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【凡人が自伝を書いたら 102.僕はそういうわけにはいかないのです。】

「おぅ、お疲れ。」

いつも通りの、ややくたびれ気味のスーツを羽織って、上司が店に顔を出した。

事前に、店に来るとは聞いていなかったが、先ほど流したメールの件だろう、ややテンション低めだった。

「ハァ〜」と、ため息でもつきたそうな顔をしていた。

とりあえず、「お疲れ様です。」と声をかけ、2人でタバコに火をつけた。

「お前も見たやろ?あの議事録。」

「ええ、見ました。」

「そうかぁ。俺もあのまま店長たちに流すかどうか、迷ったんやけどな。変な話、隠してもしゃあないと思ってな。」

「まぁ、そうでしょうね。。」


「ぶっちゃけ、どう思った?」

割と予想外な質問だったので、多少考えたが、正直に答えた。

「うーん、まぁ、こうなったか。って思いましたねぇ。」

「そうかぁ。なんか、わからんでもないなぁ。」

「ええ。」

上司はうつむいて、何か物言いたげな様子だった。


「今日はいきなり店に来て、どうしたんですか?」

「あぁ、異動の件、どうなったかと思ってなぁ。」

どうやら、それが本題だったようだ。


僕は少し、ためらいがあったものの、あまり引き伸ばすのも良くない。どちらにせよ、今の店には次の店長が来ることも決まっているし、次の店長の店にも、すでに後任が決まっている。

直前になって「やっぱり行きません」なんて言えば、僕の異動先にも迷惑がかかる。


「俺、この辺りで、辞めようかと思います。」

意を決して、静かにだが無理矢理に、言葉を吐き出した。


止められるんだろうな。

以前、東京の店で社長と喧嘩して、「辞めてやる」なんて大騒ぎした時のように、あの手この手で、全力で止められるのだろうな。

そう思っていたが、

上司は、少しの間何も言わず、うつむいて、「蟻を見つめているんですか?」ばりに、店舗裏のアスファルトを見つめていた。

僕も、言葉はなく、静かにそんな様子を見ていた。


上司は、やっと口を開いたかと思うと、予想もしない、意外なセリフを口にした。

「そうかぁ。それがええんかもなぁ。」

これだった。

正直、何でもないセリフのようだが、僕が逆の立場なら、一言目にはなかなか言えないセリフだった。


止めたい気持ちもあっただろう。

理由を聞きたい気持ちもあっただろう。

何かを弁解したい気持ちもあっただろう。

もったいない、という気持ちもあっただろう。


上司はそれらの、どのセリフも口にせず、

「それがええんかもなぁ。」

そう言った。

それは、僕というものを理解してくれた上でのセリフであり、

僕のことを考えて言ってくれたセリフだった。


上司はこう続けた。

「だいぶ、悩んだんとちゃうか?」

「ええ。もちろんです。」

「そうやろなぁ。」

「お前、この仕事、アルバイトから10年くらいやってんのやろ? 

まだ若いのに力もあるし、経験も他の同年代の連中に比べたら、いろんなこと経験しとるよなぁ? 

部下からは尊敬されとるし、周りからも認められとる。 

お前もわかっとると思うけど、もう数年もすれば、普通に淡々と昇進して、いつの間にか俺のことをアゴで使うような、上のポジションが約束されとる。

そんな奴が、辞めるって、相当のことなんとちゃうか?」


「ええ、まぁ。」

上司が熱弁したので、圧倒されて言葉が出なかった。


「ホンマに、辞めるんか?」

「はい。辞めます。」


「そうかぁ。。正直、めちゃくちゃ残念やけどなぁ。まぁ、でも、お前のこと考えたら、それがええんやろうなぁ。」


正直、この上司、仕事がめちゃくちゃできるかと言われれば、そうではない。指示抜けや、メールの誤字脱字も半端ではない。コミュニケーションも「声の大きさと勢い第一」で、お世辞にも上手だとは言えない。

ただ、それでも何となく評価されているのは、単に社歴が長いこともあるのかもしれないが、この人柄の良さ、懐の深さだった。

普段は何となく頼りないが、最後の最後は頼りになる。性根が良い。そんな人間だった。


「理由だけ、聞かせてもろうてええか? やっぱこの店異動させられたんが、決め手やったんか?」

僕は、言葉を選びながら、答えた。

「まあ、それも理由ではありますが、一番は、僕が今辞めたほうがいいと思ったからです。これじゃ答えになってないのかも知れませんが、そういうことです。」

「このまま、異動して、たとえ行く先がめちゃくちゃな店舗でも、立て直して、一端の店にする自信はあります。あと数年すれば、出世もするのかも知れません。ただ、あの議事録を読む限り、僕はその間に、この会社のこと嫌いになってしまいそうなんです。」

「この会社には、大学生の時から約10年、世話になりました。人として育ててもらった恩みたいなものもあります。だから、会社のこと嫌いになって、仕事を嫌いになって、腐って、迷惑かけたくない。そうなる前に、今の良いうちに辞めたいんです。」

「今は、非常時だから、会社のいう事を聞いて、耐え忍んで、状況が回復して、出世して、思うようにやればいい。そういうことはよく分かります。

ただ、すいません。わがままなのは重々承知の上ですが、僕はそういうわけにはいかないんです。


「そうかぁ。わかったわ。」

上司は、ここで完全に理解してくれたようだった。

それは、そのある意味「心が決まった」ような反応でよく分かった。


「今までお前からもらった意見はあんまり通せんかったけど、これだけは死んでも話通すからな。100%、なんとかしろ!って言われるやろうけども、絶対通すからな!安心しといてや!」

今までもその覚悟を持って、話を通して欲しかったな。なんて思ったが、そこに上司の不器用な人間味が溢れ出しすぎていたので、なんだか逆に愛らしくも思えていた。

「すいません。ありがとうございます。」

上司は、「残りの期間、しっかり頼むで!」と言い残し、店を後にした。


「さて、そうと決まれば、みんなにも話しておかないとな。まずはチーフからだな。」

僕は、もう一本タバコをふかしたあと、店の中に戻った。


つづく


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