スマホ依存と児童虐待
外へ出て愕然とすることのひとつ。
まだ学校にも上がってない小さな子どもがスマホやゲームにかじりつきながら歩いてたりベビーカーに乗せられている
なんとも言えないうんざり感に包まれる
これって児童虐待ではないのか。
すくすくと育つ権利を奪われていないか。
なぜこれがおかしなこととして捉えられないのか。
そこまで小さな子でなくても
小学生でも中学生でも
同じ。
電車のなか、ファミレスのなか
画面から目を離すことができずにいる
なんという拘束
目に見えない拘束
スマホを与えられることで
本来の自由を奪われている
これから何十年も
この世の中を生きていかなきゃいけないのに
もっとこの時期に
育むべきものがあるはずで
そこを省略したツケは
めちゃめちゃ大きなものとして
跳ね返ってくると思う
人は結局一人では生きられない
生まれる時から命が尽きる時まで
人とつながりながら
頼りながら頼られながら
面倒くさい付き合いも
あるかもしれないけど
そこに救われることもあって
そういう
人が生きていくためのチカラ
まさに「人間(人の間にいる存在)」としての
チカラを
どう育んでいくかを
もっと考えないと
と思う
育むというのは
一方的に付与できるものでもなく
暗記で取り込めるものでもない
生活する環境を整えたり
毎日のやりとりのなかで
生まれてくるものだと思う
そうした環境が用意されていないこと
スマホが与えられるだけで
人と人のやりとりがないこと
これはネグレクトの一種なのではないか。
もっともっと
今の時代の子どもたちが
置かれている環境の危うさを
共有できる人を増やしていかねばと思う。
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