メンタルを強化する方法②
メンタルを強化する方法①の続きです。
前回はTwitterを引き合いにし、他人の悪意ある言葉にとらわれる無意味さについてお話ししました。
今回はストレスの主な原因と考えられる「環境のストレス」「人間関係のストレス」「タスクのストレス」の三つにどう対応するかについてお話しします。
※この記事は4,816字です。
①環境のストレス
環境のストレスとしてわかりやすいのが、学校のいじめ問題やブラック企業問題、あるいは毒親や育児、介護によるストレスなどです。人間関係のストレスと混同しそうですが、「環境を改善すれば解消する問題」か、それとも「人間関係を改善すれば解消する問題」かで区別します。
私がカサンドラになったのが、この環境のストレスが原因です。つまり発達障害者と働いていた環境によるストレスでカサンドラになりました。
正直私はメンタルの強さに自信がありましたし、問題解決能力や修羅場を潜り抜けてきた経験値も自負していましたが、最終的にカサンドラになってしまいました。
ぐっばいカサンドラをはじめこれまでお話ししてきた通り、仕事を通して発達弟とうまくやっていくために、当時の私にできることは何でも試しました。職種的に彼の適性に合わないならと、彼に合う業務を作ることにも挑戦しました。しかし結果は失敗でした。
最終的に私は「環境を変えるしかない」と考え、ひとまず事業を撤退し彼と円満に離れることを決意しました。会社員でたとえるなら「会社を辞める」といったところでしょうか。実際にはそんな単純な話でもないのですが、とりあえずわかりやすく言うなら退職です。
環境に起因して深刻な問題が生じた場合、一時しのぎ的な対症療法でトラブルに対応するのでなく、環境そのものから抜本的に改善する──というのが私の昔からの考え方です。発達障害関連の問題について考えるにつれ、その考え方の正しさへの確信を強めています。
もちろんリスクやデメリットもありますが、犠牲を払ってでも解決すべき問題かどうかは結局、自分で判断するしかありません。
環境を変えたり、あるいは私のように大切な何かを犠牲にしたりするというのは、とても勇気のいることだと思います。しかし人間追い詰められればそんなことも言ってられません。問題は早めに決断できるか、それとも手遅れになってから決断するかだけ。
そしてここでもっとも重要なのは「失うものへの執着を捨てられるかどうか」ということです。
たとえば退職するなら、一時的に収入が途絶えたり今住んでいる住居に住み続けられなくなったり、財産を手放したりする必要性に駆られるかもしれません。家庭を持っていれば家族に心配や苦労をかけたり、離婚を視野に入れなければならなかったりする場合もあると思います。
「代償を払いたくない」という執着や未練は、人の判断を容易に狂わせます。有事に「何の犠牲も払わないで問題を解決しよう」なんて都合のいい現実に期待などしていられません。そこで「自分にとって本当に大切なものは何だろう?仕事で得られる収入か?それとも肩書きか?社員か?あるいは顧客か?それとも物質的に豊かな今の暮らし?家族?財産?名誉?」と考える必要があります。
私の場合「自分にとって大切なものは家族。それ以外のものは後から何とでもなる」と、いったん家族以外のものを切り捨てました。ですから大胆な決断ができたわけです。
逆の言い方をするなら、自分以外の何かに価値観を預けたまま自分の本心に素直になれない限り、いざというときに正しい判断はできないだろうと思います。
また、人生のステージやそのときの状況、出来事などに応じ、臨機応変に考え方やライフスタイルを変えていく柔軟性も、執着心や固定観念にとらわれず人生の手綱を正しく操る武器になります。
②人間関係のストレス
人間関係にストレスを抱えている人の一部は、愚痴っぽく文句が多く他責思考です。人と向き合う際に「自分は正しい、相手が間違っている」という思考が当たり前なのでしょう。
