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インキャの極みの僕が英語力"0"でアメリカ留学した話 ①(家の契約終了と延長不可。NYでホームレス??)

こんにちは😃

19歳でアメリカに留学したぞんぞんです。

今ではめっちゃくちゃ最高な思い出ですが、最初は本当に毎日泣いてました笑


当時は円高で、1ドル98円とかでしたので、
色んな意味ですごく楽しめましたが、
今留学って色々大変ですよね

そしたらここからは私の自分語りです笑

私は学生時代、とある競技で中学生から全国大会に毎年出場し、ベスト8まで進出したことがあります🫨
本気でオリンピックを目指してスポーツ一筋で生きていました。
しかし、突然の怪我を理由に途中で挫折しました。

競技をやめてからは毎日予備校に通い、勉強してなんとかそれなりの大学に進学しました。(日東駒専レベルですが、私は大満足してました)

友達もまあまあできて、順風満帆に過ごしていた大学2年生の春に、
いきなり両親から
「外国に一度は住んでみなさい。人生長いから、多様性を肌で感じてみなさい」と言われ、
断れず、その言葉から4ヶ月後にはアメリカのニューヨークに引っ越して、語学学校へと通い始めました。

当時の私は

・NYに友達はゼロ、知り合いもなし
・英語は受験でしたのみ、まったく会話できない
・1人で海外に住むの怖い
・人見知りで引っ込み思案
・日本食大好き
・友達に会いたすぎて、初日から泣いた

こんな感じでした笑

しかも当時通った語学学校は20クラスくらいありましたが、基本みんな半年ほど通って、アメリカの大学、大学院に進学する人ばかりで、
私の英語力は本当に学校で最下位みたいな感じでした。

しかも学生は300人くらいいましたが、日本人は他に2人しかいませんでした笑

しかも、勇気をもって日本人に友達になってほしいと話しかけたら、感じ悪くて、友達になれませんでした^ ^

今でもその人を覚えています。
当時20代後半の人で、
「おれはアメリカでは外国人としかつるまないからw、
君もせっかく外国にいるんだから、英語で友達つくりなよ笑笑笑」

と言われましたね…笑

まあ気持ちはわかりますが、10代だったんで、まあまあ傷つきました笑

そして諦めた私は、外国人に話しかけてみようと決心するのでした…🐛

しかし、なかなか勇気が出ずにそのあとも1週間くらい1人で過ごしました…😓


私はファッションがすごく好きで、いつもおしゃれだけは気を抜かずしていました笑

私の中でレジェンドのシカゴの2015復刻
懐かしのvetementsとマルセロバーロン笑


fendiに当時プレ値のすごかったyeezyバカ履きです笑

毎日おしゃれしていると、さすがはNYにくる留学生たちで、ファッションに関して話しかけてくれました😭

その中でも、台湾人のAは僕より3歳年上の男でした。

彼は英語は中上級クラスにいましたが、ラウンジで僕とよく話す関係になりました。

今見るとめっちゃ派手なアイテムを好んでましたね笑
若さですね…😂


僕は英語が話せなかったのですが、ゆっくり簡単な単語で色々話しかけてくれて、意思疎通も難しい中、フィーリングがかなり合ったのか、彼と毎日のように遊ぶようになりました。

台湾人のAは他にも中国人グループや台湾人グループ、白人グループとも仲が良く、色んな人たちのグループと遊ぶ時に僕を連れて行ってくれました。

そうして6ヶ月が過ぎました。
色んな人たちと話すうちに、6ヶ月の間に英語のみ毎日使う生活で、気がつくとなんの不便もなく英語で生活している自分に気がつきました。

語学学校では6ヶ月過ぎた頃にはhigh inter クラス(中上級)まで昇給してました。

その台湾人のA君と会ったことが僕の英語力と留学生活を変えてくれました。

友達も増え(特に香港や台湾、中国人が多かった)ので簡単な中国語も勉強してました笑

今でも挨拶や数字、本当に簡単な会話ならできます笑

そうして毎日楽しく過ごしていた僕ですが、とうとう台湾人A君の語学学校卒業が決まりました。

感謝の気持ちを込めて語学学校卒業式で彼に渡した花束

彼はNYにある大学院への進学が決まったためです。


そして僕にも大きな試練が待ち受けていました。

それは住んでいたアパートの契約が切れることを忘れていた事です。

突然管理人から1ヶ月後にでるように通告がきて、延長は不可能と言われました。

次回に続きます…!

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