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なりたい自分になる

・「雄大」で「太い」人間に

 「雄太」。鹿児島県で生まれた僕はそんな名前をつけられた。いつ聞いたかは忘れたが父に名前の由来を聞いた。「桜島のように雄大で太く強く育って欲しい」と言われた。しかし僕は鹿児島で生まれたとはいえ5才までしか住んでいないから桜島の偉大さをあまり知らない。僕の鹿児島での記憶はあまりない。少し思い出せる限りの記憶をたどってみよう。


・泣きべそかいた幼少期

 僕が小さい時どんな子供だったかを簡単にいうと「泣き虫」だった。とにかく泣いていた。欲しいおもちゃを買ってもらいたい時とか、いとこに言い合いして負けた時も、僕は頑固で負けず嫌いだった。たぶんそれは今でも変わらないと思う。自分の思い通りにいかないとすぐ拗ねるし顔に出す。だからといって他人の前でもそうなのかというと違う。他人の前ではお利口さんだった。幼稚園でも誰よりも背筋を伸ばして座っていた。ちょっとずるい子供だったのかもしれない。だけど言い方を変えれば親密な人にのみ素を出すのかもしれない。そんな自分をダメだと思って友達に遊びの誘いをした時もかなり時間がかかった。たかが遊びに誘うのにも僕には「勇気」が必要だった。なんとも不思議な幼少期だった。


・実は今も変わらない

 不思議な幼少期だと言ったが今が変わったかといえば、全く変わってない。変わったとすれば知識が増えたぐらいだ。あとは変わらない。人前では良い顔するし、自分が気にくわないと思えば顔にも出す。ただ小さなコミュニティを重視するという点においては今にとても生きていると思う。自分をあまりうまく表現できない自分にとってはそれを理解して寄り添ってくれる人間は僕も同じように大事にしたいと思う。全ての人をないがしろにするという意味ではない。本来全ての人を救えるのなら救いたいし、仲良くなりたいと思う。しかし僕にはそんな力がない。そして人間何を考えているかは分からない。親しい人間はある程度信用するが、他人は本当に信用はしない。信用しないというと語弊があるのでちゃんと説明しておくと、ある程度の警戒心は持っておきたいということである。それはもちろん僕自身が壁を作ろうとしてしまう人間だからかもしれないが、僕はどうしても他人は所詮他人だと思ってしまう。だからそんな人間がよく全ての人を救いたいとかいえたものだと思うが、どちらも正直な気持ちだ。優しい言い方をすればすごくシャイな人間だということだ。それはやはり昔から変わらないものを引き継いで今の考えに行き着いているのかもしれない。


・雄大な人間になろう

 そう考えると親がつけてくれた「雄大」で「太い」人間になれているのかというとなれていない。これは問題だ。こんなにありがちだけど立派な名前をつけてもらったにも関わらず雄大どころか狭く細い人間だ。でも最近そういう自分の性格とかそういったことに関して色々考えてみたりするが、なりたい自分になるためには時間が必要だと思う。時間というよりは経験なのかな。おそらく時間をかければかけるほどその分たくさんの経験をするからなりたい自分には近づいていく。それはなんとなく理解できるだろう。だけど僕はそんなに時間をかけたくない。できたら早く僕の体が自由に動かせられるうちになりたい自分を形成したいと思う。だったらやっぱり色んな経験しかないということだ。時間の許される限り目一杯使いたい。そしたらなりたい自分へとかかる時間は短縮されるだろう。大事なのは自分で思うことだ。確かにこの僕の名前も僕自身がつけたものではなく親がつけてくれた。だけど僕は1度として親みたいにはなりたいと思ったことはない。超えたいと思う。一瞬でも親をすごいと思ってしまった自分を恥じるぐらい超えてみたいと思う。これは要するに僕なりの親へのリスペクトだし親孝行だ。やっぱり僕は素直じゃない。それでもいい。だから親がつけてくれたから僕は「雄大」な人間になろうと思っているわけではないということだ。あくまで僕がその理由を聞いて僕もそうなりたいと思っただけだ。


・密かな目標

 まだまだ未熟な僕にも今いくつか小さな目標がある。そのひとつは「鹿児島に恩返しすること」だ。もっというと僕が暮らした「鹿児島」・「福島」に恩返しがしたい。今住んでいる神奈川と東京はまた別になる。ひとまずこの2つの県には何か恩返しをしたいと思っている。別に何をされたわけでもないけど小さいながらに色々感じて色んなことを体験させてもらった。その事実はずっと変わりないからいつか何かしらの形で恩返しをしようと思う。まだまだ先の話になると思うが。


・「自分らしく」ではなく「なりたい自分に」

 今回は名前の由来をただ書くためにこの記事を書いていたが気づいたら色々考えることが増えた。そう考えると今まではなんとなく「自分らしく生きる」とは言ったが、まだまだ制作途中の自分にとってはこの言葉は合わないのかもしれない。だから「なりたい自分になるために生きる」、そう思って過ごしたい。僕の場合、「自分らしく生きる」と言ってしまうと「自分は今のままでいいんだ」と考えて甘えてしまう。そう思って今後「なりたい自分になるために生きよう」と思う。


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