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小学生と中学生の母。仕事、子育て、学びについて考えながら、あちこちに漂う囚われをちょい…

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小学生と中学生の母。仕事、子育て、学びについて考えながら、あちこちに漂う囚われをちょいちょい外して、自由に生きていきたいと思うアラフォー。

最近の記事

クリスマスの手紙

毎年この時期は、子どもたちがサンタさんに手紙を書くのが恒例。 中学生になった上の子も当然のことのように、熱心に書いている。 「毎年ありがとうございます。今年もよろしくお願いします。」 ちょっとビジネス感出てるような気もするが、真面目に書いているところがかわいい。 下の子は、 「サンタさんて、どうやって入ってくんの?! マジ難しくない?だって窓も閉まってるし煙突もないのにさ〜」 と、しゃべり方だけは高学年らしくいっちょまえだが、内容はまだまだピュアで、 一生懸命サンタさん

    • 子どもが地域をつくる

      もう20年も前、大学生の頃に、子育て支援に関心を持ち、武田信子さんの「社会で子どもを育てる」(平凡社新書)や、小出まみさんの「地域から生まれる支えあいの子育て」(ひとなる書房)という本を読んだ。ちょうどその時カナダにスタディツアーに行く機会に恵まれ、本の中に出てきた「チルドレンズストアフロント」という場所も訪ねることができた。 安心して子育てができるということ。頼っていい場所があること。 子育てだけでなく、人が生きる上で大事なことを「チルドレンズストアフロント」では体現されて

      • 晴れた日にはプールを出して

        4月半ば。 今日は暑かった。 子どもたちは朝から公園へと飛び出してゆく。 やれやれ、と私は久々の休みに 洗濯やら家事を進める。 しばらくして、 ガチャっと玄関の扉が開く音 「ママ、プール出して〜!」 「4月だけど?」 「だって暑いんだもん。足だけでいいから」 「…。まぁ、好きにすれば。」 ということで、 さすがにまだ4月だし、 がっつり水着着て大きいプールを 設置するのは気がひけるけど 小さめのビニールプールで足ちゃぷちゃぷなら よしとするか。 狭い敷地に、ちゃ

        • スマホ依存と児童虐待

          外へ出て愕然とすることのひとつ。 まだ学校にも上がってない小さな子どもがスマホやゲームにかじりつきながら歩いてたりベビーカーに乗せられている なんとも言えないうんざり感に包まれる これって児童虐待ではないのか。 すくすくと育つ権利を奪われていないか。 なぜこれがおかしなこととして捉えられないのか。 そこまで小さな子でなくても 小学生でも中学生でも 同じ。 電車のなか、ファミレスのなか 画面から目を離すことができずにいる なんという拘束 目に見えない拘束 スマホ

        クリスマスの手紙

          ローテク子育て

          スマホ脳という本が売れたり、これまでもスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツは子どものデジタルメディアの使用を制限していた等のエピソードが度々メディアで取り上げられることがあった。 子育てをしてみての実感は、そうした著名人の裏付けをなしにしても、子どもにとってのスマホやゲームの影響の大きさであり、「でももうスマホも手放す生活なんて考えられないから、しょうがないよね。みんな持ってるし」みたいな諦めの選択肢しかないようなマジョリティの声、あるいは教育の方向がそうであるように、ちゃん

          ローテク子育て

          バス待ちの時間を豊かにしてくれる写真

          今朝、仕事に行くためにバス停に向かった。 普段は車か自転車通勤だから、バスに乗ることは珍しい。 最寄りのバス停の前は、昔写真館だったのではないかと思われる建物があって、建物自体は使われてなさそうだけど、バス停に面している透明なガラス窓のところに、きまって写真がふたつ飾られている。 たまにしかバスを使わないけど、たまにバス停に行くと、いつも違う写真が飾られていて、その下にタイトルもつけられている。 きれいな景色を撮った写真、空を撮った写真が多い。 これまで何気なく見ていたけど、

