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夢から醒めたサンタクロースがクリスマスに星夜を駆ける

サンタクロース、いつまで信じてましたか?
うちは宗教上の理由からクリスマスがち勢な家庭だったため、わたしは小学5年生くらいまでは本当にサンタが実在しているのだと信じていました。それはもう、家族総出で騙しにきていたのです。と言うと少し語弊がありますが、いや、なんか…「サンタさんへのお手紙」とか書かされてたんですよね…。何が欲しいかを葉書にしたためて、サンタさん来るといいね~♪なんて言われながら、郵便ポストに投函するみたいな。
幸いなことにしごく健康的な子どもだったため、サンタが活動する深夜帯には超熟睡、うっかり赤い服を着た誰かに出くわすこともなかったのです。まさかサンタに送ったはずの手紙が、巡り巡って我が家の両親に届いていようとは、知る由もありませんでした。

そんな家だったので、クリスマスの夜は家族と過ごすのが当たり前でした。ちなみに晩餐の前後には食卓を囲んで、神からの恵みへ感謝の言葉を奉げます。いたって宗教感強め。
はじめてクリスマスの夜に恋人とプレゼント交換をしたのは、社会人になってからです。それまではクリスマスプレゼントは貰うものであって、贈るものではありませんでした。自分でも驚くほどの、ドえらい傲慢さ。そして恋人とプレゼントを贈り合うようになってからは、その行為の子どもっぽさを、ずっと毛嫌いしていました。だってクリスマスにプレゼントをもらっていいのは、夢見る子どもだけだから。

と思っていたのが、5年前の私です。

夫と出会ってから、あることに気づいたのです。
私と彼はけっこうな年の差で、18歳離れています。好きな食べ物から趣味から、何から何までけっこう真逆なため、お互いに学ぶことが多い毎日。特に年下である私からすると、彼と出会ってから劇的に世界が広がりました。
そうやって新たな体験を共有し合う中で常に祈ることといえば、少しでも楽しい時間を、できるだけ長く、長く―共に過ごしていくこと。

いつだか聞いた説教に、サンタクロースの服が赤い理由がありました。もともとは祝日に纏う司祭の服が赤色だったことに因んでいるそうです。信者の幸せのために、自らの体や命を惜しまない。司教としての覚悟を示す色なのだといいます。

小学5年生の時に夢から覚めてしまった私は、大切な人とのかけがえのない時間を積み重ねるうちに、今度は自分が赤い服を纏う番なのだと悟りました。分かち合ってきた思い出と、未来への希望を大事に大事に箱につめて、リボンをかけるのです。

クリスマスを目前にしたいま、夫が喜ぶ姿を想像しながら、彼へのプレゼントを考えています。もうワクワクです。
訳あって平和的別居婚をはじめて早半年経ちますが、クリスマスにはソリに乗って夜空を駆けたいものです。きっとあっという間に星屑の川を通り越して、愛する夫の元へと辿り着けることでしょう。

ああでも、わたしの家族や友人、お世話になった先輩やかわいい後輩、お茶目な姪っ子たち、大学の恩師…途中いっぱいいっぱい寄り道をしてしまうかも。

でもたぶん、夫は寄り道をしたことを笑って許してくれるだろうな。「楽しかった?」とかなんとか言いながら、抱きしめてくれる、きっと。

さあ、今年はなにを贈ろうか ―



■祈りについて書いたエッセイはこちら

■夫への気持ちを綴ったエッセイはこちら


息を吸って、吐きます。