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【掌編小説】スノウスコール

 東京では五年ぶりの豪雪だそうだ。
 上京して初めて、僕はこの大都会の積雪にくるぶしまで埋めた。
 念のため、車のタイヤをスタッドレスに替えておいて良かった。今日、明日に取材撮影 は入っていないが、何せここまでの大雪を纏った東京だ。カメラに収めない手はない、と 息巻いていた。そうだ、息巻いていたーーはずだった。
 合成皮ごしに触れる雪の温度は、防寒靴をものともしない。締め付けるような足の寒さから、カメラバックを小脇に抱えて運転席に逃げる。エンジンをかけ、そそくさとエアコ ンを入れるが吹き出すのは冷風。それでも暖かく感じた。
 車内は青白く暗かった。当たり前だ、フロントガラスに分厚い雪が積もっているのだから。
 なぜ乗る前に気付かなかったんだろう。そう自分の間抜けさを憎みながらも、じわじわ と熱のこもった感情が体を巡った。懐かしさと、悔しさと、凍った涙が溶け出すような感 覚。雪を落としに行かなきゃならないのに、僕の足は動かない。
 寒さではない。体がきっと、故郷に置き去りにしたこの光景に浸っていたかったのだと思う。


「どうしたの。馬鹿やってないで」
「ああ、そうか、ごめん」
 フロントガラスに重くのしかかった雪が、呼びかけた母と、そのままうっかり運転席に 座ってしまった父の手でさらい落されていく。僕はそれを助手席でぼんやり眺めていた。運転席に戻ってきた父が少し息を切らせながら、僕に声をかける。
「どうしたお前、やけに暗い顔してんな。門出なんだから、今日くらいお前はシャキッと 明るくいなきゃだめだろ。そりゃ東京にカメラを勉強しに行くなんて、父さんはまだ不安 だよ。てもしょうがないだろ、お前がここまで意固地になって行くって言ってんだから、 父さんも母さんもそれを信じるしかないんだよ。父さんたちが心配でどんよりするのはわかる。でもな、お前がそんな顔じゃ……」
「あんた、門出にお説教なんてやめて」
 後部座席に乗り込んだ母が制止して「行きましょう、駅」と笑顔を僕に向けながら促す。
 正直、父の話はほとんど入ってこなかった。僕はマッキーのことで頭がいっぱいだった。 痛くて、破裂しそうなくらいに。

 

 マッキーこと、槇原まきはらは僕の中学からの幼馴染で、味噌だとか甘酒だとかを製造する麹屋のせがれだ。高校は別々のところへ行ったが、お互い部活にも入らず、下校すると真っ先に地元の古びた純喫茶に集合して、夕飯どきまで馬鹿話に花を咲かせていた。
 写真に熱を上げ ていることももちろん話していて、親から借りたデジカメで撮った写真を披露したことも多々ある。なけなしのバイト代で中古の一眼レフもどきを買ったときには、一緒にピクニックがてら撮影にも出掛けた。
 マッキーは僕の写真を見る度に「すげえな」とか「プロになれよ」とか褒めてくれた。特に「これがホントにいつもの地元かよ!」と言われたときの高鳴りは今でも鮮明に覚えている。地元の麹屋を継ぐことで田舎から出られなくなると悲観するマッキーの世界を彩れた瞬間だった。今考えたらおだてていただけかもしれないが、当時の僕にとって写真がマッキーとの目に見える絆のようで嬉しかったのだ。
 全ての写真を見せた。その度にマッキーが目を輝かせてくれた。
 いつしか、マッキーが写真に驚いたり感心する顔が見たくて、僕はシャッターを切り続けていた。
 だから卒業式の後まで、地元を立つ前日まで、彼に東京でプロを目指すことを隠して、 マッキーを驚かせようと思ったのだ。親も説得できた、あとは期待してくれているマッキーにサプライズを決行するんだ。
 冷静に考えればわかりそうな悪行、図に乗っていたのだ。
 卒業式の後も変わらず喫茶店に集合して、僕は意を決して言った。
「実は上京してカメラの専門学校へ行くんだ。もっとここを綺麗に撮れるように、マッキーと僕の地元がもっと光を纏えるように……」
 僕の言葉は、マッキーの表情が曇るにつれて尻すぼみになり、消えた。
「いつ」
「明日出るんだ」
 マッキーのたった二文字の言葉は震えていて、そのままたくさんの感情が弾けて僕に降リ注いだ。

「なんで相談しなかった」 「急すぎる」「東京じゃ通用しない」「地元を捨てるのか」

「 もう帰ってくるな」

 ーー気が付いたら、ひとり、店の外に出ていた。火照った肌に涙が伝って、自分が嫌に なって、雪に埋もれるように家路を走った。


 車窓に頭をもたれて、もう見ることもないであろう白く化粧をした山々を眺める。結 局、雪は熱を冷ましてはくれなかった。
 悔しかったし、悲しくもあった。ただそれよりも、僕はただ写真が好きなだけで、マッ キーが好きなわけではなかったんだと理解して、それが虚しかった。僕の写真を褒めてさえくれれば、誰でも良かったのだ。だって、その証拠に僕のフォルダには、マッキーの写真は一枚もない。
 そんな自分が惨めで、また涙が出た。
「なんだ、泣いてるのか。みっともねえなあ。出発の日に地元が恋しくなってちゃ、東京行ってから苦労ーー」
 涙で揺らいだ眼前に麹屋の工場が見えた。屋号の旗が揺らめいていた。
 この道は、駅に向かう道は、東京に向かう道は、僕がカメラマンになりに行く道は、マッキーにはどう映るのだろうか。
 説教を垂れる父に向き直ったときの僕は、マッキーを撮りたかったのかもしれない。

「ちょっと待って」



 僕はフロントガラスの雪を手で削ぎ落して、もう一度車に乗り込んだ。
 ようやくエアコンが温風を吐き出す。
 まだ一枚だけマッキー見せていない写真があった。あのとき、車から降りてシャッター を切った雪道の写真。僕がここまでカメラを愛せた、マッキーが引っ張ってくれたその軌跡の写真。
 わだちを辿れば、あの頃の喫茶店に行きつくはずだ。
 本当に、タイヤをスタッドレスに替えておいて、良かった。






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【罪状】盗撮罪

主人公は名うてのパパラッチであり、常日頃芸能人のスキャンダルを追うハイエナ稼業に精を出していたため。

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