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メンタルを強化する方法①

年末商戦の準備に追われる時期になってきました。このくらいの時期になると「今年ももう残り少しだなぁ」としみじみ感じます。

さて、年越しが徐々に迫る中、メンタルがやられたままハロウィンやらクリスマスやらを迎えたくはありませんよね。ということで今回は、「メンタルの管理」についてのお話です。

メンタルの管理はいわばストレスの管理で、ストレスにはいくつかの種類があると思います。一つは「環境のストレス」、もう一つは「人間関係のストレス」、最後に「タスクのストレス」です。ほかにもあると思いますが、まずはわかりやすいこの三つをピックアップします。

そういえばTwitterをやっていると「Twitterで心を病みそう」という人をぼちぼち見かけますが、これは「人間関係のストレス」が多いと思います。Twitterも一種の人間関係で、中には悪意を持って攻撃してくる人もいれば、知能の低さゆえ悪意なく人に迷惑をかける人もいます。

ただ私思うんですが、Twitterって実生活にほとんどまったく関係ないですよね。有益な情報は役立てればいいですが、無益な情報をそれと同等に扱う必要などないわけです。Twitter上の悪意なんて取るに足りません。少なくとも私のように匿名性の高い使い方をしていれば。

仮に素性を明かして実名で利用していたとしても、やっぱり実生活にさほど影響しないと思います。Twitterで私が中傷されたところで私の妻や息子が傷つくわけではありませんし、友人を失うわけでもない。仕事にも影響しない。攻撃力ゼロの中傷に対して過敏に反応してしまうのは、単純に自分自身の捉え方の問題=自分の問題です。

いくら自分に対して悪意を持つ人間がいたとしても、自分や自分の家族が直接的に傷つけられる可能性は皆無ですし、誹謗中傷による風評被害は訴訟で換金できるし、残るは事件性のない細々とした悪口などですが、そういう人達に対して「可哀そう」と思うことはあっても、脅威に感じることは(少なくとも私は)ありません。何もできないわけですから。

Twitterでメンタルをやられる人と私の違いは、「それが脅威でないことを知っているか否か」だけだと思います。

彼らは陰口を叩くことしかできないのですよ。むしろ哀れですらあります。

これはTwitterに限らず実生活でも同じです。陰口を叩く人間はたいてい何もできません。非建設的な人間は組織内においてもおいてけぼり。友人にも恵まれないでしょうし、パートナーにも恵まれないでしょう。優秀な人間から相手にされませんから。

それに気づいて姿勢を正せれば物事が好転する可能性はありますが、感情的な問題からそれを拒む人が多い。

これが発達障害に起因するならまだわかりますが、定型なのに妙に意地を張ったり「認めたら自分が惨めなだけだから」という理由で頑として動かなかったりという人は少なくありません。自信のなさや自己肯定感の低さがこれを助長する場合もあります。そういう人をたくさん見てきましたし、おそらく世の中そういう人が大多数です。

自分がその大多数に属するか否かは、自分自身の選択の問題。

私はそこに属するメリットを感じませんし心情的に気持ち悪いので、本当に大切にしたいと思うものをいつも大切にしています。同調圧力や馴れ合いや慣習で大切にするべきものを選んでいません。ですから他人の評価などどうでもよくて、ちゃんと評価してほしい相手にちゃんと評価してもらえればそれでいいのです。評価してもらいたい人に評価してもらうために頑張るのではなく、ありのままの自分でしっかり自分らしい生き方をしていれば、然るべき人間関係や環境が形成されるということです。

Twitter上で自分の正当性や正しさを証明する必要性も私は感じていません。実生活における取るに足らない人間関係においても同様です。悪意をもって私を誤解する人たちの誤解を解く作業などいちいちしません。誤解していればいいのです。何も差し障りありませんし。

義務や責任からそれを行う必要に駆られる場面は、家庭や仕事などでままあります。そういうときに敬意をもってしっかりと自分の考えを表明し、相手を納得させる言葉を選ぶ能力を身につけておく必要はあると思います。

しかし普段の生活にそれが求められることはほとんどありませんし、もしその必要性に駆られるとすれば、それは「周囲からそれを求められているから」ではなく「自分自身がそれ(周囲の理解)を欲しているから」に過ぎない場合が多いです。

つまり承認欲求や自己顕示欲による強迫観念に過ぎない。

そしてこの二つの欲求は、物事を実行する原動力になる一方、たいていの場合は自分にも他人にもほとんど役に立ちません。なぜなら、他人の自己満足を求める人間は基本的にいないからです。

他人の言葉にメンタルが左右される人は、自分を過大評価しているのではないかなと思います。

自分の人生の主人公は確かに自分かもしれません。

ただ映画やドラマと違い、主人公が必ず勝つわけでも成功するわけでも幸せになるわけでもないのが人生です。

自己の欲求に振り回されず、本当に目を向けるべきものにしっかりエイムできていれば、他人の言葉にメンタルが左右されることはありません。

その上で然るべき人に寄り添い、期待に応え、礼を尽くす。

幸せな人生はこうして築かれていくのだと思います。

ちょっと長くなったので、続きはまた次の機会に。

次回は「環境のストレス」「人間関係のストレス」「タスクのストレス」についてお話しします。



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