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【Creative Journey】薗田綾子さん(前編)生きづらさを抱える人がいない社会へ

戦略クリエイティブファーム「GREAT WORKS TOKYO」の山下紘雅による対談連載企画。さまざまな分野のプロフェッショナルの方との、クリエイティブな思考の「旅」を楽しむようなトークを通して、予測不能かつ正解もない現代=「あいまいな世界」を進むためのヒントを探っていきます。

本企画3人目のゲストには、株式会社クレアンの創業者で代表取締役会長の薗田綾子さんをお迎えしました。企業のサステナビリティ推進を支援し、SDGs啓発の第一人者である薗田さんは、同じく企業のビジョン策定や情報開示の制作物を手掛ける山下にとって尊敬する存在ですが、交流があるのはプライベートにおいて。対談ではまず、薗田さんのお仕事やご経歴からお話を伺っていきました。

2人の出会いの場である「合気道 麻布道場」の畳の上で行われたトークは、サステナビリティと合気道の精神の共通性から、「人や社会にとって“満たされている”とは、どんな状態なのか?」という問いへと発展していきます。普段通りの飾らない言葉で交わされた対話を、その場の雰囲気そのままにお届けします。

プロフィール

薗田綾子(そのだ・あやこ)さん
1963年生まれ、兵庫県西宮市出身。甲南大学文学部社会学科卒業。広告代理店や株式会社リクルートを経て、1988年に女性を中心にしたマーケティング会社クレアンを設立。1995年からサステナビリティビジネスをスタートし、これまでに延べ800冊以上にのぼる環境報告書や統合報告書などの企画制作を支援している。2015年以降は、SDGsに関するコンサルティングも展開。現在、三菱地所株式会社 社外取締役、株式会社ロッテ 社外取締役。公益財団法人みらいRITA代表理事、NPO法人サステナビリティ日本フォーラム理事、内閣府地方創生SDGs官民連携プラットフォーム幹事など多数の役職を兼任する。

山下紘雅(やました・ひろまさ)
1982年生まれ、東京都出身。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了後、デロイト トーマツ コンサルティング株式会社に就職。2012年、住所不定無職で1年間の世界一周旅行へ。スタートアップ参画を経て、2015年に「ビジネスの世界に、もっと編集力を」との想いから、株式会社ペントノートを設立。2020年、グレートワークス株式会社取締役社長に就任。ロジックとクリエイティブのジャンプを繰り返す“戦略的着想”を提唱し、クライアントが抱えるさまざまな課題解決をサポートしている。


偉大な先輩、そして同門

山下 今度ご一緒する奄美大島への旅、私も息子も今からワクワクしています。

薗田 美しいサンゴ礁でシュノーケリングをして、クルージングをして、そしてユタ(巫女)さんにも会って。3泊4日、フルスケジュールですね。

山下 この道場で初めてお会いした時には、まさか旅行をご一緒するとは思わなかったです。

薗田 山下さんがこの道場に来られるようになったのは……。

山下 コロナ禍に身体が動かしたくて息子と一緒に始めたので、3年前ですね。すごく優しくて明るい方がいるなあと思ったら、名前が「薗田綾子」って。クレアンの冨田社長とはお仕事でご一緒したことがあったので、「もしかしてあの薗田さん?!」と、恐る恐るお声掛けしました。

薗田 基本的に道場では、ほとんど仕事の話はしませんからね。

山下 私も仕事中とはぜんぜん違うモードで来ていますしね。薗田さんが合気道を始められたのは、いつからですか?

