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【ep12】カサンドラ症候群、最善の選択とは

いくら理想論を並べたところで、所詮それは机上の空論。現実として発達障害に苦しむ当事者やカサンドラ症候群に陥る被害者はたくさんいる。

カサンドラは発達とどうやって付き合っていけばいいか。

僕の結論から率直に言うと、今のところ「棲み分ける」という選択しかないように思う。付き合わないようにするのでもいいし、適度な距離を置くのでもいい。とにかく責任をシェアする範囲をできるだけ少なくすること。

極論のように思えるかもしれないが、責任や義務が重くのしかかる現代社会において、これはやむを得ない一つの選択としてしっかり視野に入れておくのが賢明だろう。

カサンドラ症候群に陥ってしまった人間は、「発達のせいでこうなった」と感じるかもしれない。それを否定するつもりはないが少々短絡的である、そもそも「発達に果たせない義務や責任が求められる社会」に根本的な原因があるからだ。要するに「発達の責任を肩代わりする」という行為に、カサンドラは苦しめられているのだから。「労わってもらえない」「わかってもらえない」ということに対する不満はその後に生じる二次的なストレスである。

もし、ここまで責任が問われるような息苦しい社会でなければ、発達はもちろんその周囲の人間も今ほど発達障害に苦しまずに済むはず。少なくとも発達の絶対数は変わらなくてもカサンドラの数は圧倒的に減るはずだ。

ところが悲しいことに、今の社会において定型が発達から身を守る方法はほとんどない。つまりは事業主なら発達の社員を解雇することが、発達の上司に苦しめられているのなら部下は会社を辞めるしか、パートナーが発達なら離婚あるいは別居するしかないというのが、現状において最良の選択になる可能性が高いということではないか。

発達のパートナーを持ちながら、家庭円満にうまくやっているケースも少なくはないのかもしれない。たまたま人生に求めるものや価値観が同じだったり志が同じだったり、素晴らしい人格や人柄、キャリアや資産などがあったりすればそれも不可能ではないはず。

人間には個々の性格や境遇、経歴や個性がある。そういったものが発達障害といういわば社会的ハンデを補うのに十分はたらけば、関係がうまくいく可能性はおおいに考えられる。そしてそういう人たちにとって、そもそも発達障害やカサンドラは問題でないはずである。

つまりカサンドラに陥っている人というのは、すでにうまくいっていないということ。今後関係が改善する見込みがあるにしても、ほとんどの場合は「別離」という選択がベターではないだろうか。

これは子どもの不登校問題にも通じると思う。

子どもが不登校になるケースの多くには、彼らなりの正当な理由がある。典型的には「いじめ」だ。登校するといじめが彼らを待っている。だからいじめっこと距離を置くために登校を拒絶する。

社会は「不登校」という事実のみを問題視したがるが、本質的には「不登校になる原因」に問題があるはずである。

「いじめっこと距離を置く」という無実ないじめられっこの選択は、僕は賢明だと思う。社会のシステムに反してまで自分の身を守ろうとする“自分の直観”を尊重した行為ではないか。

カサンドラにも同じことがいえる。

発達と距離を置くために選択する「退職」や「離婚」という選択は、自分の心や現実と真摯に向き合わなければ出せる答えではない。つまりカサンドラを脱するには、それ相応の覚悟が求められるということである。

しかし社会は「たとえ嫌なことがあっても学校にはちゃんと行く」「大人なんだから会社に行くのが当たり前」「責任があるんだから家庭を守る」という、弱者の防衛本能に寄り添わない常識が通念になっている。

そこに「No」を突き付けられるかどうか。

残酷なようだが、結局これは発達障害云々以前に、人間として生きる以上、時には誰もが直面しなければならない人生の現実である。


解説)

この問題に対する私の考え方は、この手記を書いた当時とそう大きく変わっていません。定型と発達は棲み分けるべきです。

ただしそれはパートナー関係においての話であり、組織となるとまた話は変わるかなと思います。この点が、当時の自分と今の自分の考え方の違いです。詳しくは発達障害者の楽園シリーズで書いているのでご覧ください。

カサンドラ症候群の多くは、発達障害のパートナーを持つ女性です。「恋愛中はうまくいっていたのに、結婚した途端に歯車が狂ってしまった」という方は多いでしょう。その原因は上記にあるように「責任」にあります。恋愛中は責任をシェアする必要がありませんから、発達特性を問題なくやり過ごせます。

ところが結婚するとさまざまな責任をシェアしなければなりません。ここで破綻するわけです。まさに発達&カサンドラあるあるではないでしょうか。

カサンドラの方すべてが私の提唱する方法で問題を解決できるわけではないと思いますが、「棲み分け」の目的は「責任をシェアする割合を減らすこと」です。相手の暮らしは相手の暮らし、自分の暮らしは自分の暮らしとしっかり切り分けることで(要は自己責任の暮らし)、カサンドラの負担は大きく軽減されるはずです。なぜなら相手の責任まで負う必要がなく、自分(や子ども)のことだけやっていればいいのですから。

もしかするとこれは、家庭内別居という形で実現できる場合もあるかもしれません。やり方は人それぞれかと思いますが、とにかく責任をどうコントロールするかが当該問題を解消する唯一の方法のように思います。

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