見出し画像

その物語はどこから来るか

先日のスペイン語レッスンで、カメラ越しに私が日本語とフランス語で書いた絵本を講師に見せた。
先生は大変に驚いていた。それがスペイン語流のパフォーマンスだとしても、やはり嬉しかった。

絵本を作った理由を一通り話した後、講師は「どうやって物語を発想するのか」と私に尋ねた。
とっさに出た私の答えは「わからない」だった。

日常の何気ないひとコマがヒントになることもあるし、もちろん経験を膨らませて話を作ることもある。

たとえば、電車の窓からこんな景色が見えたとしよう。

古いアパートが見える。東京らしい細長いコンクリートの安アパートだ。ベランダで洗濯物を干している女がいる。

これは今私が見ている景色そのもので、何の変哲もない日常だ。ここから物語が始まる。

その女は赤ん坊の衣類を干している。毎日毎朝、赤ん坊の衣類を干している。ただ、私は女の部屋から赤ん坊の泣き声を一切聞いたことがない。泣かない子供なのだろうか。そんなことがあるか、赤ん坊は泣くものだ。
更に不思議なことに、赤ん坊の衣類に成長の跡が感じられない。同じ形、同じ大きさ、同じ色、毎日、毎朝、同じことが繰り返されている。
そこに赤ん坊はいるのだろうか。

こんなふうにいくらでも膨らませられる。

”降りてくる”という現象ももちろんある。
言葉と同時に映像が見えるような感覚だ。
しかし、なぜそういうことが起きるのかについてはわからない。
どういう時に降りてくるかわからないし、感動的な何かを見聞きしても創作に繋がらない場合も多い。

このように、現実からの発想と”降りてくる発想”との複雑な交錯で物語は生まれる。
だから、「どう発想するんですか」との問いに明確に答えられないことの方が多い。

今日の投稿にオチはない。
自分が物語をどのように発想しているのか整理してみたかったのだが、結局わからないままだった。
物語を書く皆さんはどうやって発想しているのだろう?


#毎日note
#note
#日記
#障害者
#車椅子
#身体障害者
#発想方法
#アイデア
#物語
#小説の書き方
#思考方法

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?