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それなりに悲惨な家庭環境

父が酒乱。
母は放任。

常に喧嘩の絶えない家庭だった。
父に理不尽に怒鳴りつけられるのが日常。
暴力こそなかったが、玄関に立たされたり、
感情を爆発させた叱責を受け続けるのはきつい。
むしろ暴力をふるってくれたほうが助けを求められたのに、と思う。
見える傷があったほうがましだ。
心は常に悲鳴をあげていた。
目に見えない傷でボロボロだった。

うちは、父、母、父方の祖母、2つ下の妹の5人暮らし。

朝は、母と祖母(嫁と姑)の喧嘩を頭の上で聞きながら朝ごはんを食べることから始まる。学校に行く前から憂鬱だ。

学校から帰ってくると、夜は父と母の喧嘩が夜中まで続く。リビングの声が、2階の自室まで聞こえる。母が泣いている時もあった。

休みの日は、父が祖母を怒鳴りつける。血のつながりのある親子で、こんなに抑えられない怒りがあるのかってくらい。

小さい頃、うちがふつうじゃないと気づいた時…テレビの中の家族や友だちの家族との違いを感じた時、苦しかった。

たまに、私や妹も呼び出されて説教をくらう。

父は常にお酒をのんでいた。
母は私たちを助けなかった。
助けないどころか、仕事を独立してからは家にいる時間が極端に減った。母は家庭から逃げたのだ。当時は、逃げられる場所があって羨ましいと思った。

なんの力ももたない子ども。
逃げ出すすべも知らないし、頼り方もわからなかった。
学校であった嫌なことも楽しかったことも、
きいてほしいと思える家庭じゃなかった。
小学校から、卒業文集などの将来の夢は

“自由になる”だった。

他の子たちが職業や、優しいお母さんと書くところに迷いなくそう書いていた。
私の小さな心の叫びだった。

父の声、足音、扉を強く閉める音、
グラスをテーブルに置く音、
それらが響く家が、
父の気配が感じられる家が、

大嫌いだった。

学校から、父のいる家に帰るのが苦痛だった。

今でも、友だちに会うため地元に帰ると
ホテルに泊まる。
実家に帰ったとしても、すぐに2階の自室に駆け込む。
コロナもあって、ここ2年ほど地元には帰っていないから父の顔はしばらくみていない。
リアルに、次会うのは葬式だろうなと思っている。

家族と距離を置くことが、
私が自分の人生を生きる上で重要だ。
あたたかい家庭なんて、
私のいる世界線には存在しなかった。
おとぎ話の世界。

でももう、大人だからそんな現実を悲観してばかりいないで、受け入れるしかない。
少しでも家族のことを
考える時間が減ればなと思う。
そんな花仕事に出会えて、最近はほんの少し、幸せな気持ちが続いている。

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