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自分の中にある神殿 〜 AYAKOさんのボイスヒーリング リトリート2日目昼@屋久島

記念すべきお一人目として紹介させていただくのは、アロマサンドリーズのAYAKOさん。今回はその4です。

▼前回

川から出て、ふたたび神社巡りは始まった。
もう、メッセージはすんなり入ってくるようになっていた。

次の神社は、もう最初からダメだった。
いくつかある鳥居のひとつめの前で、足が止まる。
涙があふれて止まらないのだ。
待ってたよっていうメッセージが直接頭に入ってくる。
空気は湿っていて、しっとりと重い。

そう、この神社は少し重かった。
とはいっても嫌な重さではない。
荘厳、とか叡智、とかそういう重みだ。
重いということは、「積み重なっている」だとか「変わらない」だとか「在る」とかそういうメッセージなのだと思った。水や風ではなく、土の感じ。
比べると、前回の女神様を感じた神社はかなり軽かった。

実は、この空気の重さは、チャクラと発声と連動している。
これがボイスヒーリングの不思議なところであり絶妙なところだと思う。

低い声には下の方のチャクラが、高い声には上の方のチャクラが対応する。
わたしの場合、一番出しやすい声は鼻の高さくらいだ。
出しにくい声のチャクラは、おそらく弱い部分になる。
わたしは、低い声が出しにくい。
昨日から、AYAKOさんに「低い声が出せるといいね」と言われていた。

この神社は低い声を出す場所なのだ、とそのときのわたしはわかっていた。
体感としか言いようがない。
なんとなく、わかるのだ。

会陰や子宮のあたりにエネルギーがあるのがわかった。
そこから、 ”声” を出すべきなのだと思うけれど、でもすぐには出てこない。

扉のあるお宮の中に、そのエネルギーはしまわれていた。
エネルギーを感じようとすると、それが前の神社でAYAKOさんが言っていた「クリスタル」なんだとわかる。

AYAKOさんが、わたしの下腹部あたりに大きなクリスタルが見えるよ、と教えてくれた。

前回より抜粋

屋久島に来る前からずっと、思っていたことがある。
声をただ出したいわけではない。
声とエネルギーを一致させたいのだ。
もっというと、言葉にぴったりと合うエネルギーを乗せた声を発したい。

これは、わたしがボイスヒーリングという言葉を知ったきっかけと関わる。
エネルギーを感じるようになってから気づいたのだけれど、わたしが誰かと関わって傷つくときは、たいていエネルギーと言葉が不一致なのだ。
例えば、「すごいねー」と言いながら内心では馬鹿にしているひとだ。
会社とか、オフィシャルな場ではよくあることだ。
エネルギーを感じる前からも半分わかっていたけれど、気のせいだと思おうとしてきたし、その場合傷つくのは適当な対応ではない。
表面上はひとを傷つけるような言葉であっても、中身に優しさがこもっていればそれもわかる。
けれど、エネルギーを感じるようになってからは、その言葉とエネルギーとの段差というか落差に、傷つくを通り越して疲れて果ててしまう。

こういうことを言語化できるくらいに理解できたとき、わたしの中に外の「言葉」と中の「エネルギー」を同じにして、声を発したいという願望が生まれた。
そして、ボイスヒーリングにたどり着いたのだ。


話が逸れた。
わたしの下腹部にあるお宮の話に戻す。
AYAKOさんが教えてくれたクリスタルがしまわれているお宮。
扉がついていて、まだ開かない。

わたしの出したい ”声” はお宮の中から出てくるはずのエネルギーをのせたものなのだ。
お宮の扉が開くのを待った。
わたしのタイミングではなく、扉のタイミングに合わせるらしかった。
エネルギーののっていないただの声は、わたしの場合第三チャクラのある胃のあたりから始まる。
声を出しながら、少しずつ下ろしていく。
お宮のあるあたりまで声を低くして、扉が開くのを待った。

開いたタイミングに合わせて、内から出てくるエネルギーを声にのせて、”声” にしてから、声量を上げる。
体で感じているエネルギーの体感と体と”声”が一致していく感じがした。

エネルギーがのった ”声” をそのまま、上げていく。
エネルギーのスピードに合わせないと、エネルギーを落っことしてしまいそうで、慎重に上げた。体感で感じるエネルギーのスピードを丁寧に感じながら、声を上げていく。
ここらへんで、AYAKOさんの本当の凄さを実感する。
あんな風にエネルギーをのせたまま自由自在に声を操れないのだ、普通。

けれど、このころになるとお宮の扉はもう開いたままだった。
そこから呼吸をするように、一定の間隔を保ってエネルギーが出てくるから、それに合わせるだけになっていた。
胃から始まった声を下ろして、下腹部でエネルギーをのせて ”声” にして上に上げていく、という一連の流れはできあがっていて、繰り返すだけ。
そこからさらに上げて、頭のてっぺんから、”声” を放つ。
エネルギーも音も言葉も全部、出した。
何回もそれを繰り返した。

終わると、あたりがキラキラしていて、声を出しすぎたことからくるめまいなのか、祝福なのかよくわからなかった。光を感じたのだ。
喉が痛い、と思うと同時に咳が出た。
それをAYAKOさんに伝えると、「声の出し方かな」と言われたので、違う、と言いかけたら、「あ、喉から首のあたりなんか残ってるね」と言われた。
そうなのだ、とわたしも思った。
喉のところに何かエネルギーをせき止めらているものがあるのだ。
そこで、”声” が引っかかっている。
喉の痛みは、そのお知らせだった。

ものすごくお世話になったその神社に後ろ髪を引かれながら、そこを後にした。ものすごくお腹が減っていた。
海の方へ、AYAKOさんが車を走らせてくれる。
秋にしては力強い、けれど夏よりは柔らかい太陽に照らされながら、レジャーシートの上で買ってきたレタス巻きと甘いパンを食べた。
さらにはAYAKOさんにもらったお団子までむしゃむしゃ食べた。

ごはんを食べているときに、ごはんつぶが気管の方に間違えて入ってむせた。そのときに、ヤバイと思った。
声が出なくなった、と思ったのだ。
さっき詰まっていた喉が、完全に潰れた感じがした。

それが、次の神社で覆されたのだけれど。

▼続きます。



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