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あんなふうに生きたい

今どき「オネェ」と言ったら差別と言われるのだろうか。
内面や振る舞いが女性的で見た目が男性の方々のことだ。
LGTBQのような性的マイノリティや性嗜好ではなく、あくまで表面的な話である。

私は別に彼ら?彼女ら?に偏見があるわけではない。むしろ、生きていてたくさんの傷を作ってきた人たちなのだろうなと思うのは、それこそ偏見だろうか。

いずれにしても、彼女ら(便宜上彼女ということにする)や私のような障害者は差別や偏見、心無い言葉に傷つけられることが多いという点で、私自身は「同志」のように思っている。

サロンドパルファンで、素敵な「オネェ」たちに出会った。
それぞれ個性があり、一概に「オネェだから」と括ることはもちろん出来ない。しかし、そこにひとつの共通点を私は見出していた。

彼女らの誰もが自分を誇らしく思っているように振る舞うのだ。

あたしって世界一カワイイわよね
あたしを誰だとお思い?

それはもしかしたらパフォーマンスかもしれないし、自分を傷つける世間の目からの防御として身につけたスキルなのかもしれない。
しかし彼女らのそうした振る舞いは私に足りないものを補ってくれたような気がした。

私は自己肯定感は低くはない方だ。しかし、高いかと言えばNOである。
心のどこかに

こんな私を好きになってくれてありがとう
いつも何かをしてもらうばかりでごめんね

そんな気持ちがよぎる。
特に、中身がどうであれ、「女性」として見られる可能性は極端に低い。
ナンパとかワンチャンとかで遊び相手にされたくはないが、そういう目でさえ見られない。
逆に私の経歴や取り組んでいることを話せば、すごいですねと言ってもらえるが、そんなことを話している自分自身に奢りや傲慢さやを感じてしまう。

いわゆる「普通」の生活をしてきた人たちと話していると、自分がいかに違う世界を生きているかを突きつけられてしまうのだ。
だから今もって健常な人たちとどう付き合っていくのが良いのか悩ましい。

そんな私には彼女らの吹っ切ったような生き方が、それがたとえ自分を守るパフォーマンスだったとしても、私に必要なのだと感じたのだ。

ただ、彼女らと私の違いがひとつある。
「人は1人で生きてはいけない」
とよく言うが、私はその度合いが大きく、健常者なら当たり前にできる着替えやトイレや入浴などから乗り物に乗ること、棚の少し上のものを取ってもらうこと、あらゆることに人の手を要する。
心の中で
あたしを誰だとお思い?
と言うことはいくらでも出来ても、それを一言でも、たとえ冗談としても口にしてはならないのだ。

そういう制約はあるにせよ、私はもう少し自分の価値や権利や自分は綺麗だカワイイ素敵だという態度を持っても良いのではないか。

あたくしを丁寧に扱わないヤツ?
そんなのゴミよ!

そのくらい言っても良いかな…

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