薗田 2016年末ですね。行きつけの沖縄料理屋で知り合った方々に誘われていたんですけれど、なかなか始めるきっかけがつかめなくて。そんな時に、出張先の金沢で偶然訪れた「鈴木大拙館」という施設で、禅の体験をしたんです。

山下 鈴木大拙というと、禅の思想を世界に広めた仏教学者ですよね。

薗田 そうです。その方を顕彰するミュージアムで禅の世界を体験してみたのですが、その時は仕事のことで頭がいっぱいの状態で、全然だめで(笑)。でもだからこそ禅がめざす「空(くう)になる」というのがどういうことかもっと知りたくなり、「動く禅」と言われている合気道の門を叩いた、という流れですね。

山下 そこから今や黒帯ですからね。私はなかなか稽古に行けず、まだ白帯なので、合気道を語る資格はないんですが……。

薗田 初段までは型を覚えれば取れちゃいますから。でも、合気道を続けるうちに、サステナビリティと禅の精神が通じていることは分かってきました。「空になる」っていうのは、空虚になる、からっぽになるということではなくて、満ち足りて我欲を捨てて、自然をはじめとするすべてと調和した状態。誰もがそうやって世界とのつながりを感じられて穏やかに満ち足りる状態が、サステナビリティのゴールなのかなと考えたりもします。

山下 今日の対談のテーマにしたいと思っていたことが、すでに今までのお話にぜんぶ含まれています。数多くの企業の情報開示のためのレポート制作を通して向き合ってこられたサステナビリティのこと、そして深い見識をお持ちの精神世界のことをお話ししたかったんです。

薗田 なるほど。私、ざっくばらんに話すタイプですけれど、大丈夫ですか?

山下 むしろ、固くならない方がありがたいです。なので、今日もいつも通り「綾子さん」と呼ばせてください。

薗田 「綾ちゃん」でもいいですよ(笑)。

道を拓く鍵はセレンディピティとバイタリティ

山下 精神世界といえば、この本を読ませていただきました。綾子さんが「薗田綾」名義でネイティブアメリカンの思想についてお書きになった、『プレアデスの知恵』。

薗田 ありがとうございます。それは1995年の出版なので、もうかなり昔で30年前の本ですね。

山下 出版当時は、クレアンが主に女性誌の企画・編集などをしていた頃ですね。

薗田 はい。企画段階では出版社から「別の著名な先生の名前で出しませんか」という意見があったんですよ。私はいわゆるゴーストライター。でも、実際に原稿ができて、著者候補の方に会ってみたら、「僕の書きたいこととは違うから、薗田さんが自分で出したら?」という話になって、編集者の方をご紹介いただいたんです。実は、クレアンが企業の環境報告書を手掛ける道が拓けたのも、この本がきっかけでした。

山下 それは初耳です。道が拓けていく経緯って、どういうものだったんですか?

薗田 当時、環境意識を高めるために新しいメディアがつくれないかと考えていて、NECに知り合いがいたのでインターネットマガジンの提案を持ち込んだんです。その時の決裁者の部長さんが、たまたまこの本を読んでくれていて。「薗田さんなら」と企画を採用してもらい、1997年に始まったのが「エコロジーシンフォニー」でした。今で言うオウンドメディアです。しかも、ご縁はそこで終わらなくて、パナソニックの方が「エコロジーシンフォニー」を読んでいたことをきっかけに、パナソニックで講演を依頼され、その後に環境報告書の制作支援をすることになり、それが2000年度の環境庁長官賞をいただいたんです。うん、本当に今の私はセレンディピティ(偶然の幸運)の連続の結果ですね。

山下 とはいえ、巡り合わせだけでは仕事は得られませんよね。それまで環境報告書の制作支援をしたことはなかったんですから、それ以外の実績がよほど確かだったんですね。

薗田 雑誌の編集分野ではかなり多くの経験がありました。でも実を言うと、パナソニックの環境報告書の仕事は、他社に行きかけたんです。クレアンには、環境報告書を手掛けた実績がないからって。そこで私が「『世界一の報告書をつくる』ことをゴールに掲げていますけど、他社は世界一の報告書をつくった実績があるんですか?」とパナソニックの方に訴えて、熱意でお仕事をいただいたという。

山下 すごい。それが言えてしまうのが綾子さんの強いところですね。とはいえ報告書の経験不足は否めないわけで、制作はかなり大変だったんじゃないですか?

