記憶にすること
品川区へ足を運んだ。息子の歯医者に行くために。
別にいまの街であたらしく歯医者を探してもいいのだけど、なんとなく理由を残しておきたくて歯医者は変えなかった。4ヶ月に一回の定期検診、もう2年(息子の人生の半分も)お世話になっている歯医者。
大田区に住んでいたのに品川区の歯医者に通い、江東区に引っ越してからも品川区の歯医者に通う。こういうことが嫌いじゃないので、今日ももちろん楽しみだった。
朝旦那と下の子をさそったが、コロナもまた再燃してるしなぁと3歳とふたりで電車にのった。
京急線はものすごい。はやすぎる。しらべたら新幹線と同じ線路だとかなんとか、とにかく快特なんて駅を通過する時も新幹線のようなスピードで轟々と音を立てて通り過ぎる。
この記事を読むと線路幅が同じらしい。はやいことと関係があるのかはわからないけどとにかくはやい。
私は幼少期、基本東京メトロしか乗らなかった(というか東西線くらいしか乗ったことなかった)ので、地上の電車というのはいまもわくわくしてしまう。
わくわくついでに京急線の中吊り広告はもっとわくわくしてしまう。まぐろきっぷだのみさきめぐりだの、で、わくわくが抑えきれなくなり どこかに遊びに行くことが決定した。
歯医者はいつもどおり、彼はあまりに小さい時から通っているために完全に慣れてしまい、小さな体を大きな椅子に乗せて 泣きも喚きもせず 歯科衛生士のお姉さんたちとの会話も楽しみながら、1時間ほどで終了した。彼のこういうところを尊敬する。私は人の目をすごく気にするしあまりうまく話せないので、社交的で積極的な息子は本当に正反対だとおもう。
治療の間、どこに行こうか検索していた母(私)は、暑さと手軽さを考慮して、温泉という名のスーパー銭湯にいくことにした。
京急線にのり、窓から見える景色は、見覚えのある街を過ぎていく ノスタルジーを感じた。京急蒲田で乗り換え、横浜、横浜から相鉄で上星川に到着。
初上陸の街は、駅から出てすぐのところにスーパー銭湯があった。
スーパー銭湯なんていつぶりか。ちょっと緊張しつつ券売機でチケットを購入、タオルも借りて早速お風呂へ。
写真で見たとおりいくつか風呂があり、子どもも入れそうな温度のお湯に浸かった。ヒノキの天井と、ガラス張りの内風呂は、なんだか那須の大きなホテルに止まったときのお風呂みたいで、温泉と間違い池に足をつけたことを思い出しちいさく笑った。
ミントの香りのする風呂、薬用風呂、ジェットバス、露天風呂、寝湯。
常連のおばさま方がいるのはやはり緊張したが、息子がニコとするとおばさま方もニコとしてくれた。
3歳児と長風呂はもちろん不可能なので、サッと浸かり上がってから食事処へ。最近IUダイエットをしているのだが今日くらいはととんこつラーメンチャーシュー増しを食し、息子は相変わらずポテトを食べる。
風呂とご飯とあわせて2時間半ほど滞在し、横浜からは京急に乗って帰路へ。
思えば、何度も子連れで乗った京急線。
こちらにきてから電車を利用することはほとんどなくなったが、かつては月一程で江東区の実家に帰ったので1時間ほどかけて帰っていたなぁ。
次男が生まれてからは、赤ちゃんを抱き赤ちゃんと手を繋ぎ駅までの混んだ商店街を抜けるのが億劫で、ストレートに行けるモノレールでの帰省ばかりだったから、京急線はやはり今日一緒にきた長男坊との思い出に溢れている。
真っ白な肌に茶色い髪の毛、くりくりした目でかなりプクプクしており、我が子ながら目を引く可愛い見た目をしていたので、電車に乗ると必ずおばさまやお姉さんや、サラリーマンのおじさん お兄さん、学生たちにも話しかけてもらった。
なんとなく孤独に子育てしていた私にとって、電車は泣かないかヒヤヒヤの反面、あたたかさやつながりを感じられる時間でもあった。
やはり、この子は本当に特別な時間をくれたと思う。もちろん次男も同じベクトルで愛しているが、長男しかいない1年の毎日は、自分にとってこれからもこの先も変えられないものだと思う。
後方の、車掌さんと目が合う席を選んだ彼はこくりこくりと眠たそうにしている。
お兄ちゃんでしょ、って言わないようにしようなんて最初の2ヶ月くらいで忘れていた。毎日毎日わたしも必死だが彼も必死に頑張ってくれているなぁ。
今日ばかりはと17キロのしあわせな重みをしっかりと抱き、電車を降りた。
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