木下智夫

おもにFacebook上で、音楽と精神医療のことを書いています。本名アカウント、フルオ…

木下智夫

おもにFacebook上で、音楽と精神医療のことを書いています。本名アカウント、フルオープンですのでご自由にご覧下さい。

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精神病院で隔離されるということ

精神病理と向精神薬についてやみくもに勉強した時期がある。これはある一定程度の知性があり、そうして精神病と呼ばれたことがある者はみなそうだろう。自分の主治医よりも自分に詳しくなければ一応の高等教育を受けたものとしてはやりきれない。自分という精神の主体が病んでいると言われるのだから。 朝の7時近くなっても駒ケ岳から太陽は顔を出さない。冬らしく冷めた空気に広いマレットゴルフ場が沈んでいる。そうしてやがてラヴェルのダフニスとクロエをを思わせる夜明けに駒ケ岳が鮮やかに白銀に輝く。

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    • Eiji Nakayama presentsENATONE —エナトーネ—  濤(とう)CD発売記念LIVE中山英二(bass)北沢直子(flute)武田明美(筝)  ‘24.Apr.21.      at Over The Rainbow IIDA

      打ち上げに至って、私は一種安寧な違和感の中にいた。アンコールのあと、皆の前で中山がステージから私を名指して礼を述べてくれたあと、オフステージでおよそ公にしたことのないフォームのピアニストとしての私を高く評価してくださったのだった。私のフリーフォームは「逃げ」だと言って。ただ、私にアーティストとしての凄みがあるとすれば、それはピアニストとしてであるよりも、ライターとして、であると願う。 その時間はライブの演奏にも劣らぬ充実したコミュニケーションの一瞬だった、というと演奏と演奏

      • 三人十色(さんにんといろ) LIVE内藤哲郎(和太鼓) 小野越郎(津軽三味線) 木村俊介(篠笛)     特別ゲスト 加藤木朗(舞踏・太鼓)               at飯田CANVAS ’24. Apr.17

        私には木遣りと聞こえる「合唱」を降らせながら、演者4人がすうと舞台に登場してきたとき、私はその圧倒的迫力に、ジャズやクラシックでやるようには書きとめる力を失っていた。複合リズムとどこまでも日本のこころを現す旋律!加藤木の深いヒューモアを含んだ口上!客層も思いのほか若く、加藤木に促されて舞台に参加した観客も若かった。幸せも危険も皆で分かち合うというくすぐりに私も思わず微笑む。そうして朗声・朗音のシャワー、信頼するプロデューサーK氏の神が宿るという言葉通りの加藤木の舞!終止がパチ

        • A NIGHT IN SHICHIRIYA KANO YASUKAZU'S LIVE SHOW m.29.'24.

          Yasukazu Kano    and Kazumi Aren performed absolutely stunning Chord     music on the Shinobue at Shichiriya Sabo in Iida, Nagano, Japan During the performance, I even experimented with a glass of water to produce an even deeper and richer

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        精神病院で隔離されるということ

        • Eiji Nakayama presentsENATONE —エナトーネ—  濤(とう)CD発売記念LIVE中山英二(bass)北沢直子(flute)武田明美(筝)  ‘24.Apr.21.      at Over The Rainbow IIDA

        • 三人十色(さんにんといろ) LIVE内藤哲郎(和太鼓) 小野越郎(津軽三味線) 木村俊介(篠笛)     特別ゲスト 加藤木朗(舞踏・太鼓)               at飯田CANVAS ’24. Apr.17

        • A NIGHT IN SHICHIRIYA KANO YASUKAZU'S LIVE SHOW m.29.'24.

          美しい和音の調べ          狩野泰一 篠笛LIVE (共演 愛蓮和美)    in 長野県飯田市七里屋茶房 2024.3.29.

          その、篠笛とイメージするときに思う音よりもはるかに深く太い音をサブスクで確認しながら、私は水割りのグラスを弄っていた。ジャズでもクラシックでもないレビューを書くときにありがちな戸惑いなのだが、今日はそういった違和ではない、自分のなかの血の問題に沁みこんだ感動を、言葉に異化して定着する行為に苦慮していた。休憩時に狩野が横山門下の尺八の手練れでもあることを確認している。エルヴィンに深い影響を受けたプロのジャズドラマーであったことも。だが、そういった過去の学習・経験は、必ずしもいま

          美しい和音の調べ          狩野泰一 篠笛LIVE (共演 愛蓮和美)    in 長野県飯田市七里屋茶房 2024.3.29.

