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美しい和音の調べ          狩野泰一 篠笛LIVE (共演 愛蓮和美)    in 長野県飯田市七里屋茶房 2024.3.29.

その、篠笛とイメージするときに思う音よりもはるかに深く太い音をサブスクで確認しながら、私は水割りのグラスを弄っていた。ジャズでもクラシックでもないレビューを書くときにありがちな戸惑いなのだが、今日はそういった違和ではない、自分のなかの血の問題に沁みこんだ感動を、言葉に異化して定着する行為に苦慮していた。休憩時に狩野が横山門下の尺八の手練れでもあることを確認している。エルヴィンに深い影響を受けたプロのジャズドラマーであったことも。だが、そういった過去の学習・経験は、必ずしもいまの狩野の表現に直接的に現れてはいないような気がした。私は曲名すらメモを取るのをやめ、ひたすらその表現世界に身を委ねることにした。

日本で生まれたただひとつの楽器篠笛。穴ひとつに始まるその楽器の歴史を、狩野は物凄い集中力で解説演奏していく。その言説と演奏が鬼剣舞に至った時、狩野の深く鋭い歴史観の提示とともに私は震えた。1曲の長い、28曲にも及ぶ伝承を受けるため、狩野は庭元(にわもと)のもとに一生をかけて通い詰めなければ習得できないであろうという。伝承の形態・系譜が、コミュニティの護持につながっているという。「日本のカッコ良さ」と彼は形容した。青森、弘前に伝わる、登山囃子と下山囃子。1700mの山を演奏しながら登り、下るのだという。なんなのだろう、この狩野の表現の力は。そして狩野は「たまっている」と形容し、日本の一本締めまでを一気に解説した、根本にあるのは日本語のリズムなのだと言って。

二部は曲が続く。最初は狩野のオリジナル、フィッシュダンス。トラブルで極小音しか演奏できなくなった狩野がそれを逆手にとって、ピアニッシモだけで作り演奏した曲。とびきりリリカルな林正樹のピアノ録音音源を伴奏に。そしてオリジナルしか演奏しなかった可能のコペルニクス的転回点になった「ななつのこ」狩野ヴァージョン。かつてジャズメンであった狩野らしく、My Favorite Thingsのあと平和への気持ちを歌う、できたばかりのオリジナル、I・NO・CHI、じつは反戦歌であったハナミズキ、アルバムMATSURIからオリジナル曲、ラテンナンバーの Inside Out、MATSURIと続く。

アトラクティブなパフォーマンスに比して、狩野はシャイなおとこだった。私はモノ書きとしてインタビューしたい気持ちを抑え、会場を辞した。そんなコマーシャルな振る舞いを許さない深さと重さがそこにあったのだ。

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