もちろん世の中にはいろいろな人がいますし、すべての人に合わせる必要などありません。私も無礼な人間や独りよがりな人間には付き合いませんし、公私ともに距離を置きたい相手にはお互いのために(言葉を選びながら)はっきりとそう告げます。
逆も然りで、相手を選ぶということは、自分も選ばれる立場にあるということです。ですから仮に私を嫌う人がいたとしても粛々とそれを受け止めますし、時には反省もします。つまり「むかつく」とか「不愉快」とかそういう感情にいちいち左右されないということです。
これができると人間関係が(ひいては人生が)とても楽なのですが、実際にはできない人が多いようで、代わりに徒党を組んだり陰口を叩いたり悪い噂を流したり──と、いかにも日本人らしいというかアジア人らしいというか、子どもじみた代替行為で発散する人を目の当たりにするたびに白けるわけです。
子どもを持つと、パパママネットワークから時折そんな人に出くわすことがあります。それ絡みでおかしなトラブルに巻き込まれたことがありましたが、まぁその話も機会があればそのうち。
人間関係のストレスを解消する方法はやはり「付き合いたくない相手とは付き合わない」に尽きるでしょう。
ちなみにこれは私の経験談ですが、私の周りには愚痴っぽい人間や批判的な人間が集まりません。そういう人間が寄ってこないのは、私がそうでないからだと思います。
これは仕事においてもプライベートにおいても同じです。
私にとってもっとも身近な存在である妻は、ママ友に私の愚痴を言いません。それは、私が他人に妻の愚痴を言う人間でないことを知っているからだと思います。そしてそんな妻が仲良くなるママ友も皆同じタイプ、つまり旦那さんの愚痴を言わない人ばかりですし、夫婦仲が良好な人ばかりです。
人の関係は結局、類は友を呼ぶで形成されます。
付き合う相手をよく選ぶのも大切ですが、自分自身がどういう人間であるかを定期的に振り返るのも重要かもしれません。
③タスクのストレス
当たり前の話ですが、やらなければならないことが多くなればなるほど、人は余裕を失っていきます。溜まるに溜まった領収書や請求書、報告書など書類の整理&作成、顧客へのご挨拶に仲間とのコミュニケーション、実務もありますし仕事終わりの付き合いもある。家に帰れば帰ったで子どもの相手や世話をして、家族の面倒も見なければならない。家事もある。ああそういえば週末だからそろそろ義実家からLINEがくるな。義父母に送るための子どもの動画も撮影しなきゃ……。
タスクが増えていけばいくほど人はイライラしやすくなり、感情が乱れやすくなります。それが原因で職場の仲間とのコミュニケーションや夫婦関係がうまくいかなくなったり、友人と疎遠になってしまったりするケースもあるでしょう。
「社会人としてもっと頑張らないと」と考える人が多い印象ですが、私の考え方はまったく逆です。つまり「できるだけ頑張らなくていいようにしよう=タスクを減らそう」です。
生きていく上で「本当に絶対にやらなければならないこと」って、実はそんなに多くありません。仕事とはいえ、成果に深刻な影響を及ぼす業務というのはほんの一部。
もちろん職種により事情は変わってくるはずですが、要するにタスクにも優先順位があり、優先順位が著しく低いものから除外できるようトリアージしていく工夫が大切だと思うのです。
そのために相談や交渉などの一手間が必要だとしても、交渉一つで一つのタスクが恒久的に消滅するならコスパはいいですよね。
メンタルを強化する方法
メンタルを強化する一番の方法は、人生経験を積むことです。とにかくいろいろな人と出会い、いろいろな経験をし、いろいろなことに免疫と耐性をつけること。恥もかきましょう。苦難を乗り越えたり問題を解決したり、そういった成功体験を積むごとに人は強くなります。「強いメンタル」って要するに、いろいろなことに慣れているというだけのこと。
ちゃんと学習すれば、人と本気で向き合うのも、誰かと争うのも、トラブルと対峙するのも、修羅場を潜り抜けるのも、失敗を経験するのも、傷ついたり傷つけたりするのも、すべてその先の進歩や発展につながっていきます。