          Princess Clarinet of Iceland

          Arunnungur Arnadottir (I was struck at first hearing; some Internet friends told me that this is a very convenient thing these days: my Japanese sensibilities would not allow me to call this charming lady Arunnungur, etc., I'm sorry, Icelan

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          Princess Clarinet of Iceland

          ぼくの指揮した演奏

          ぼくの指揮した演奏、序曲パンチネルロ… ロマンティックコメディのためのオーヴァーチュアを、YouTubeとYouTube musicにもあげてしまった!

          ぼくの指揮した演奏

          ノマドを目指して

                       1991年 病院・地域学会での口演原稿 これ、能天気に無批判な部分、狭いパースペクティブ、用語・思索の不徹底など気になるところ多々あって、何十年ぶりかに手元についてから公表を躊躇っていた原稿なのですが、私の思考の軌跡、30歳のころには自信を持っていたマニフェストです。ちょっと思い切ります。 一度は実在したユートピアとしての治療共同体へのオマージュとしても...      

          ノマドを目指して

          サイバーパパと森田の夜

          森田の言葉を借りれば、森田の「連れて」来る日本のジャズシーンでもとびきり「ヤバイ」やつら、中でも最上級の三人は、森田の仲間たちと同様に極めてスクエアにハコ入りしてきた。トミタのプラネットを是非といってハコのオーナーから借りていったのが誰かは聞きそびれた。 すぐにエレクトリックピアノをさらいはじめた橋本の深く的確な、巨匠のようなタッチに私は驚いた。時間詰まってのリハ入り、音出しの安東のベースが重く深い。 バンドのサウンド、とくに森田のテナーがたまらなく懐かしい。暖かさだけじ

          サイバーパパと森田の夜

          奏の森のひとたち

          奏の森のひとたち、カナデル幸響楽団の演奏を初めて聴いたのは、長野県飯田市、風越の森こどもの森公園でのことだった。私は胸にこみあげてくるものをこらえきれず、ひとすじの涙をぬぐった。その涙をいぶかる心はなかったが、何がこみあげてきているのか、それまでの私の文脈、語彙では言葉で量ることはできなかった。 いま、レビューを書くべく、「奏の森」と題されたCDを朝から晩まで何度となく聴きながら一週間近くたった。深い、重大な、しかし軽やかな感動が繰り返し私をおそう。文章を主とするものでありな

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          Normalization and Mounting

          The reason why I try to extend the idea of normalization, which is an important perspective for people with disabilities, to "able-bodied people" is that it is no longer a classical statement that "a society that is kind to people with disa

          Normalization and Mounting

          Normalization of Mine

          I know that some people say that I have an old-fashioned habit in my terminology and thoughtful speech. I have heard some people say that I have an old-fashioned habit in my terminology and thoughtful speech. The term "normalization" is a r

          Normalization of Mine

          日下部かおりと西浦颯

          私は、続く極度の睡眠不足と浅い酒に眩む眼で、PCのディスプレイに浮かぶ、日下部かおりの愛してやまないイーヴォ・ポゴレリッチの動画、ベートーヴェンの最期のソナタを繰り返し観ていた。私にとって日下部は、だれが何といってもあの記念碑的CD、ZRODのひとだ。今回もメンデルスゾーンのトリオ一楽章だけ、日下部の許可を得て貼付させてもらったから、そちらを聴いていただきたいが、一聴、云われるポゴレリチの音楽とは対極の快活な「健康さ」がある。いまはそのギャップがわかる。「自分の音楽」に対する

          日下部かおりと西浦颯

          Yuja... 私のなかの...

          私がYuja Wangについて再び書くことはないと思っていた。心ない「スキャンダラスな」眼を注ぐいくらかの人々は散見するにしろ、マケラとの協奏曲や室内楽、ソロ活動の実績に、もはや私などの「応援」は必要ないと思っていたからだ。だが私はこの動画に出会った。私は私のなかのYujaに、もう一度つたない「ポエトリィ」を捧げたいと思ったのだ。 そう、一連の私のYujaに対する文章は決して「評論」ではない。 一聴、「指の速さ」に保証されているかのような、「指のコントロール」の「完成度」

          Yuja... 私のなかの...

          「時代の神」にせっつかれて

          なぜか私の指揮した吹奏楽曲

          「時代の神」にせっつかれて

          グルダのこと はじめに

          これまで書けないでいたユジャについて書いた以上、グルダに思考として接近するのは私の魂の必然で、やがてジャクリーヌにもたどりつくことができるのだろう。 グルダが指揮をするものとしても極めて優れていたことは、数々のモーツアルトのコンチェルトの弾き振りでも明らかだ。音楽に「覚悟」が見える。 弾き振りには無理があるこの大曲でグルダの音楽はすこぶるよく出ている。 ここでのグルダの指揮とピアノの技術を嗤った某有名評論家のDVDのライナーがあったが、指揮技術とピアニズムへの無知を露呈

          グルダのこと はじめに