ぐら
ときどき日記を書きます。アート、いきものが好きです。
いまのきもち
ロボットが友人のななちゃんを探すなかでじぶんに出会う話です。
こんにちは。ぐらです。 上記リンクは、現在まで作り続けている彫刻の一部の作品です。 いまわたしは、「やさしくわがままな創作者」として おばあちゃんになるまで、日々作品を作ることをめざしています。 選べない幼少期子どもの頃から、美大を目指すようなアーティスト気質であったわけではありませんでした。 高校は普通科で、つくえの上で勉強をひたすら勉強し進学、そして資格取得、就職をめざす学生でした。 もちろん、絵は好きでしたが、それに特化してできるタイプでもなくて、立体制作、運
わたしがVRを始めたのは2020年の春だった。 そして、作品が完成したのが2020年の秋だった。 まだまだ寒い2020年の早春。横浜の豪華客船の客員が感染力の強いウィルスのため、船の客室に閉じ込められられたというニュースを横目で見ていた。それから2、3ヶ月後、日本がパンデミックになっていた。船ではなく今度は日本そして室内に自分が閉じこもることになった。 わたしにとって部屋に閉じこもることはさほど難しいことではなかった。部屋にいることができれば、移動や他人と話す時間が減り、
ぼくのおばあちゃんはお金をためるのがとても上手。 キラキラしていて、チャリチャリいい音のするおばあちゃんのちょきんぶた。お金はとても大切だとおばあちゃんはいう。 大人になるまでにたくさんためておくと、しょうらい、けっこんしたら、およめさんを幸せにできるらしい。 おばあちゃんは今年のぼくの誕生日に4匹のちょきんぶたをくれた。 ちょきんぶたたちはぼくのつくえにはいる。 お金がたまればたまるほど、ぼくはなんでもできそうな気がしてくるんだ。 「シンジ、マッサージお願いできる?」 夕
「こんにちは。はじめてですか? わたしは、トレーナーのみどりです。 どうぞよろしく、こちらにおかけください。」 「は、はい」 ポスター:ここは鬼のジム。このジムではみなこぞって強さを磨きます。 (ここが噂の鬼ジム、ごくり) 見渡す限り立派な機械が並んでいる。 鬼ジムは、強くなるという夢を叶えてくれるジム。そのために全国からカリスマトレーナーが集まっている。 (そんな鬼ジムにわたしが通えるなんて・・・ごくり) 「こちらが当鬼ジムの入会申込用紙と規約にです。注意事項やジムの
わたしが考えれうる人の鬼を考えてみた。 case01:母鬼 負けられないときがあるのです母は。 負けちゃいけないときだってあるのです。 だから、お母さんは強くなります。こどもを守るために鬼になるんです。 case02:スポーツの鬼 試合で勝つためにぼくは鬼になる。 だって勝たないと面白くないし、試合を続けることしかできないから。 試合に勝つなら鬼になる。勝つためには鬼のような練習量も必要なんだ。 case03:熱い鬼 わたしは強い鬼です。 鬼に弱音は必要ありません
SF! 益田ミリ先生の「ミウラさんの友達」を読んだ。 2022年3月に発刊された漫画だ。 漫画デビュー20周年ということもあるのか、少し様子が変わっていた。 日常から生まれるキャラクターたちの関係性とその心の声を覗き見る作風は相変わらずとても魅力的でなのだけれど、今回はロボットというSFモチーフがキャラクターの関係を結び、そのロボットが5つの言葉しかしゃべらないという、なぞなぞまで読者に渡される。そのロボットは主人公はそのロボットとどのように過ごしていくのか、誰になんのた
ある日突然家からいなくなったおとうさんが帰ってきた。 わたしに声もかけないで、家を空けることなんて今までなかったから 心配だった。 けれど、なんだか変。 いつものお父さんじゃない。 おとうさんはなんだかとてもちいさい。 「なんでちいさいの?」って聞いたら 「神さまがお父さんに魔法をかけたからさ」 ちいさなおとうさんはそう言った。 次の日の朝、おとうさんは家にいた。 働きものなのに、仕事にでかけていない。だから 「なんで仕事に行かないの?」って聞いてみた。 そうしたら、
