持ち物の9割を手放す
片づけ、整理整頓、断捨離、終活にミニマリズムなど、片付けにまつわる話題は、生活のより中心部に寄り添い始めているように思います。かくいう私もかつては、マキシマリストでありました。今は、ミニマリストまでは言いませんが、持ち物の適正量を把握して生活していると自信をもって言うことができます。
今回は、そんな片付けられない自分からの脱却エッセイとしてこの記事を書きます。ただしこれで完成ではなく、追記や修正していければいいなと思っています。ぜひご一読下さい。
物に囲まれた日々
かつて育った家は、小さな団地なのにもかかわらず大量の物にあふれていました。玄関には大家族での暮らしかと思われるほど、大きなシューケースがあり、一つの部屋にいたっては、母と私、他の兄弟の使っていない物で埋め尽くされていました。家族全員にストック癖がありスーパーのビニール袋、紙袋、タオルなど大小さまざまな物が部屋中を支配し、それが当たり前の日々だったのです。
しかし、
結局ストックを含めた物のすべてを使い切らないうちにその家を引き払う日が来てしまったのです。
1回目の転機が訪れたのは
18歳の時でした。住んでいた母の家を出て進学をした際に、1度目の手放し活動を行いました。実際の自分に必要な持ち物はリュック2つ分くらいに過ぎませんでした。
そしてこの時感じたのは
人は生活するのにそんなに多くのものはいらないということです。
これまでの物に囲まれた暮らしから一変して、清々しささえ覚えました。ここから私の物に対する考えが変わり始めたと言っても過言ではありません。
帰省するたびに、残された自室の片付けと家全体の片付けを進めました。最終的に母が行ってくれた部分も多かったですが、物に対する目の向け方が180度変わっていった日々でもありました。
今、使うか、使わないか。
この2択に絞ることで、私の片付けは大きく進んでいったと振り返って感じます。片付けを通してこれまでの自分の暮らしを見つめ直し、未来への新たな明るい一歩を生み出すことができたのは言うまでもありません。
片付けは学ぶものである
学んでいないから出来ないだけで、出来ていない自分を責める必要はないのだと、声を大にして言いたいです。つまり誰しも最初から、片付け上手ではないということです。
幼い時、
「片付けなさいって言っているでしょう。」
という言葉を何度浴びせられたかわかりません。親の半狂乱じみたこの言葉は、私の心を縛り、鬱々とした感情を生み出しました。数えられないほど言われてきたからでしょう。
しかし、それでも片付けられなかったのです。
それは単に、片付け方がわからなかったからなのです。今でも覚えているのは
「片付けなさいって言うけれど、それってどういうこと?」というモヤモヤとした感情です。
言語化されていない、幼い自分の心の叫びでもありました。それが20歳前後まで続いたことで、物に対する考え方を、長い間変えることができなかったのだと思います。
学んで変わったこと
それは、大きく3つ。
①完璧にしなくていい
②自分にあった方法は変わる
③買い物が上手になる
①完璧にしなくていい
これは、かつての自分に向けたアドバイスでもあります。完璧にできないことで、自暴自棄になり片付けられないということを繰り返していました。
★★★★過去の自分の思考の癖★★★★
片付けようと思う
実際に手を付け始める
広い範囲の物をすべて出す
手に負えなくなる
完璧にできないことでイライラする
できないから、やりたくなくなる
途中で放棄する。
上の繰り返しで、ゴールが見えなくなる
そもそも、人が一人で完遂できる物事には限界があるという考えができるようになってから、以下のような流れに落ち着きました。
★★★★片付けに対する思考の変化★★★★
片付ける範囲を決める
もしくは片付ける個数を決める
いるか、いらないかの2択で考える
いるものはしまい、いらないものは手放す
上の繰り返しで整理整頓を続ける
少しずつ環境が整う
好循環が続き、片付けのハードルが下がる
もちろん、いるかいらないかの判断に悩む時も、少なくありません。そのような場合は、保管ボックスを設けて、一時的にその場所に入れておきます。しばらくして、その存在も忘れてしまっているのなら、それは今の自分にとって必要のないものだと気がつくことができます。
②自分に合った方法は変わる
世の中には片付けにまつわるハウツー本がたくさんあります。私自身、たくさん読んできたからこそ、言えることが一つあるのです。
自分に合った方法は
変わる
ということです。
その年齢、環境、家族構成、趣味に仕事など生活基盤が人生の節目で変わるたびに、片付けに対するマインドも変遷をたどるでしょうし、片付け方そのものも変わっていくのだと思います。
20歳の時に合っていた方法が、30代になった時にそのまま活用できるかというと、
そうではないのです。
その時々で自分に合った方法を模索する必要があるでしょう。言い換えるなら
片付け方の学びは一生続くのだと言うことです。
実際に、海外移住によって、物に対する価値観や片付け、物を所有することに対する見方がさらに変わったのです。これについては、最後の章でまとめたいと思います。
③買い物が上手になる
片付けと真剣に向き合うことで、物に対する審美眼も同時磨かれ鋭くなると感じます。
今持っている持ち物に合うかどうか
長く使えるものかどうか
飽きが来ないかどうか
所有することに対してポジティブな感情を持てるかどうか
引っ越し先でも使いたいかどうか
人におすすめできるかどうか
挙げ始めるとまだまだリスト化できそうですが、ここまでに留めておきたいと思います。要するに、物と自分とのつながりをクリアにしつつ、ポジティブな気分や感情を持ち続けられるものが、自分にとって必要なものだと思います。
さらに、明日の自分にとって、1ヶ月後の自分にとってはどうだろうかと見通しを持ち、物に対して立体的な視点を育むことは、非常に大切なことだと考えています。
持ち物の9割を手放して思うこと
海外転勤をきっかけに、持ち物をさらに手放さなければならなくなりました。結果的に
9割手放していました。
スーツケース2つと、段ボール6つほどの荷物でこちらに来ました。海外での生活も2年目となりますが、ああ、あれがなくてどうしても困ったということは
今のところ、ないのです。
つまり、あれだけシンプルな生活だったと思っていたことですら、必要がないものがあったということなのでしょう。ここでもう一度書いておきます。
9割手放すと、物理的な清々しくを感じるだけでなく、精神的にガラリと変化を感じました。あまり精神的なこと言い始めると、いわゆるスピリチュアル感が増してしまいますが、こんまりさんの言葉を借りて言うならば、自分にとっての適正量がカチリと決まる感じなのです。
それから、物を以前よりも大切にできています。かつて、ノーベル平和賞を受賞した故ワンガリ・マータイさんの「Mottainai(もったいない)」は、皆さんの記憶に未だに新しいものだと思います。
自分の暮らしを見つめ直すことから始まった片付けですが、広い視点でそれらを見つめ直した時、自分の生活だけでなく、地域の、ひいては世界の環境への影響にも関わってくることなのだと気が付くことができます。
環境はそこにいるすべての人間の責任でもあるのです。
大量消費社会は終わりつつあるのではないでしょうか。否、終わらせなければならないと思うのです。
まとめ
欲しいから手に入れる。
もちろんこの想いや感情を否定するつもりはありませんし、私自身も日々向き合っていくことだと思います。
手に入れる前のワンクッションが片付けという行動を通して磨かれ洗練されていけばいいのだと思っています。
時々この記事は、追記しながら筋トレのように自分自身の物との向き合い方を向上させるものとしていきたいです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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