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便利な時代の猿にならぬように

朝、あまり乗ることがない京葉線に乗った時、とてもインパクトのある中吊り広告を見かけた。
英会話教室の広告で、サッカー選手がすごんだ顔でこちらを見ており、それだけで思わず、「すいません」と言ってしまいそうな迫力だった。確かにあのインパクトで企業名を覚えてしまう。

私にしては珍しく、NHKの朝ドラを観ている。
観ようと思って観ていたわけではなく、たまたまヘルパーさんの待ち時間などにNHKをつけていただけだったが、朝ドラにありがちな「ヒロインが戦争や災害や貧しさの中で希望を失わず、強く生きていく」的なお話ではないのが、逆に私の関心を引いている。

あの時代、彼らはどうやって外国語を身につけたのだろうか。
エリートとは言え、学習環境は豊かではなかったはずだ。今のように書店に行って本棚が溢れるほどの学習書があるわけでもなく、音声教材がついているわけでもなく、無料のアプリもない。語学学校だってないだろうから、書物や個人教授からレッスンを受けるなどしていただろう。留学先でも相当な苦労をしたに違いない。

外国語の本だってそうだ。
Amazonがない時代に、海外から本を取り寄せることはどんなに難しく、また手に入れた本が必ずしも有用であるとは限らず、まるでギャンブルのごとくであっただろう。

我が家では、もっぱら主人公の万太郎がどのようにして個人で海外から書籍を手に入れたのかが話題である。
どのように注文したのか、支払いはどのようにしたのか、注文から受け取りまでどのくらいの期間がかかったのか、本筋より気になって仕方がない。

人は、不便な環境である方が一生懸命になれるのかもしれない。
スマホやパソコンを開けば何でもできてしまう時代。もう既に語学力などというものもアプリに置き換わってしまっている。
アプリが代わりにやってくれている間に、何か生産的なことに頭を使えば良いが、人間はそれすらも放棄してしまっている。
便利になったのか、人間が猿になったのか、いや、猿に失礼かもしれぬ。

帰宅し、私は疲れてフラフラしていた。あのすごんだ顔が「今日もフランス語ちゃんとやらねぇと身に付かねぇよ」と言っているような気がした。朝ドラの田邉教授が、若かりし頃必死で英語を学んでいる姿を想像した。
そうして、ようやっと私はフランス語のテキストを開き、いつものように音読を開始した。
猿にならぬようにと願いながら。


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