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子をもつこと
韓国文学にはまっている。
欧米や他の言語と比べて日本語と似ているからか、翻訳も違和感なく読めてとてもおもしろい。(もちろん、翻訳者の技術あってこそと思います)
中でもチョン・セランさんの文章がとても好きだ。
物腰は柔らかだけれど、社会をまっすぐ見て痛みを書くことから逃げないという印象。それはとても誠実で、公平さのようなものを感じる。
そんなチョン・セランさんの文章も載っていた、「韓国フェミニズムと私たち」を読んで、子をもつことについて考えさせられた。
彼女は、世の中がこんな有様だから「他人をこの世で暮らしてみようと招待することができない」という理由で、子どもは産まないことにしたと書いていた。それを知ってはっとした。
(彼女は子をもつことが良いとか悪いではなくて、世の中が良くなるか自分がもっと強くならないと子を産む覚悟ができないというような内容だった)
もし数年後に戦争が起こるのを知っていたら、私は子どもをつくりたいと思うだろうか。たぶん思わない。子を産んで、社会を変えるために立ち上がる人もいると思うけど、どれだけの人がそれをする行動力をもっているんだろう。
特に日本人は、声を上げるという習慣をもたない。習慣を変えることはとてもストレスのあることだし、あたり前を変えるためにはいろんなものと闘わなければいけないと思う。
私は妊娠も結婚の予定もないけれど、なんだか切実で身近な問題として考えてしまった。たぶん、自分が子をもつ年齢になったからかなぁと思う。
子のために立ち上がる親の考えは理屈としては理解していたけど、気持ちとしてそれを感じたのは初めてだ。
私はまだうまく声をあげられない。「自分はこんなにも足りないのに怒っていいのか」と思う場合もあるし、人の目も気にしてしまう。
声を上げることは大切だし、そういう先輩方のおかげで享受している自由や権利があることも知っている。だから今度は私たちが動くべきなのにね。ふがいないよ〜〜。
もし私に好きな人ができて、その人と自分の子どもが欲しいと思ったときは、不安な未来も払拭できるくらい強くなれるのだろうか。
あと、誰が言っていたのか思い出せないので正確な引用もできないけど、子どもに関してなるほどと思ったことをもう一つ。
「子どもは皆尊い存在だから、自分で新しい命を産むよりも、今すでに存在する子どもたちを幸せにしたい」といった理由で養子縁組を選択するという考え方。
いろんな覚悟がいりそうだけど、目から鱗で選択肢の一つとしてとてもステキだなと思った。
どちらにせよ、私は今より強くならないと母親にはなれないなー…と思いつつ、母になって覚悟が生まれるのか、覚悟ができて母になるのか。どっちなんだろう。
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