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日記 12/13~19 2021

13日。
幡ヶ谷のウミネコカレーへ。店主の古里君はミュージシャンでもある。彼とは古い付き合いだ。暗中模索ではあったが、手がかりというか足掛かりというか、兆しのようなものをようやく感じられた頃に出会った。カレーも美味しかったが、彼の新譜『味噌』がとてもよかった。タイトルがいい。驕り高ぶり、あるいは衒い、自虐や自嘲もない。彼の人生が、彼のなかで発酵して、音楽としてそこにある。

14日。
レコーディング。ビートルズの『Get Back』を観てとても感心したのは、彼らが行っていたのがソングライティングだったということだった。いろいろな場面で、彼らは歌詞について話していた。音楽であることは間違いないが、それが歌であることを意識していると、演奏が変わる。この言葉に対して、このサウンドやこのメロディーが選択される理由とは。とても大事なことだと思う。

15日。
続。当たり前だが、言葉にもサウンドがある。例えば、ラッパーたちはそのことに意識的だと思う。サウンドであると共に、意味もある。演奏者たちがそのことに対して無自覚であるならば、言葉と言葉の持つサウンドを除外して演奏しているようなものだろう。作詞と作曲を表記どおりに分業せずに、そのふたつを繋ぎ合わせること。もともと隔たりなどないということを理解して、創作に参加すること。

16日。
山ちゃんの曲の録音。自分以外のメンバーが土台を作ってくれた曲では、自分がいちから作った曲よりも自由になれる場合が多い。というのも、その「いち」を作るのがとても難しいからで、その「いち」のためにほとんどの時間を費やしているからだ。どこに基礎を置くのかではなく、最初から間取りや家具のことを考えられる幸せ。次作には山ちゃんの曲がたくさん収録される。どれも新鮮でいい。

17日。
寒いというだけで気が滅入る。例えば、北海道へ行くと、当たり前だがむちゃくちゃ寒い。しかし、なぜか現地では「想像していたほどじゃないな」と思う。たとえ氷点下だとしても、だ。むしろ、帰ってきてからのほうが寒さが過剰に感じられる。気温は北海道のほうが明らかに低いのに「えー、こっちのほうがなんだか寒いじゃん」と思う。不思議でならない。心構えや身構えで感覚が変わるのだろうか。

18日。
嫉妬は怖い。するのも、されるのも、怖い。私とあなたの人間的な価値は数値化しようもなく、比べようもない。そんなことは誰だってわかるのに、何かにつけて値のようなものをつけたがる。比べてしまう。あなたと私の違いを、関係を、何らかの値で表すことはできない。それぞれに、それぞれでしかないのだから。私が彼や彼女ではないことや、あなたが私ではないことに、執着して生きるのは辛い。

19日。
深刻なニュースが魂の端を掴んで、深い沼にずるずると引き込もうとする。彼や彼女が深刻な決意をする、我を失う、その何歩も前に、社会の側にできることがなかったのか。多くの人の手にスマートホンがある時代だが、孤独を煮詰める人が減った気配はない。数万回のタップより、たった一度の抱擁や握手や乾杯の心強さ。音楽にできることは少ないが、それぞれが孤独なまま、通じ合うことができる場を作りたい。ライブハウスやホールに集うということだけではない。何かについて語り合うことだって、僕たちが心の底から絶望しないための、いくつかの灯火のひとつになると思う。好きでもないアイツと、俺のことが大っ嫌いな君と、同じビートで踊り、同じメロディで心を揺らす。そんなことが可能なのは、音楽が聴き手を選ばないからだ。そうした包容力が、何より俺を絶望から引き留めている。