今日も父は車でわたしをむかえにきてくれる。 (←前回) -- 福山駅に降りた。改札に3人全員いた。車を駅近くに止めてきたらしい。 最初に父を見つける。一方、父は人をみつけるのが相変わらず苦手。まだ目が合わない、横を向いている。母は妹と何やら話している。 最初に家族を見つけるのは、いつもわたしだ。 改札の向こうに家族を久しぶりに見た。 父は、少しおじいさんになっていた。頭は相変わらず薄い・・・が白髪が増えたし、お腹がスッキリしている。 しかし、母はどうだろうか。変わらない
「あたり前。」 わたしはそんな言葉を聞きたいわけではなかった。 -- パンデミックはまだ続いている。けれども、その異常が日常になりつつあって、いま実家のえひめに2年ぶりに帰れた。 とはいっても、まだ家にはついていない広島の福山駅にいる。愛媛には新幹線は通っていないため、一度広島におりて来島海峡大橋を渡るのだ。 新幹線から橋を渡るには、バス、自家用車、自転車、徒歩という手段がある。もちろん、橋を渡らず船で愛媛に着く方法もある。 家族は旅が好きだ。たぶん。パンデミックが起こ
「さいごに食べたいごはんはなに?」 幼いのわたしの稚拙な質問を思い出していた。レオナルドダビンチの最後の晩餐の作品をなにかの本やテレビで知ったときにその興味が生まれたことを覚えている。 (わたしだったら、どんなごはんを食べたいかな) (お父さんだったら、なにを食べたいかな。食べさせてあげたいな) なんて気ままなものだった。 そのため、父がなにを食べたいと言ったのかも覚えていない。 (父が食べたさいごのごはんはなんだっただろう。) 母の情報からぼんやりと想像をした。事実として
うめぼしを捨てた。 祖父母の家、父の実家の裏庭にある 家をも刺しそうな腕をもつ梅から そのうめぼしは作られている。 遺品整理していると、うめぼしがやまのようにでてくる。 いつ作られたか分からないうめぼしはいつでも食べれるようにか、堂々とあちらこちらの床や冷蔵庫にたたずんでいる。父は家にある果物を余すことなく収穫する主義だ。友人に配ったり、自分で食べたり、果物が腐る手前で加工したり、冷凍する。 もったいないのが嫌いなのだ。 食べきれない。友人にも分けきれない。みていられな
ぼんやりとした暗闇のなかに 温かい顔がうかぶ。 目元がたれていて ほほ肉が盛りあがっているから口元が少し上がっていて ほほ笑んでいるような得な顔。 髪の毛は年のわりにある、けれど薄い めずらしくニヤニヤが少ない。 オペラを歌う正装になったりなんかして。 その顔はよく知っているなはずなのに 暗いなかでは知らない顔にみえた。 明るい場所で見るお父さんの写真はこわくない。 けれど、暗いなかで見る写真とこわい。 真っ暗ななかお父さんの顔をみたことがなかったんだなぁ。 おとな
おふろがひまになったかぞくとおふろ おふろはわたしにとってとても大切な場所だった。 それは、衛生的に保つため、病気にかからないためということもあるけれど 家族4人が温泉が好きで、わたしたちふたごがまだ家を出る前は 週に1度は家族でお湯に浸かりに行くほどだった。 女性が3人もいるので、女湯では家族の会話が始まる。 まさに、はだかのつきあい。 3人は身体が解放されたなかで 大切か重要か喧嘩かもわからないおしゃべりをする。 おふろを出たあとは、さっぱりツヤツヤ。 お父さんは先に湯
おふろってとてもきもちがいいけれど ちょっとたいくつ。 とてもきもちよくて あたまはまわるのに 考えたことが シャンプーといっしょに洗い流されてしまうかのように すぐに忘れてしまう。 手は水にぬれていて かみやペンはもてない。 おふろを出たあとに そうだ、なにかいいアイディアがあった気がする なんて思ったり さいきんは、スマホが防水になったこともあって おふろにスマホをスマートに持ち込んだりする。 カメラをのぞいて ここから誰かとつながってはこまったものだ といちお
(あらすじ) 色の変わらない、変われないカメレオンが 季節のなかで出会うのは? 色が変われないことを選んだことでであってしまう カノジョとのお話です。
終