SNSも言い方
言い方ひとつで同じことを言っても全然印象が違う。「なあ、その財布取ってや」と「ごめん、そこにある財布取ってくれませんか?」ではどちらが取ろうと思うだろうか。
同じようにSNSで弱音を吐くのがよくないのではなくて、人のテンションを下げる書き方に引っかかる人が多いのかもしれない。
嫌なことがあったとき誰に見せるでもなくノートに書き出すだけでも意外とスッキリするのだけど、SNSに書きたくなるのはやっぱり誰かに聞いてほしいからじゃないだろうか。
だけどネットの書き込みは「誰か」を想像しにくいものだ。
普段言えないことが言えてしまったり、話すとブレーキがかけられるところを突っ切ってしまったりする。何も考えずに書き込むと独りよがりになってしまう。
一時期あえてブレーキをかけずにぶちまけていた時期があるけれど、思い返すとあんまりよくなかったなと自分でも思う。
僕はSNSは好きなことを書けばいいと思う。
楽しかったことでもいいし腹が立ったことでもいい。だって僕らは毎日いろんなことを感じるから。
そこにいつもより少しだけ「相手」を想像するだけで書き方が変わったりする。
「上司に嫌味を言われた。最悪。」→「上司に嫌味を言われて悲しいからなぐさめて😢」
「電車で騒いでるやつ死ねよ!」→「電車で騒いでる人がいてイライラ…。でも負けずに楽しいこと探そう。」
こんな風に向こう側に人を想像するだけで「相談」になったり「前向きなしめくくり」を付け足したりできる。
弱音や悩みを隠して生きるなんて不健康だ。
結局どれだけ人を想像しても受け取り方は千差万別で、嫌な気持ちになったり怒る人も出てくるだろう。全ての人を不快にしないなんて不可能。
綺麗なことしか言わない人だって僕みたいな人間から本音を隠す人は苦手とか思われたりするのだ。
そういう人はもう違う世界の人だと諦めるしかないし、頑張ったけどできないことも当たり前にある。だけどそばにいてくれる人が嫌じゃない書き方を「しようとする」ことはできる。
僕は言い方で死ぬほど失敗してきた。だから言い方のすごさがいい方向にもわかるのだ。
今だっていい書き方ができているかはわからない。こうすれば良くなるかなと試行錯誤しながら言葉を使っていきたい。