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どこまでも幸せで、傷つけない傷つかないコミュニケーションを探して『ミウラさんの友達』の5つの言葉

SF!

益田ミリ先生の「ミウラさんの友達」を読んだ。
2022年3月に発刊された漫画だ。
漫画デビュー20周年ということもあるのか、少し様子が変わっていた。

日常から生まれるキャラクターたちの関係性とその心の声を覗き見る作風は相変わらずとても魅力的でなのだけれど、今回はロボットというSFモチーフがキャラクターの関係を結び、そのロボットが5つの言葉しかしゃべらないという、なぞなぞまで読者に渡される。そのロボットは主人公はそのロボットとどのように過ごしていくのか、誰になんのために作られたのかなど、最後の最後まで私たちを魅了してくれる。

さしすせそ言葉

ロボットから5つの言葉を提示され、自身の経験が思い起こされた。
潔癖症で神経質な彼氏だった。わたしは、喜ばせようと、好かれようと、嫌われないないように、怒られないように、悲しませないように、と必死だった。そのころ探していたのは「さしすせそ」の5つの言葉だった。

「さ」さすがですね!
「し」知らなかった!
「す」すごい!
「せ」センスいい!
「そ」そうなんですか!

そんな昔の死語やルールにひっかかる単純な人間がいるか。と思われるかもしれないけれど、神経質な勘のいい人でも言われるとうれしいようだった。(しかも一応彼女なのでその言葉を信じざるをえない)むしろその返答ではない意見、議論のような小賢しいことを話しエネルギーを奪ったとしたら彼にめんどくさがられ、×(バツ)がひとつつくことが分かっていた。×10個でアウトである。(実際は8つでレッドカードだった。)
今や三十路になり、そんな5つの言葉を守ろうとは思わないけれど、そのような雰囲気の言葉は時々日常で顔を出す。

職場やSNS

20代の頃、わたしの職場は8割男性で9割年上だった。
30歳離れた歳の男の先輩の背中を見ながら人付き合いや企画書、書類作成の仕事を覚え、お茶だしやコピーを20歳、歳が離れた女性の先輩達に教わった。感謝しかなかった。見守る目は温かい。娘を育てるように育ててくれる。基本的に仕事は楽しい。
けれど、3年がたったころ「このルールなんなのだろう?」「この仕事なんなのだろう?」という最初から仕事で感じていた違和感が言葉に出てきてしまいそうになっていた。
「なんで女性だけがお茶を出すんだろう」「なんであの男性はコピーを助けてくれないんだろう」「なんで女性で正職員は若い2人だけなんだろう」「なんであの男性は座ったままなんだろう」「なんであのおじさんはスマホを堂々とみていてもいいのだろう」「なんで現場の判断は優先されないんだろう」「なんで内部の人が最終決定しないんだろう」
人ではなく快適な組織や効率的な仕事には、こびりついた何かがあるのは分かっているけれども、人は好きなのに仕事が嫌い。という子どもっぽいわがままで思想が出てきた。
4年目は人は肯定したいけれど組織や効率的な仕事は否定したいその葛藤になりながらも、わたしは生活を続けるために「さしすせそ」のような言葉を駆使し、相手の自己肯定感を高めることで喜ばれながら職場の人と良好な?関係を築いていこうとしていたのだと思う。

SNSは現在も「さしすせそ」は常時稼働している。
Facebook、instagramの友人の報告への反応やtwitterの炎上にならない前向きな投稿など日常である。
もちろん、そのような投稿や反応を必ずする必要はないのだけれど、「嫌われたくない」「傷つけたくもない」「むしろ好かれたい」「やさしくしたい」「気づかれたい」「残されたくない」という自分の価値観と欲求がSNSの攻略ルールと依存させようとする人間支配と重なってくる。
地球は回っていて、わたしは生きていて、人間で、スマホを触っていて、SNSでスマホの向こう側の人間と会話していると言ってしまえば、今も5つの言葉でわたしたちは会話できしまっている。
けれども、行為だけみれば5つの言葉だけを話すロボットとなにも変わらない。いかに相手の自己肯定感を育てるかがルールだ。

自己肯定感があがる?

しかしながら、5つの言葉だけをしゃべるロボットがいれば、自己肯定感があがる、癒される、救いになると違いないと思ったのはわたしだけではないと思う。(とくにこの漫画を読んだ後であるなら尚更!ロボットが愛しくて!)

わたしたちは自分を肯定してくれた一言に未来に救われる瞬間が訪れるときがある。不安な世界から私たちの背中を押し、一筋の光をくれる、勇気をくれる。(言わずもがな、日本人は世界でも自己肯定感が低い国と言われているので、その反動のためにその場で感情だけが暴発する現象もある。)
けれども、本音で肯定する言葉だけを話せる人間は存在するのだろうか。いや、いない。肯定する言葉を浴び続けないといけない訳ではない。わたしたちは知っている。全ての思想を肯定できるわけじゃない。むしろ全てを肯定してしまうとなくす必要があるものもなくならない。だから、戦争がなくならないし、暴力はなくならないのだ。

人のために人がロボット化せよ。とメビウスの輪のようなどこまで尻尾が続くのか訳の分からないことを言っているわけではない。私たちはどこまでも幸せで、傷つけない傷つかないコミュニケーションを探してるのだ。そして、この作品がひとつの解でもある。

ロボットを育成しないということ

作品のロボットは肯定するロボットではなくただの反応するロボットだった。そレは、ロボットが育成型ロボットでないことから分かる。肯定するのであればもっと複雑な言葉や誰に言われたかの方が肯定感を高めることができる。
作品のネタバレになってしまうのでいえないが、主人公の満足とそのロボットの作者の願いが重なる5つの言葉のひとつひとつに気づくとき、やさしくささやかな幸せな言葉を見つけることができる。

わたしたちは生まれたときにどんな5つの言葉を話したのだろうか

人以上に人の肯定感を与えてくれるロボットが生まれるとき、そのロボットは何を思うのだろうか。たぶん人口知能がロボットには備わっているのだからある程度は考えているだろう。
では、わたしたちはどうだっただろうか。
「まま」「ぱぱ」「わんわん」「バイバイ」「ばぁ」などだろうか。なんとなく記憶にある響きの音だ。わたしたちは最初に話す言葉を反応ではなく、誰かに呼びかける言葉を選んだのだと分かる。

ものすごくうまくいってた関係でも
ちいさなヒビからパリンと簡単に割れてしまう
これまでだってうまくいかなくなった友達はいたけれども
慣れる、なんてことたぶんなくて

益田ミリ.ミウラさんの友達.2022,3,P.15

たぶん、わたしたちはうまくいっていた関係をまた簡単に割ってしまうこともあるだろう。
けれど、呼びかけたいのだ。話したいのだ。
割れると分かっていながらも、他者と接点を持てる言葉を使っていく。仲良くなれたその喜びを忘れることなんてないから。別れることに慣れることなんてなんてできない。
だからこそ、わたしたち人間は人を大切にしたい、話しかけ続けたいと思い続けられるのかもしれない。


ミウラさんの友達↓


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