失われていく母
ヒトが生物として衰えていくのは仕方ないとしても、我が親もそれを避けては通れないことを間近に感じなくてはならないのはやるせない。
10日程前、私が母に”中身だけ捨ててガラス瓶はとっておいてほしい”と頼んだものに関してその後どうなったか尋ねると、彼女は覚えていないという。瓶の形状やデザインも、受け取った記憶もないらしい。大切にとっておきたいものだっただけに、朝からとてつもないダメージをくらった。
その前日、ある有名人が亡くなったのはいつだったかという話になった。母は7~8年前かしらねと言うので調べてみると、2021だった。
2021年だよ。
じゃあ、やっぱり7~8年前かしら。
え?今2024年だよ?亡くなったのは2021年。引いてごらんよ。
そのやり方わからない。
24から21引くんだよ。
だからわからない…
私が指を折って数えるとやっと母はそれが3年前であることを理解した。
母はお金の管理はできているし、もちろん買い物も足し算引き算もできる。だから引き算が出来ないのではなく、2024から2021を引いて…の意味がパッとわからなかったのだろう。母の認知機能がそれだけ衰えていることにショックを受けた。
母の忘れっぽさが加速している。
この10年程度の出来事は忘れていることが多いが、私が買ってきたものや一緒に行って買ったものは記憶にないことが増えてきた。ちょっと前に食べたものも忘れている。自分で買ってきたものは覚えているが、さっき自分が言ったことと違うことをすることもある。2つの選択肢があって、AではなくてBというとAが返ってくるのは序の口だ。数日前の出来事を忘れることがある一方で、食べたことそのものは覚えている。買い物にも一人で行ける。
祖母の時は小銭の出し方がわからなくなり、テーブルいっぱいに小銭を溜め込んだり、つくだ煮を買ったことを忘れて冷蔵庫から山ほどでてきたり、言動もおかしくなった。明らかにすぐ支援が必要な認知症であったが、母はまだ家事ができるし、仮に要介護判定を受けても人間嫌いなためこれ以上人を入れることは難しい。それに忘れっぽいことを工夫や練習で少しでも抑えたいという気持ちはないらしい。私が代わりにやれることがあれば良いが、それも難しい状況で、労りのつもりでケーキなどをお土産に買ってもあまり喜ばない。
このところは、母が言わんとしていることがわからなかったり、私が言っていることも伝わらなかったりで、もう対等に会話をすることはできない。
あるお正月、焼いていたお餅が焦げるほど母と娘で喋りつくしていた頃が懐かしい。
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