外国人からすれば納豆は衝撃的かもしれませんが、それを当たり前のように食べている我々からすると何の衝撃もないのと同じ。彼らは納豆を食べることすらままならないかもしれませんが、我々はそれを納豆炒飯や納豆とろろ蕎麦という献立にまで発展させられます。慣れている人間にはそれだけの余裕とキャパがあるので社会的にも生物的にも強いのです。
とくに失敗経験や、恋愛経験のように深い人間関係は、人生の経験値を積む上でとても重要です。
しかし現実を見てみると、人は必ずしも齢を重ねるごとに心が成熟していくわけではない様子。年齢に伴わない幼児性を備えた人間の多さを見れば一目瞭然です。
生き方は人それぞれですから、それはそれでいいと思います。
しかし経験を自ら拒絶している限り、強いメンタルを手に入れるのは困難なように思います。
それでも「強メンタルが欲しい」という無理な欲求に応えるとするなら、「リスクをとった後の対策について考える習慣」を身につけるのがよさそうです。
たとえばあなたがこれまで挑戦を避けてきたのなら、その理由は何でしょうか?
きっと失敗を恐れていたからでしょう。
人間誰しも、できれば失敗はしたくないものです。ですがいろいろな失敗を経験している人間は、基本的に「失敗してもいい」と考えています。失敗に慣れているだけでなく、失敗を取り戻す方法も知っているからです。ですからまずその人たちと同じように「失敗してもいい」という余裕を持つのがおすすめです。
これに有効なのが、「失敗を予測できる局面において、失敗を避ける方法を必死に考えるのをやめる」ことです。
失敗を避ける方法を考えるのでなく、まず「失敗した後の具体的な対策」を考えましょう。そうすれば、失敗に対する不安や恐怖心を克服し、ピンチをチャンスに変える余裕や機転が生まれるはずです。
あるいはこれまでこれといって大きな失敗をしたことがないのなら、「初めての大失敗を経験できるチャンスかもしれない、自分を試してみよう」と前向きに考えてみてください。
こういうふうに思考をスイッチできるかできないかで、今の自分のメンタルのステージが見えてくると思います。
最後に、孔子による論語、学而篇の一節をご紹介して本項を締めくくります。
“過ちては則ち改むるにはばかることなかれ”
人は誰しも過ちをおかすもの。問題はその過ちに気付き改められるかどうかということを説いた孔子の言葉です。
過ちをおかさない人間はどうなるでしょう?
きっと新たな気付きもなければ己を改める機会にも恵まれません。
そして己の過ちを省みない人間はどうなるでしょうか?
それこそが本当の失敗です。つまり「過ちて改めざる、これを過ちという」ということわざの通り。
失敗は成功の母であるということ。
失敗は恐れて避けるべきものでなく、それは成長や発展へのチャンスである。しかし己を改められなければ、それこそが本当の失敗といえよう。
失敗なくして人の成長も進歩もないというのは、古今東西の真理なのでしょう。
さて、ここまでのお話は一般論的ではありますが、私自身今となっては「古くさい考え方だな」「時代に即していないな」と感じています。てのひらを返すようですが、なぜなら「失敗は成功の母」とか「努力はいつか報われる」とか、そんな言葉は発達障害者に必ずしもあてはまらないからです。
というわけで、私がおすすめしたいのはやっぱり冒頭からお話ししているストレス対策の①~③、つまりストレスの根源を断捨離する方法です。
「みんな頑張っていてみんな努力しているのだから、お前も努力して自分を変えろ」という時代はもう古い。が、こうした根性論や精神論がまだまだ現役な現状社会。むしろ不景気により即戦力が求められるとともに同調圧力が加速しているようにすら見えます。
特性や国籍や年齢、性別にとらわれず、それぞれがそれぞれの方法でストレス原因を断捨離し、人生を最適化させていく視点が大切です。
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