薗田 海外の事例を含めて、かなり研究しましたね。自分で企画して、取材・執筆をして編集して……という具合でした。

山下 しかも、環境報告書を毎年制作していくなかでは、企業の課題を把握して改善への取り組みを提案するなど、コンサル的な働きもするわけですよね。

薗田 そうですね。企業が変わっていくためには、トップのコミットメントが最重要です。トップが内部の声を聞くか、会社として外部の声を聞くかしかないだろうと、報告書の企画としてダイアローグを実施したことも。当時の社員さんとしては、初めてで怖いと感じる対話もあったと思いますよ。たとえば、冷蔵庫のノンフロン化を推進したい環境NGOと、家電メーカーが対立構造で語られていた時期に、グリーンピースとパナソニック社員のダイアローグを企画提案したり。でも、実際に話してみると、意見が対立する両者でも長期的なビジョンは共通していることが分かるものなんですよね。

好きと得意を仕事にできる幸せ

山下 環境報告書制作のパイオニアとしてはもちろん、今までのお話にあったような物怖じしない姿勢が綾子さんのすごさだなと思っているのですが、その資質はどんな経験から培われたんですか?

薗田 あえて言えば、学生時代にいろんなアルバイトをしたからですかね。DJコンテストの司会だとか、テレビ局のアシスタントとか、甲子園阪神パークの売り子さんだとか。

山下 それは、後々のために経験を積んでおこうと思ってのことですか?

薗田 いえ、好奇心旺盛なので、毎日違う人と会って話をするのや新しいことを発見するのが楽しかったからやっただけなんですけれど、結果としてすべての経験が今につながっていますね。社会人になってからも、もともと文章を書くのが好きで、その周辺のことをやってみるうちに、幅が広がっていったんです。ただ、仕事は好きという気持ちだけでは成果を出すことはできないし、もちろん嫌いなことは長く続けられません。だから、学生さんと話す時にもよく、「自分探しをして、得意なことを仕事にしましょう!」と言っているんです。私の場合は好きなことと得意なことが重なってきた。しかも、社会を変革することも一緒に仕事にできているので、幸せ者だと思いますね。

山下 私も、結果として好きと得意を仕事にした人間なんです。学生時代に書店でアルバイトをしていたんですが、もくもくとレジ打ちと本の整理をするのが向いていなくて、「こんなコーナーの本棚をつくったらいいんじゃないか」とか考えていたんです。社員さんに提案しても、突っぱねられましたけれど。とにかく、そうやって「考える」ことが好きだったから新卒でコンサル会社に就職して。そこからさらに、好きで得意でもあった、細部にこだわる編集やコンテンツ制作の要素を混ぜて、今のクリエイティブの仕事に至った感覚です。だから、仕事を嫌だと思うことはないのですが、そんななかでも経営をしていると苦手なことと向き合わざるを得ない時はありますよね。

薗田 そうですね。私は経営者なのに、実は経理が苦手なので、クレアンを立ち上げた当初は、どうしようか困り果てました。そんな時に、長いこと経理マンをやっていた父が、私の様子を見かねて助けてくれたんです。

山下 お母さまのことは、いろいろなメディアでお話されていますけれど、お父さまについてお聞きしたのは初めてかもしれません。

薗田 そうですね。母については、私のロールモデルとしてお話する機会は多いです。私の祖父に当たる父親を早くに失くして、22歳で甲子園球場のそばにお菓子屋さんを開き、戦後の混沌とした時代にチャレンジ、チャレンジで頑張って。「人のお役に立ちなさい」という母の教えは、サステナビリティに取り組む今の私につながっています。

山下 お父さまはどんなお人柄だったんですか?

薗田 母とは違って保守的で、私が何か新しいことをやろうとすると、何でもすぐに反対する人でしたね。両親のことを話すと、自然とジェンダーの話題に踏み込んでいくのですが、運転免許を取る時も、アメリカに短期留学に行く時も、父は「女には必要ないから」と。自分のお金でする分には自由だったので、アルバイトしてお金を貯めて実行しましたけれど。

山下 綾子さんの自立心はそういう過程で育まれたのかもしれないですね。起業した時はどうでしたか?

