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【連載】釜石と私〜第5回:忘れもしない3・11〜


2011年3月11日金曜日


その日の午前中の仕事を終え、
お昼休憩をとっていた。


今日は19時から医師会の学術講演会が
予定されていた。


昼食を取りながら、講演会のテーマを予習する。


2階の休憩室で食べ終えた後、
1階に降りて午後の仕事に備えていた。


毎週金曜日は患者さんの数が多く、
何時頃に仕事が終わるだろうか、
講演会には間に合うだろうか、
と考える中、午後1人目の患者さんが来局した。

処方箋を受け取り調剤していると、
地鳴りが響き出した。



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ゴゴゴゴゴゴゴゴ…


音が鳴りはじめ、地震だなぁ大きいのかなぁ、
と様子を見ていると、大きな揺れに見舞われた。

立つのもやっとなほどで、
その場に居合わせた患者さんと、
薬局のスタッフで、慌てて外に出た。

私の働いていた薬局は国道に面している。

国道を走る車も、まともに走れないようで、
走るのをやめ、ガクンガクンと揺れていた。

国道を挟んで反対側にある家具屋の看板が、
大きくしなり、うねりをあげていた。

薬局の2階のガラス窓は今にも外れそうなほど、
ガタガタと大きな音を立てていた。

どれくらいの時間、揺れが続いたかわからない。

ひとまず揺れがおさまり、
薬局の中に戻ると、棚から薬は落ちていた。

テレビで情報を得ようとしたが、
停電しているのか、いくらリモコンを操作しても、
うんともすんともいわない。

とりあえず、
棚から落ちた薬や書類を片付けることにした。



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津波がくるぞぉ



遠くで声がした。

誰かが大きな声で津波の存在を伝えていた。

釜石に来て1年ほどの私の頭の中は
(津波?ふ〜ん…)といった程度のものであった。

避難という単語も思いつかず、
ただただ薬局内を片付けていた。

そうこうしているうちに社長がやってきた。

私が釜石に来た当初は専務であったが、
その後社長に就任していたのだ。

薬局職員の安否確認をした後、
暗くなってきたこともあり、
社長から家に戻るよう伝えられた。

私は社長の車に乗せられ、
当時住んでいた社宅に送ってもらうこととなった。

社長の車の中にはテレビがついており、
電波の入り具合が悪く、
ザァザァな画面ではあったが、
釜石港に押し寄せる津波の映像が流れていた。

本当に津波が来ていたことにはじめて気付いた。

社長からは明日また迎えに行くと話があった。


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3階建の一室


当時住んでいた部屋に戻ると、
夕暮れ時ということもあり、
ほとんど真っ暗であった。

携帯電話のライトを使い、
部屋の中の状況を確認する。

棚から本やらCDやらが落ち、
あたり一面散らかっていた。

幸いにも割れ物はないようだった。

電気はつかず、ガスもやられているようだった。

かろうじて水は出る状態であった。

特にやることもなく、
携帯電話の明かりを使って部屋を片付けていると、
ドアを叩く音がした。

ドアを開けると、そこには同期の友人や、
職場の先輩がいた。

心配して来てくれたのだった。

そして一緒に寝泊まりしないか?と提案された。
どうやら車の中でみんなで夜を明かそう、
ということであった。

はじめての経験だったこともあり、
この先どうしてよいかわからなかったので、
友人からの提案に安堵し、ついていくことにした。

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