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精神病院で隔離されるということ

精神病理と向精神薬についてやみくもに勉強した時期がある。これはある一定程度の知性があり、そうして精神病と呼ばれたことがある者はみなそうだろう。自分の主治医よりも自分に詳しくなければ一応の高等教育を受けたものとしてはやりきれない。自分という精神の主体が病んでいると言われるのだから。

朝の7時近くなっても駒ケ岳から太陽は顔を出さない。冬らしく冷めた空気に広いマレットゴルフ場が沈んでいる。そうしてやがてラヴェルのダフニスとクロエをを思わせる夜明けに駒ケ岳が鮮やかに白銀に輝く。

「山の美しさを見るんなら絶対冬ですよ」と熱く語った山男の親友のことを思い出した。そして今日もくっきりと風景を冴えわたらせるように快晴だ。

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だが、明らかな拘禁反応なのに向精神薬リスパダールで対処させる若い精神科医!冷たい空気を吸ってゆっくり散歩をすれば収まる自家撞着感や人々とのコミュニカシオンの欠如がぼくを澱ませ、攻撃性を増幅させているというのに、あえて閉じこめ続けるこの病院の医療。こんな病院はあってはいけない。もっと言えば、精神病院そのものがあってはいけないんだ。

西欧近代は理性によって支えられている。ここでの理性は理性以外のものを疎外(Alienate )したものを意味する。そしてAlienation はそのまま狂気を意味する。理性以外のものは全て狂気であるということだ。この始原の捏造が西欧近代の根本の歪みであり、現在に至る矛盾の原基だ。歪んだ明治期知性がさらにそのまま西欧の歪みを引き受け、日本古来のものぐるいの伝統を管理の対象に落とし込んだのだ。ここを詳述するには手元に資料がない。アウトラインだけ胸に留めておいていただきたい。

で、何が言いたいかと言えば「精神病」というものが「合理的」「生産的」近代を成り立たせるための捏造だったということ。「病」一般が捏造だったとも言えるのだが今はそこまで言及しない。ゆえに疎外 隔離するための施設:精神病院は、その初源において、近代を成り立たせるために捏造された装置だったのだ。

隔離収容施設としての精神病院に治療的意味はない。これが現実の当の西欧精神医療の流れだ。投薬治療 隔離 収容 一辺倒の流れも世界に逆行している日本くらいのものだ。

ぼくの情動の揺れを何かと病理 薬理に解消したがる今のドクターを哀れに思う。

人間の愛はもっと深くて強くて美しい。

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