薗田 もちろん、猛反対でした。「女の幸せは結婚して子どもを産んで家庭を持つことだから、早く結婚しなさい」と。父は9人兄弟の長男だったので家父長制が当たり前だったのかもしれません。

山下 そんなストレートに……。でも、困っている時には手を差し伸べてくれたわけですよね。関係性が悪いということではなかった。

薗田 はい。私のことは大事にしてくれていて、反対意見だって、すべて父なりの「幸せ」像をもとに、「こうしたらいいよ」と善意で言っていたんだと思います。免許や短期留学に反対していたのも、「娘に危険なことをさせたくない」という優しさからなんでしょうね。

生きづらさをもたらすジェンダーギャップへの危機感

山下 世の中のジェンダーに起因するコミュニケーションの齟齬も、綾子さんのお父さまのように、よしとする価値観の違いから生まれるだけで、誰にも悪意はないのかもしれないですね。ただ、自分ではそれが正しいと思っているだけに、価値観を変えるのはかなり難しい。

薗田 確かに、価値観を「変える」と言うと、尻込みしてしまう人は多いですよね。でも、「アップデートする」と言うと、意外にすっと受け入れてくれるんです。

山下 なるほど、アドオンする感じですね。ジェンダーギャップの解消については、綾子さんが力を入れて取り組まれている分野ですが、どのような課題を抱かれていますか?

薗田 地方のジェンダーギャップは、人口減少をもたらす大きな要因ですからね。家事や育児などのケアワークはいまだに女性がやるものだという意識が根強く、企業では男女間の賃金格差も埋まっていない。女性は地方から都心に流れ、さらに能力の高い女性人財はどんどん海外に流出していってしまいます。この前、とある東北の地方都市で講演をした際に、「このなかで生きづらいと感じたことがある人はいますか?」と尋ねたところ、会場の女性の半分以上が手を挙げた時は、あらためて現実を目の当たりにした気がしましたね。

山下 確かに、都心に比べて地方はまだ男女の役割分担意識が深く定着しているイメージがあります。

薗田 それはありますね。お母さんやおばあちゃんが担ってきた役割を見て、なにかしらの違和感を抱いても「そういうものだ」と自分を無理やり納得させて諦めてしまうんです。

山下 でも、どうなんでしょう。男女それぞれが生まれ持った特性や、受け継がれてきた文化や価値観といったものと、近年求められているジェンダー平等の考え方の間に、どう折り合いを付ければいいんですか?

薗田 まず、性別によって子育てや仕事の適正があるわけではないことは、はっきりしています。「女らしさ、男らしさ」は社会規範によって文化的、社会的につくられたイメージでしかありません。旧来の価値観や文化を大切にすることは否定しませんが、その陰で声を上げられずに差別を受ける存在があるならば、状況は改善していかなければいけませんよね。

山下 大切なのは、ありのままの自分で生きたいように生きられる選択肢が用意されていることですね。先ほどの地方の話に戻りますが、都会に出てきたからといって、よりよい生活が送れる保証はありませんよね。東京生まれで、ずっと東京で暮らしている身としては、地域コミュニティのつながりの希薄さをつくづく感じます。不足するものはお金で補わなければ、生活が成り立たない場所だと思いますし。

薗田 そうですね。人はつながりがなければ生きていけない生き物ですからね。地元から出ていく女性のなかにも、本当は愛着があるコミュニティに残りたいと思っている人は多いんです。

山下 それでも出ていかざるを得ない生きづらさがあると。

薗田 ただ、現在実行中のシャネル財団とのパートナーシッププロジェクトで、地域の2040年の未来を考える「みらいワークショップ」を行うと、参加した地方の方々からジェンダーギャップを乗り越えるためのアイデアがどんどん出てくるんです。話し合いで大事なのは、目の前の一つひとつの課題だけに囚われるのではなく、ありたい理想の未来を描き、そこに向かうためにはどうするかというバックキャスティングというアプローチをとること。コミュニティに根づく共助の仕組みを活かすことも含めて、地方には新しいオルタナティブな社会のあり方をつくり出していく可能性があると確信しています。

後編に続く)

2024年4月17日、合気道 麻布道場にて。
編集・執筆:口笛書店
撮影:嶋本麻利沙

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