合意も反故にされ、耐えに耐えかねたロシアはついに「特別軍事作戦※」と位置付けてウクライナに攻め入りました。
※ロシア系住民の保護とウクライナの極右政党の解体、非軍事化がその目的で、別にウクライナ全土を占領する目的ではない為、戦線布告ではなく、特別軍事作戦と言われます。
日本の左翼はもうどうでもいいですが、ロシアを批判する日本の保守の皆さん、約80年前の我が国の状況と少しだけ重なり合う部分があるとは思わないですか?
戦わざるを得ない状況になって仕方がなく戦端を開いた当時の日本の状況を理解している(はずの)、日本のいわゆる保守的なメディア、言論人、ジャーナリスト、政治家が、なぜ今回の件で皆一様にロシアを批判しているのか、私には矛盾しているようにしか思えません。
普段、日本の開戦を正当化している(少なくとも”仕方がなかった”と言っている)人達は現代ロシアの切羽詰まった状況を見て胸の痛みを感じないのでしょうか?
自分達が”名誉連合国民”みたいになったつもりで高みからロシアを批判するの止めませんか?
日本は属国である事を理解するべき
このように多くの日本人や保守と言われる人達までもが他者感覚を持ち合わせる事ができなくなっているのも戦後の枠組みの実例であると思います。
例えば、前回も少し触れましたがアメリカ擁護派、ロシア批判派の論理としては、
・そもそも戦前の大日本帝国は間違っていた。
・間違った大日本帝国はアジア侵略を企てた。
・その間違った日本をアメリカが犠牲を払って正気に戻してくれた。
・その過程でのアメリカの戦争犯罪は正当性がある。故に東京大空襲、原爆投下も致し方がなかった。
・その多大な犠牲のおかげで今があり、日米同盟がある。
・現にアメリカが日本を守ってくれているのでアメリカに逆らう事は不義理である。
・だから未だに侵略行為をして世界秩序を乱すロシア帝国は正気の沙汰ではない。
・現に北方領土を未だに返還しないプーチン大統領は間違っている。
と、こうなります。
皆さん、これどう思われますか?
とんでもないマゾヒズム、隷従思想、植民地精神、属国根性だと思いませんか?
終戦の日にこんな事を言いたくありませんが、日本はサンフランシスコ平和条約以後も、一貫して独立主権国として成り得ていません。形式的には独立主権国ですが、そもそも自国の防衛を他国に依存し、外国軍が未だに占領している状態のみを取ってみても独立国とは言えません。
アメリカは日米地位協定に基づきその気になれば日本のどこにでも基地を持てます。横田空域と言う日本国が日本の領空を飛べない奇妙な状況が続いていますし、日米合同委員会なるものによってアメリカが日本の政策に干渉してきます。(と言うか命令?)
これが属国ではなくて何が属国なのか、教えてもらいたいです。
とにかく1945年8月15日に敗戦の形式を受け入れ、約7年の軍事占領期間を経て、それでも尚、日本はアメリカの占領下にあると言う事を我々な理解する必要があります。
最後になりますが、終戦の日に改めて強調したい事は、日本は真の独立主権国になる為にいち早く『自衛核武装』を果たす必要があると思います。
しかし、それは非常に困難で胆力のいる道のりです。先に述べた属国である日本がそれを実現する為には様々な強大な頸木を打ち砕くしかありません。
その原因、今後、具体的にどのようにすれば良いかはまた別の機会に。
今日はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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