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Ni Mode 〜しかたがない〜

多分、去年の今日が連続投稿の始まりだ。
突発的なこととはいえ、noteの連続投稿ルールを把握していなかった私は、形式的には毎日投稿しているが、システム上の連続投稿を中断させてしまった。
…ということは、何度も書いている。何度も書きたくなるほど実はとても悔しかった。悔しかったけれども仕方がない。

スペイン語の ni mode は「仕方がない」を意味する。
中米ニカラグアの人から教わった言葉で、おそらく中米のスペイン語でよく使われる表現なのではないかと思う。
直訳すると「方法がない」だ。

私たち(「たち」という一括りにして良いかどうか迷うが)障害者の暮らしは ni mode に満ちている。

私たちの暮らしは、これまでの障害者の努力や健常者の理解の元に成り立っている。
以前は家の奥間に半ば閉じ込められていた暮らしから、地域へ、社会へ、少しずつではあるが、出ていけるようになった。
ではこれで快適になったかというとそういうわけでもなく、相変わらず差別や偏見や無理解や不便さに苦しんでいる。
特に、ネットではあからさまに差別的なことが書かれており、時に私は、すれ違う人々のすました顔や笑顔の奥にとんでもない悪意が隠されているのではないかと疑心暗鬼にもなる。
そしてまた、悪意こそなくても、何もわかっちゃいないが故に傷つけられることは日常茶飯事だ。
そんなことをひとつひとつ上げたらきりがない。

健常者と障害者を並べたら、健常者は絶対的に特権階級だ。
たとえ、経済的に「勝ち組」の障害者であっても、少しばかり自由に暮らすことができても、通常なら支払わなければならない料金を免除されても、絶対的に超えられない壁というものはある。


私とて、目が見えて、耳も聞こえるという意味では特権階級だ。
同情や哀れみではなく、彼ら・彼女らは不便なのだということを私は知っている。その不便さは私たち見える・聞こえる人が作った世界だ。私が散々苦しめられている ni mode を、どうして彼ら・彼女らに言わせることができようか。


「仕方がない」は「諦め」と同居している言葉である。
誰にだって暮らしの中でどうしようもなく理不尽なことはある。潔く諦めなくてはならないこともある。諦めても次の手段を考えられるのが特権階級だ。特権階級を持たない者にとっては成すすべがない。
私たちの、私たちへの ni mode は失くさねばならない。


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