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現金を一律に給付することを経済政策にすべき理由


自民党と公明党が政府策定の緊急経済対策への提言を安倍さんに提出したということで、声が届くかどうかはわかりませんが、私も。

主な内容としては、「現金は社会の現在と将来の経済構造を選択する投票券である」という考え方と「経済構造とは稼ぐ人と使う人で成り立っている」という考え方をもって政策を立案・執行しましょう♪という提案です。

1、経済の急激な変動に対する困窮救済の政策であっても一律支給とすべき理由と所得・収入の大幅な減少を支給理由にすることに対する批判。

この場合、公務員やその外郭団体勤務、さらには年金受給者や生活保護受給、障害年金、失業手当などいわゆる社会保障制度の枠組みでの受益者に支給すべきではありません。その理由は所得と経済変動の影響を受け、所得や支給額に変動がないからです。また、税金や社会保険料をその所得の源泉とするものも、経済変動の影響を受けないでしょう。医師や看護師などの医療関係者や公共事業関係者などが該当します。また、これらの配偶者や子どもにとっても経済変動の影響という観点からだと所得に変動があるわけではないので支給すべきではないという考え方があるでしょう。しかしながら、私が支給すべきと考える理由として、所得に変動がなくても経済の急激な変動に伴う環境の変動は、出費の変動・消費額の変動となりうるわけでその所得の変動如何に関わらず支給すべきであるというものです。自民党と公明党が提案した所得・収入の大幅な減少を理由にすることに対する批判としても同様です。所得が変化せずとも出費先が変わっていくことは女性の方がより敏感に感じ取っていることでしょう。しかしながら経済構造が変わる時、使いたいサービスは供給も少なく高額であることが多いです。男社会の永田町は所得や収入といったオラオラな自分目線からの政策が出てきがちで、何に使ったら良いのか、どのサービスがベストなのかと四六時中考えている方たちというのはやはり女性であり、女性がどのような環境であっても政策決定プロセスにより多く携わらないとダメだよねぇといういい例ではないでしょうか。所得と収入、いわゆる稼ぎにのみこだわって政策を作ってしまうアンポンタンに猛省を促したいところです。

2、日常の生活困窮者の救済策として

所得や収入が大幅に減少したからといって、社会保障を受けている、もしくは受けずに頑張っている生活困窮者よりは多い所得であることが多いでしょう。この場合、おかしなところに線を引くとややこしくなるので安倍さんの裁量の余地を与えて支給されると予想しています。ただ、所得や収入に変化にない低所得者、生活困窮者にも現金を一律に給付すべき理由として、社会の経済構造が大きく変化する時、もし一時的にまとまったお金が支給されるならば何に使うのかという一票は等しく投じられるべきという考えです。生活保護受給世帯であっても何に使うのかまだ決めていない場合は躊躇せず貯蓄に一票入れられるような法的な環境も必要です。何に使うのか決めていないという理由での貯蓄も30万円くらいまでなら認めてあげればいいのです。所得が低い、あるいは生活が困窮しているからといって、教育水準や知的水準が低いわけではありません。例えば、我が国の所得の低い方や生活困窮者がスマホの使い方を知らなかったらどうなるでしょうか?スマホに付随するテクノロジーや部品、便利なソフトウェア、楽しいゲームなど、どれほど良いものを作っても消費されることはありません。我が国では、たまたま所得が低く、生活が困窮していたとしても極めて教育水準が高く、知的水準も高いのです。だからこそあらゆる企業がこぞってマーケティングを仕掛けることができるのです。そして彼らの選ぶものと所得や収入の高い者が選ぶものとを比べても、どちらが優れていて、劣っているなどとの判断はできないでしょう。置かれている環境からベストなものを選択していくと、環境の違う方からは想像できないものがヒットするかもしれません。そしてそれは生活の質を高めることに大いに貢献し、経済構造をより環境の変化に合わせたものとします。先ほどの女性の例もそうですが、投資や貯蓄は置いておいて、稼ぐ人だけが正しい消費ができるわけではないことに関して、おそらく反対はないのではないでしょうか。困窮者であってもその一票は貴重なものだという認識を持っている方なら、彼らの消費に対する判断、すなわち現金という票をもらってどこに入れるかという判断を頂くことも、とても貴重なことだという認識を持ってほしいところです。


