Gravis

東京・神奈川を拠点に、現在18のレッスンスタジオを展開、約700名の生徒を抱えるチアダ…

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東京・神奈川を拠点に、現在18のレッスンスタジオを展開、約700名の生徒を抱えるチアダンススクール“Gravis”(グラヴィス)の公式noteです。|HP:https://gravis-dance.co.jp/

マガジン

  • Gravisの素直なところ。

    インストラクターたちのバックグラウンドや素顔を紐解くマガジンです。

最近の記事

編集後記

“チアダンス”と聞いて、チアダンスに縁のない人たちは、どんなイメージを持つのでしょうか。 今回、Gravisでの取材の機会をいただいた取材前の私も、チアダンスは未知の世界。 これまでに抱いていたイメージも、「とにかくアクロバットで、豪快で、激しいダンス競技」であり、パフォーマーの皆さんは「とにかく元気で、笑顔で、前向き」といった、なんとも短絡的なイメージしかありませんでした。 ✳︎ ✳︎ ✳︎ 今回の取材では、チアダンスのこと、というよりは、Gravisでチアダンスに

    • Vol.09 「センスの花を咲かそう。」|浅田 裕理さん

      約3時間のReginaでの練習を終え、お昼を食べる暇もなくゆりさんが次に向かったのは、Gravisのレッスンスタジオのひとつ。 この日は、このスタジオが開講してはじめてのレッスン日で、10名ほどの体験レッスンの生徒さんと、その保護者の皆さんをお迎えすることになっていた。 ✳︎ ✳︎ ✳︎ 体験レッスンの日は、普段のレッスンに比べてやることがたくさんある。 ということで、レッスン開始1時間前に到着し、この日の助っ人、やよさんも一緒に準備に取りかかった。 ✳︎ ✳︎ ✳

      • Vol.08 パフォーマーを続ける理由。|浅田 裕理さん

        学生時代の部活動において、ひとつの集大成となる大会。特に、最終学年の部員にとっては、そのステージにかける思いはひとしおだろう。 ゆりさんが最終学年となった年度の大会は、ゆりさんにとっても、JULIASにとっても、優勝が狙えるビックチャンスがかかっていた。 しかし、2011年の東日本大震災の影響で、その年の大会は出場すること自体ができなくなってしまったのだ。 昔、父の仕事の関係で家族で兵庫県に住んでいた時期があって、阪神淡路大震災を現地で経験しました。それ以来、ああいった

        • Vol.07 仲間に恵まれて。|浅田 裕理さん

          8月某日。 やよさんとりなさんへ取材させていただいた日からすっかり季節も変わった真夏日のこの日、再び鶴川のスタジオへお邪魔した。 この日は、Gravisのインストラクターのひとりであり、GravisトップチームReginaの現役パフォーマーでもある浅田 裕理(あさだ ゆり)さんにお話を伺った。 ゆりさんはGravis内では“りゆ”と呼ばれている。学生時代からの名残で、そう呼ばれているそうだ。 ✳︎ ✳︎ ✳︎ 「小さい頃から体を動かすことがとにかく好きだった」と話す

        編集後記

        • Vol.09 「センスの花を咲かそう。」|浅田 裕理さん

        • Vol.08 パフォーマーを続ける理由。|浅田 裕理さん

        • Vol.07 仲間に恵まれて。|浅田 裕理さん

        マガジン

        • Gravisの素直なところ。
          11本

        記事

          Vol.06 経営者として、インストラクターとして。|山田 里菜さん

          今年、設立して8年目を迎えたGravis。 現在は、子どもから大人まで、幅広い層の生徒さんたちに向け、チアダンスをはじめ、ヨガやストレッチのレッスンを提供し、レッスンスタジオも着々とその数を増やしている。 しかし、Gravis設立当初は集客が思うようにいかず、経営面では苦労することも少なくなかったそうだ。 経営を主導していた自分を含めた設立メンバーは皆、ダンスやそれを教える知識や技術はあっても、経営に関してはまったくの素人。その結果、赤字だった時期もあります。 自分と

