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【凡人が自伝を書いたら 48.琉球王国(下)】

4月。

沖縄では、あろうことか「セミ」がもう鳴いていた。(早い!!)

新しい店舗のオープンを迎える。

前代未聞、「24時間営業の新店舗」だ。(僕らの会社では)

近隣は「地元の定食屋」がメインだったので、物珍しさもあり、なかなかの盛況ぶりだった。ただ、深夜は思った通り「ヤンバルクイナ」が鳴いていた。(閑古鳥のつもり)

くそ!!!

だから言ったじゃねえか!!!

そんなことを思っていたが、行った時にはすでに決まっていたことだし、もう開いちゃったもんだから、こればっかりは仕方がない。


「成功がゆえの葛藤」

調理の新規組のスタッフは、僕の予想を上回る活躍を見せた。特に指示をあれこれせずとも、せっせと料理を出すことが出来ていた。質も申し分ない。

上司からは、「一体どんな教育をしたら、こんなスタッフが出来上がるんだ!?」

そんなふうに言われた。

そうでしょう! そうでしょう!!! もっとスタッフたちを褒めてやってください!!!

ついでにちょっとだけ、僕のことも褒めてください。(それはいらん)

スタッフたちが褒められるのが、自分のことのように嬉しかった。

ともに働いていた移籍組のスタッフたちも、これは流石に認めるしかなかったようで、「最初っから、ここまでできるんだ。。」そんなことを話していた。

僕もそれについては嬉しかった反面、少し心に引っ掛かることがあった

「じゃあ、私たちが受けた、あれはなんだったんだ。あんなにキツかったのに。。普通に教育されて、ここまでできるようになるんなら、私たちはあそこまで、つらい思いをする必要なんてなかったんじゃないか。」

言葉の端々から、そんな「後悔」のような、「悔しさ」のような思いを感じると同時に、自分たちの努力が「否定」されてしまった、と感じている気配が見えた。

僕はそんな人たちにうまい言葉をかけられなかった

「前の社員たちはポンコツだから仕方ない。」「あなたたちは頑張って来たんだから、何も悔やむことはない。」「運が悪かっただけだ。」「これが僕のやり方というだけだ。」

色々と言葉は浮かんでくるが、どれも悪く取ろうとすれば、いくらでも悪く取れる。それに、これらの言葉が彼女たちを「根本から救う言葉」だとは思えなかった。

過去ではなく、今や未来を見ることが重要だ移籍組のみんながいたから、お店が成り立っていることが事実だ本当にありがたいと思っている

そんなことを言えたらよかったのかも知れないが、

当時の僕は、そんな思いをはっきりと言葉にすることが出来なかった


「弟子」

くそ!!やっぱり手を出してれば良かった。

変に気を使うべきじゃなかった。


僕は後悔していた。「やった後悔より、やらなかった後悔。」

ズバリこれだった。

接客サイドがめちゃくちゃだった。

オープン当初は人数で誤魔化していたが、ずっとというわけにはいかない。粗が多かった。僕に一番近いところでは、「料理の提供」がままなっていなかった。忙しくなり、料理が増えると、すぐに料理が滞留してしまう。

持っていくテーブルを間違えたり、違う商品を提供してしまったり、ミスがとにかく多かった。料理提供を統括していた社員も、2年目になったばかりの若手で、忙しい時にはしっかりとした指示も飛ばせていなかった。

それを見た店長が、担当のスタッフやその社員を、厳しく叱りつける。その社員は反省した様子で、突っ立って黙り込んでいる。担当していた、高校生の女の子は、気の強い女の子だったので、悔しさからか、泣きじゃくっている。

僕は見てはいられず、フォローに入り、とりあえずその場を落ち着けた。

怒られていた若手社員には、正直腹が立っていたが、

「こいつも、今までしっかりと教わったことがなかっただけだ。」

そうやって自分に言い聞かせて、仕事終わりに、その社員を飲みに誘った。


「僕、正直、今まで忙しいお店やったことなくて、営業に自信ないんです。あの時も正直、どうしたらいいか全然わかんなくて。」

そんなことを言っていた。

僕は落ち着いてゆっくりと、言い聞かせるように、話し始めた。

「別にそれは良いんだけどね。俺が気になったのは、お前があの子のこと、庇わなかったことだよ。」


「え。。」


「だって、そりゃあ、お前はまだ2年目。俺からしたらアルバイトとそうは変わらない。忙しい営業について来れないのもわかる。

でも、高校生のアルバイトの女の子が泣いている。出来ないなりに、必死に頑張って、それでも出来なくて、怒られて、悔しくて泣いてる。

正直、アルバイトが出来ないのは、社員の責任だ。そいつらが怒っている。そんな時にお前は、黙って聞いてる。

違うんじゃないか?

俺が指示できなかったからです!っていうべきじゃないか?

仕事はまだできなくても仕方ないかも知れないけどね、それは社員として、人として、どうかと思うよ?俺は。」


こんなふうに、少し偉そうかな。とも思いながらも、話した。(オヤジの仲間入り)

この若手社員は(少し頭がおかしかったようで、)目の色が変わったように、僕の話を聞いていた。

少し、というか、かなり重い雰囲気になってしまった。(自業自得)

「って、ごめんな!偉そうに言っちゃったけども。」

そう言った時には、その若手社員の目は輝き、

「ついていきます!兄貴!!」的な雰囲気になっていた。

図らずも「不肖の弟子」が誕生してしまった瞬間だった。


「神」

店長に「料理提供がスムーズでないのは、レストランとして問題だ!」と、半ば無理やりの交渉をして、僕は料理提供のみ、教育を手伝うことが許された。

僕はアルバイトも接客出身なので、本当は接客の方が「得意」だった。ただ、調理をしっかり教えられる人があまりいない(僕の「兄貴」いわく)ので、やっていただけだ。

僕は先日飲みに行った若手社員を始めとして、料理提供を担当する社員に、一から再教育をした。マニュアル以外にも、効率的に提供する方法や、作業の組み立て方、指示の仕方、調理との連携の仕方。僕が持てる限りの知識を教えた。

徐々にその他のスタッフからも、教えを求められ、僕は教えられる限りを教えた。

徐々にスタッフたちも、力をつけていった。

いつも穏やかにわかりやすく教育をする。どんな質問にもパッと答える。どんな時でも、問題を解決してしまう。スタッフたちは「なんでもできるスーパーマン」みたいに思ったのだろう、スタッフの中では「神」と呼ばれていた。(定期的に教祖の香り)

あまり頼られるのは、スタッフの成長を考えると良くない。店長を超えるような振る舞いも立場的に良くない。

そう頭では分かってはいたが、もちろん悪い気はしなかった。


「満を持して」

僕のオープンチームでの活動はこの店舗が最後となった。

次にオープンする沖縄の店舗で、「店長」をすることが決まっていたからだ。

初めての「店長」だった。「初店長が新店のオープン店長」は会社でも前例が無かった。ただ、不安は無かった。

業務は全て知っていたし、アルバイト時代は近いこともやっていた。新店舗のオープンにも精通していた。

上司からも、オープンチームの集大成として、僕が名を上げることを期待して、これが任された。大いに期待されているのが、身にしみて分かった。

自分では、調子に乗らないように(弱点)気をつけているつもりではあったが、やはり僕もまだまだ「青二才」

今考えると、この時から、少しづつズレていってしまったのかもしれない。

つづく


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