3、社会の経済構造が変化する時

経済構造が変わりつつある時であっても、新しい構造が落ち着くまでは既存の経済構造の枠組みの中で消費者はその消費先を選択せざるをえません。我が国は、環境変化によって需要が増加、創出されたのにも関わらず、既存の経済構造の中で供給が少ないと考えられるサービスに関して、特定分野への補助金という形で供給を促進させてきました。この流れの中で、要件を厳格にすることで、民間主体のサービスにも関わらず全国均一のサービスを国民は受益してきたのです。ただ、この流れには大きな問題があります。私たちは現在、介護保険や保育・教育サービス、障がい者向けの通所サービスなど利用しているが、そもそもは所得の高い人向けサービスだったのを、これいーな、あれいーよねと政治家や官僚が声を拾い上げて補助金対象事業にしてきました。さらに元を辿ると厳しい環境におかれた人たちが地獄のような苦しみを延々と味わっていた時に、起業家や創立者がなんとかしてあげたいとビジョンを示して立ち上げたものであることが多く、当初は高額所得者(とその配偶者や子息)向けのサービスというかビジネスとして成り立たせるにはそうせざるを得ませんでした。それから、じわじわと高等教育が遍く国民に行き渡るようになるまでに相当な時間がかかりました。というか最後の砦の医学の高等教育はまだ偏ったところがあるかもしれませんが、大多数の人たちは全ての国民が高等教育を受けることに関して反対はしないでしょうし、保険をつかった介護や医療サービスの仕組み、保育サービスなども便利になったはずです。ただこのやり方を続けていくよりも、より早く本当のニーズをいち早く拾うためにも現金の一律支給という投票券を配り、自由に投票してもらうことによって正確なニーズをいち早く知ることができ、経済構造の変化をより促進することができます。そこで初めて稼ぐのが上手な高額所得者の登場です。おお、ここに投資をすれば稼ぐことができるんだなと投資を始め、雇用を創出し、目論見を立証することができたなら(利益をだすことができたなら)、より投資や雇用を増やして経済構造の変化を促進するでしょう。それをしないなら誰かが参入し、需要を満たしていくだけです。最近はある程度の目論見で投資を確保することができていましたが、まだ余力があるなら才覚のありそうな起業家には利益を出せずとも投資は集まり、雇用も創出されるでしょう。経済構造が変化する時、大企業は正規雇用を増やしません。正規雇用を増やすのは新しい会社です。社会の様子をみながら政治家や官僚が補助金を付けながら経済構造をゆるやかに変化させるよりも、現金の一律支給による投票獲得行動を促すことの方が、はるかにスピーディーで無駄なく、利権なく社会の経済構造を環境変化に適応することができるでしょう。

4、もし、所得制限などで給付額を変動、不支給とした場合と商品券での支給とした場合

もし、所得制限などで給付額を変動、不支給とした場合は生活困窮している人や困った人を限定した上での一時的な支援となりますが、支給されなかった人にとっては防衛的な消費・投資行動を取らざるを得なくなります。誰も助けてくれないということから自ら生活防衛力を高めなくてはならない。(元々高い人たちであるにも関わらず)そしてそれは貯蓄を増やし、投資を減らし、消費はどうしていいかわからない。自己申告なんて話が出ていますが、受給しているのがバレたら社会リンチに遭うからもしれないなんぞとビクビクしながら貰うなんて、リソースの使い方として適切だとはとても思えません。派手な消費行動も不謹慎極まりないとか陰口叩かれるかもしれませんので、頭のネジが二、三本抜けている富裕層でないとヒャッハーしながら経済に貢献できないでしょう。大人数を呼んでヒャッハーする世の中でもなくなりそうですので、トリクルダウンも起きません。高額所得者からみたらしょうもない金額でしょうもない区別をつけることにより、経済構造にはとんでもなく強烈なデフレ圧力となってのしかかってきます。麻生政権で犯した過ちを繰り返すべきではありません。リーマンショック後、強烈な円高を招いたのは麻生政権であり、民主党政権ではないことに過去に戻って注視しなくてはなりません。商品券での支給とすることは、現金は社会の現在と将来の経済構造を選択する投票を国政選挙とするなら、自分たちの住む街の地方議会選挙、あるいは所属する団体の代議員選挙ということになります。それはそれで重要なことだと思いますが、選択肢が地域や業種、時間軸で限られ過ぎることによる副作用で経済構造の変化に逆流方向に燃料を注ぐこととなりかねません。経済構造や消費の変化に際し、保守的な圧力のかかる商品券配布を政策としない方がよいでしょう。お金を必要としている人はもちろん、お金を使う理由や使途はそれぞれです。用途が限定された商品券などは教育分野でのバウチャーなどで利用すると必要な投資(この場合教育投資)が行き渡ると同時に、その獲得のためサービス向上の競争原理が働くなど市場の供給者にとっても受益者の将来にとってもプラスになるようなどちらも知恵を絞る環境での提供が望ましいと個人的に感じます。

