ろくな恋愛をしなかったとしても物語は書ける。
ノンフィクション。王子様なんていなかった。
ーーーーーそれもまた一つの悲劇の物語。
恋愛をしなくても、恋愛漫画は書けるの?
書けますよ、なんだってそれは恋愛漫画自体フィクションなんですから。
朝バタバタしてメイクもしないで男の人にぶつかっても、暴行罪辺りになるんじゃないですかね。
なんてロマンがないのでしょう・・・・・。
現実と空想をごっちゃにしているのどっちだ。
夢に見ることも素敵。現実を見ることも堅実で良き。
だけど、押し付けるからよくねえんだ。
現実は現実。空想は空想。その住み分けが必要なんですよ。
そう、頭で浮かんだ物をネット上にばら撒くのも誰かにとっては作家の卵として誘発するかもしれないのだ。そして、その事実は誰も責めない。
何故なら先輩方も同じように誰かに誘発されて行っているかもしれないのだ
ファーストペンギンの存在
出る杭は打たれるかもしれない。日本社会だったら後ろ指刺されるかもしれない。でも、もしも偉大な先輩方がいたらどうなると思う?
それが当たり前の光景になるから、誰も後ろ指を刺すこともせずにごく普通の光景になるのだ。どんな恥ずかしい詩を書こうにも名曲として扱われるかもしれない。
ファーストペンギンが1人でもいたら世界は軽々しく変わるのだ。
世界のルールはあったとしても、空気や流れは変わるのだ。
小さな常識などぶち壊せてしまう。
現実のドロドロとした恋愛もまた美しい。
僕はそう思う訳ですよ、プレイヤー同士のマッチング。
嫉妬や憎悪、死別や呪い。最高の演劇だと思いませんか?
勝手な被害妄想や勝手に期待したり、勝手に裏切られたと思ったり。
足を引っ張ったりも勿論のコト。
青臭くていいじゃないですか。まるで昼ドラのような展開が日常茶飯事で行われているんですよ。
娯楽として最高の愉悦だと思う訳です。だってそれが空想ではなく現実なのですから。実に人間らしくて素敵だと思いますよ。
恋愛初心者同士の夢バトル
どっからその情報を仕入れてきたのか分からないが、これが素敵!
という理性を失って行われる夢バトル。漫画なのか恋愛ドラマなのか、恋愛小説なのか。盲目で未熟同士の恋愛。最高じゃないですか。
空想なのか、現実なのか、それさえ理解できない夢遊病患者。
寧ろフィクションのようで物語が書けますよ。
えぇ、書けますとも。空想の物語より奥深い物が書けます。
それが青春なんですよ。大人になったら恥ずかしくて出来ないこともやり遂げてくれるファーストペンギンに成りゆる人達なんです。
ファーストペンギンと青春の類似性。
流行を作り出す。ゼロから何かを生み出す人は強いのだ。
そう、先入観がないからこそファーストペンギンは生まれるのだ。
時代も空気も知らないからこそ暴れられる。それが若さだ。
彼らは世界をぶち壊している事にも気付かずに、新時代を作り上げているのだ。
とんでもない義賊みたいなもんですね。言い換えれば最強の自己中かもしれませんけど。
後ろ指刺されたとしても貫けば本当の愛。
人間は弱いですからね、抜け駆けをする人はどんな人でも許さない訳です。
噂も流されるかもしれないし、足を引っ張ったりされるかもしれない。
不幸の味が好きですから。応援しているフリをして背中から刺すかもしれません。
だけど、それでもお互いが"共犯者"となれば物語としては最高の出来ですよ。真の絆であり”真の愛”ですよ。
本当にリアルに真実の愛を求めようとするなんて、孤立を恐れずに立ち向かった勇者でもありますからね。まるでそのコミュニティの全てを敵にしたとしても、貫こうとする意志は空想に勝てませんよ。
そこに作家の神様はいないのに、プレイヤー同士のアドリブで繰り広げられる舞台。結末はどう転ぶかは一切見当も付かない。
都合のいい結末を作家の気分で変えられないのですから。
王子様やお嬢様になろうと、成り切ろうとする演者はとても素晴らしいと思う訳です。
そして、彼らも大人になっていく。
時間は平等ですから。ファーストペンギンになっていた彼らも老いていく。
老いたとしても、それでも心までは死なない。表面上は死んだように見えるかもしれないけれど、生き続けているのだと思う。
生きている限り、彼らは同じように青春を繰り返すのだと思う。
身体が朽ちてきても空想を追い続ける。青春を生き続けるペンギン達。
自己中心的な夢物語。なんて素敵なノンフィクションなんでしょう。