          Vol.06 経営者として、インストラクターとして。|山田 里菜さん

          Vol.05 ひとつの転機。|山田 里菜さん

          チアダンスのパフォーマーとして充分な実力がありながらも、りなさんにはJULIASをやめて別の道に進もうとしていた時期がある。 「チアダンスならではの動きを自分のものにできた」と自分で思えたところでJULIASはスパッとやめようと考えていました。大学3年生になったところでダンス留学をしてみたいと思っていたんです。 ダンサーとして食べていくのは難しいと分かっていたので、プロになるつもりはなかったですね。単純に個人としてダンスが上手くなりたい、そのために留学したいと思っていまし

          Vol.05 ひとつの転機。|山田 里菜さん

          Vol.04 安室ちゃんに憧れて。|山田 里菜さん

          やよさんへのインタビューを終え、鶴川のスタジオでやよさんと一緒にお昼ご飯を食べていたところで、Gravisの代表を務める山田 里菜(やまだりな)さんが現れた。この日の午前中は、2歳の娘さんの体験保育だったそうだ。 到着して間もなく、やよさんと一緒に真剣な表情でノートパソコンと向き合った。 Gravisのインストラクターの皆さんは、レッスンの合間を縫って、こうした事務作業や電話応対もこなしている。 ✳︎ ✳︎ ✳︎ りなさんも、やよさんと同じ玉川大学ダンスドリルチーム“

          Vol.04 安室ちゃんに憧れて。|山田 里菜さん

          Vol.03 強みを得るために必要なこと。|三河谷 弥生さん

          大学卒業後、やよさんは東京に残り、“フリーで活躍できるダンサー”を模索する道を選んだ。 そのため、就職はせず、シフト自由なアパレルのアルバイトをしながら、ダンスのインストラクターの仕事と、Team JCDA(日本チアダンス協会プロデュースチーム)での活動を掛け持ちしていたという。 この生活を2、3年続けてきた25歳の時、「人生で一度はダンス留学しておきたい」と考えたやよさんは、全てを辞め単身ニューヨークへ。 エンターテイメントの本場でもあり、大好きな『アニー』の舞台でも

          Vol.03 強みを得るために必要なこと。|三河谷 弥生さん

          Vol.02 負けず嫌いを燃料に。|三河谷 弥生さん

          やよさんがミュージカル『アニー』のオーディションに合格したのが、中学3年生の秋も終わりのこと。この時期の中学3年生にとって、目下に迫っていたのは高校受験だった。 このオーディションに合格してからは、それまで受験しようと考えていた高校から、演劇等の芸能活動が継続できる高校を探し、受験校を変えた。進学後、授業に出席し始めたのは、『アニー』の春公演を終えてからだったため、中には、やよさんのことを“不登校の子”だと思っていた同級生もいたそうだ。 『アニー』への出演を皮切りに、受験

          Vol.02 負けず嫌いを燃料に。|三河谷 弥生さん

          Vol.01 好きだったけど、下手でした。|三河谷 弥生さん

          7月某日、Gravisへ初取材となったこの日の朝、鶴川のスタジオに向かう電車の中で、こんなメッセージをもらった。 おはようございます!本日よろしくお願いいたします☺︎ ぜひヨガやりましょう♪(笑) この日は朝から、鶴川のスタジオで大人向けのヨガとストレッチのレッスンがあったのだ。 この日の午前中、これらのレッスンを担当し、このメッセージをくれたのは、インストラクターの三河谷 弥生(みかわたに やよい)さん。 Gravis内では“やよさん”と呼ばれている。 やよさんは

          Vol.01 好きだったけど、下手でした。|三河谷 弥生さん

          Vol.00 Gravisの素直なところ。

          東京・神奈川を拠点に、現在16のレッスンスタジオを展開、約500名の生徒を抱えるチアダンススクール“Gravis”(グラヴィス)。 “Gravis”とはラテン語で“感動”の意味があります。 感じたままに動き表現するダンサーは、観る人たちに感動を与え、そうして感動する人たちを目にしたダンサーもまた、感動する。 きっと、“Gravis”というダンススクールは、ダンスの技術や表現を学ぶ場としてあるだけではなく、そうした“感動の循環”を生み出す場でもあるのでしょう。 ✳︎ ✳

          Vol.00 Gravisの素直なところ。