          バス待ちの時間を豊かにしてくれる写真

          凸も凹もええやないか

          今日もめっちゃ楽しかったー! と一日の終わりに 満足げに話す子どもたち そして二人してスコーっと眠りにつく 何か特別な出来事があったわけでもない ごくごくありふれた日常 そこに 「めっちゃ楽しい!」 があること それはとても大事なことだなぁと思う 子どもにとっては 小さなことでも初体験だし なんでも楽しめてしまう 遊びの天才、学びの天才 そのステキなセンスが 曇らないように 親は環境を整えること できることはその程度かもしれない いや、環境を整えたら 子どもは勝

          凸も凹もええやないか

          なんとかなる!の魔法☆

          世間一般に漂う当たり前が 私のアンテナには つっかかり、ひっかかることが多く その囚われを外しながら ここまでやってきた 例えば、就活はしなかった 今はさらになんでもかんでも ○活 ってつけるけど、 人の人生の大事なひとコマひとコマを パッケージ化すなよ  って思うのは私だけなのか… パッケージ化されてた方が のっかりやすい場合もあるんかなぁ まぁわかりやすくはなるよなぁ でも私は括られたくないし パッケージのなかは息苦しいから イチ抜けたー、で そこから出た

          なんとかなる!の魔法☆

          文字を読めない書けない時期の豊かさ

          未就学の小さい子に 字を教えれば たしかにさっさと吸収して あっという間に読めたり書けたりして うちの子、天才ちゃうか? みたいな風になる場合も けっこうあると思う でも、よく考えてみれば 一旦字を読めてしまうと 私たちはそれ以後その字を見たら 必ず読んでしまう 当たり前か… いや言いたいことは もう読めなかったあの頃に 戻れないということ じゃあいったい まだ字を読めなかった頃は どんな風に世界を見てたんだろう もはや思い出すことはできない でもきっと すっごく

          文字を読めない書けない時期の豊かさ

          新たなチャレンジ

          もうほんとに毎日勉強、勉強。 40を前にして、知らんことだけらけやん! って気づく。 去年辺りから大学の短期の講座を受けたり、学びのコミュニティに参加したりしている。 今も毎週オンラインの講義を受けている。 仕事についてもそう。 同じ福祉の分野で、こんなに面白い取り組みをやってる人がおるんか!しかも、そこにも、ここにも!! って毎週驚きと発見の連続で、 正直ぼーっとする時間を惜しんで、本を読んだり、動画を見たりしている。 当然ときどき疲れてくるから、その時は思いっきりぼー

          新たなチャレンジ

          子ども時代を子どもらしく過ごすための選択

          我が家の子どもたちはいわゆる普通の小学校には行っていない。 近所のお友達やその親御さんに、どこの学校行ってるの?と聞かれ、子どもたちも答えてるみたいだけど、まだまだ認知度も低いから、へーーっていう反応で終わる。 これ、いつも悩む。子どもたちの通う学校はめちゃくちゃ素晴らしい実践をしていると思う。だけれども今の王道の教育からだいぶ逸れてるから、何からどう説明したら伝わるんかがわからない。 テストがない、教科書がない。たしかにそれはとっつきやすい特徴ではあるけど、本質はそういうこ

          子ども時代を子どもらしく過ごすための選択

          背ぇ抜かれた

          娘12歳、背ぇ抜かれた 大人の12年もそこそこいろいろあるけど 子どもの12年てすごすぎる ぼちぼち思春期か いやいや、まだまだ気配もない 寝顔を見れば、赤ちゃんの時と なんも変わらん 子どもの成長を感じるとき 私は人生の短さを感じずには いられない 残りの人生をどう生きるのか それが 人生をどう閉じていくのか ということにつながる メメント・モリ って言われるけど この数年毎日 メメント・モリしてる 死を思わない日はない ネガティブではない むしろ後回しにしたく

          背ぇ抜かれた

          与えること・奪うこと

          小学生の我が家の子どもたちは、とにかくよく遊ぶ。土日になれば朝からウキウキで近所へ飛び出していく。季節のいい時期は昼ご飯以外の時間を外で過ごす。なんならお昼も外にテーブルを出して友だちと食べる。 それもこれも、我が家はゲームもテレビも置いていないという環境が影響していると思う。もちろん動画の類も基本的に見ることがない。だから自然と外に出ていく、楽しいことを探しに。 受け身の楽しさと創造的な楽しさ かつてはテレビも見ていた時期があった。保育園に通ってた頃、夜バタバタと帰宅し

          与えること・奪うこと