5、消費税の減税よりも、世帯への現金の給付よりも個人への一律給付が良いという理由

消費税の減税よりも、世帯への現金の給付よりも個人への一律給付が良いという理由として、冒頭にあげた、現金は経済社会への投票券という考え方があります。消費税は低所得であっても必ず徴収されてしまい、所得変動のない年金受給世帯などにもより負担をかけるという税金で、生活を営む際に必ずかかる消費にも税がかかります。所得を全て消費に回すことのない世帯は、例えとそれが少ないものであったとしても貯蓄や投資を減らして生活水準を保つという選択肢があるのに対し、消費性向100%の世帯は消費税増税と減税はダイレクトに生活水準の悪化・向上につながります。そうであっても消費税減税よりも一律給付がよいという理由は、消費した金額の数パーセントという減税からくる各々の恩恵に差が出ることです。例えば5パーセントの消費税減税の場合、年間1000万円消費している人の減税額は50万円、300万円消費している人への減税額は15万円です。一律給付20万円ならば、1000万円消費している人も300万円消費している人も20万円受け取ることができます。一般的に所得が低い人ほど消費性向が高いので、一律給付の方が消費に向かう金額は大きくなるでしょうし、一般的な人々の生活により密着したサービスやモノに対する需要が創出されるので大きなビジネスチャンスが生まれるはずです。補助金を出し促進するにしても無駄打ちせず適切なセクターに対して出すことができます。そしてこのことは補助金を出すよりも需要者に直接支給した方がよりスムーズに経済構造を環境変化に適応できるよい例となるでしょう。補助金を出し供給を促進する場合は、いついつまでの期限にどうしてもこれだけの量の供給をお願いしたい時などに限定されていくべきだと個人的には思います。
世帯への支給に関してですが、この場合どうしても稼ぐ人が主で専業主婦や未成年の子どもなどが従となり、支給に格差をつけてされることを危惧します。この提案で何度も申し上げているつもりですが、経済は稼ぐ人だけで成り立っているわけではありません。むしろ使う人が知恵を振り絞ってあらゆるサービスや商品の品質や価格を比較熟慮した上で購入することによってその構造が成り立っています。稼ぎがいくらであろうとも一万円の消費をどれだけパフォーマンスの高いものにするかとの結果はおそらく一致しません。よって稼ぎの属性により給付額を変えることは経済の一面だけしか見ていないもので実効性が半減するでしょう。独身男性に10万円、世帯の中の子どもには一人当たり5万円、バツイチ子一人持ち単身男性の世帯は15万円とした場合、子一人持ちの単身男性の負担がおそらく独身男性世帯よりも多いでしょう。だとすると同じ経済政策にも関わらず負担軽減や生活向上に関して、子一人持ち単身男性の恩恵がより低いということになります。これを自業自得といって良いのかという問題となるのですが、その答えは、子どもに対してもその負担、負の恩恵がくることに関し自業自得論の説明とはならないでしょう。よって世帯単位で子どもの分の支給を稼ぐもの、あるいは大人よりもカットして支給することは公平な給付とはならないでしょう。生計を一にするという要件を付けることは、やはり稼ぎという面でしか経済構造を見ていないことに他なりません。というわけで、政府は余計な斟酌をせず、我が国の国民・資格を得て居住し納税している人たちを信頼して、お金持ちもそうでない人も、子供であってもお年寄りであっても外国籍の方であっても、同じ金額を一律に支給してください。その信頼は政府に対する国民の信頼となって返ってくるでしょう。

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