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すべては”たまたま”起きること

友人はよく「この世の中はみんなまやかしなんだ」と言う。私たちが見ているものの裏にはそれを操っている人がいるという。彼は陰謀論が好きだが、私はそれ自体に興味を持っていないので、微妙に話を逸らしながら会話を続ける。
陰謀論はともかくも、友人が言っていることは真でもあり偽でもある。だから私は否定しないし、激しく肯定することもない。
ただ、友人の言うように考えたら、もしかするともっと気楽になれるのかもしれないと思う。

昨日の朝、良いニュースが飛び込んできて浮かれていたら、夜には芳しくないニュースが入ってきた。せっかくの良いことが台無しになるじゃないか!とクレームを入れたくても、相手は良いニュースのことを知らないのだから仕方がない。悪いニュースへの対応は急ぎではないので、少し放置して、私はもうちょっと夢の中にいることにした。
そんなとき、私にこんな考えが浮かんだ。

良いニュース、それは私にとって”たまたま”起きたことだ。たまたまその日のそのタイミングでしたことが、たまたま相手の目に留まった。もしも私が1日早かったり1日遅かったり、もしくは何もしなければ何も起きなかった。「運も実力のうち」なんていう傲慢なことではなく、たまたま運が良かった、そう思っている。
だとすれば悪いニュースも、たまたまそのタイミングで、たまたま私に入ってきただけのことだ。

そう、すべては”たまたま”起きることなのだ。

障害を持って生まれてきたことも、どこでどういうことを学び、どういう人に出会い、どんな出来事に遭遇したかは”なるべくしてなった”のではなく”たまたまそうなった”というだけ。
なるべくしてなったと考える方がロマンチックではあるが、人生の起伏、特に谷間に落ちるときや谷底で臥せっている時は、「たまたまそういうタイミングだ」と考える方が楽ではないか。

友人の言う「この世の中はみんなまやかし」の言葉の裏には、”誰かが操っている嘘っぱちの世界にそれとは知らず住んでいる自分たち”のニュアンスがある。私の言う「たまたまそういうタイミング」とは相反するようでいて、実は良いことも悪いことも自分のせいではないという、処世術としては同じような考え方なのではないか。人生はゲームだというのも、根っこは同じだと思う。

どちらも、一見、生きることに前向きではないように思える言葉だが、ポジティブに考えましょう!とか、THE前向き!とかよりも、案外こんなふうにのらりくらりとしていた方が良いのかもしれない。
人生は Que Será, Será(なるようになる)だからね。

ちなみに、Que Será, Seráはスペイン語として有名だが、元々スペイン語にはなかった言葉だそうだ。この言葉もまた、たまたまなるようになっただけなのだろう。


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