些末なこだわり
引き続き創作に関することを書きたい。
あるイラストの印刷を古くからの知人に依頼した。出来上がった印刷物を見ると、わずかに意図した色が出ていないところがある。本人以外は気がつかないだろうなぁと思いつつ、知人にそのようなわけでもう一度印刷をしてもらえないかと依頼した。案の定、彼はどこが違うのかわからないと言う。他にも小さなミスがあったので、その訂正も併せて印刷用データを作り、印刷してもらうことになったが、その小さなミスも彼は全く気がつかなかったと言う。この部分だと言ってもやはりわからなかったようだ。
そんな些末なところにこだわりすぎていると、全体が見えなくなると言うことはよくわかっているものの、自分が気がついてしまったことをそのまま世に出せないのがクリエイターの性である。わずか1ミリの差で印象が変わる・完成度が違う、創ったものはそう思う。しかし、見る人にとっては、その1ミリの差で何が違うのかわからないだろう。
世の中のクリエイターが、自らの創り出すものにどれぐらいの細かさを持っているかはわからないが、この細かさをすごくわかりやすく例えるとするなら、美容院でカットしてもらい、仕上げの時にほんの1~2本の髪の毛を何度も何度も直すあの姿を想像していただければわかると思う。わずか1本や2本の位置が美容師にとって大きな差であったとしても、椅子から立ち上がって、レジに行く間にその髪の毛の位置は大きくずれてしまうだろう。それはわかっていても美容師のプライドが許さない。
もちろんプライドだけではないかもしれないが、自分が納得いかないものを世に出すことこそ納得がいかないのだ。
このnoteは毎日のことなので、それほど1日に長く時間をかけられない。誤字や脱字、意味がわかりにくい文章などもきっとあるだろう。
だから上記で書いてきた瑣末なこだわりとは真逆の出来具合で大変恥ずかしいが、そこはどうぞご勘弁いただきたい。
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