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(連載48)初めてのミュージック・ビデオは昭和のやさぐれ調:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2006年

今回は、自分の回顧展についてお話しようと思ったのですが、、、、

その前にこれをご紹介しときます。前回もそうだったのですが、なかなか、皆様に動画というものをご紹介する機会がなく、(っていうか、望まれてもいないのですが。汗)

あ、そういや、これだったら、動画が、ネットに落ちとるわ!と思ったんですよ。

それは、何かと申しますと、この前のオノヨーコのイベントの直後に、自分の生まれて初めてのミュージックビデオを作ってもらったのでした。

なので、今回は、こちらについて書かせてください。

まず、

なにわ、ともあれ。。。。

ま、さ、か、自分のミュージックビデオなんて、思いもしませんでした。

すみません、また、ちょっと巻き戻して説明します。(今回、初めて読まれたニュー・カスタマーには、いつも必要以上に親切!)

以前にも申しましたが、私はもともと裏方(うらかた)出身。表に出る人をささえたり、舞台裏でサポートするような仕事を長くしてたので、自ら表に出て、何かやるなんて、とんでもない!!

。。。。と。思っていたのが、何がどう間違ったか、バンド活動にハマり、与えられた事やものを一生懸命やってるうちに、気がついたら、

表舞台で、スポットライトの下で、踊ってた。。。。。

え? アタシ ...... ヤバくない? 

こんな事やってていいの?


、、、、と、 盆踊りをしながら、ふと我に返ったりもしたが、

流れにまかせているうちに、あれYO 〜あれYO〜と、この始末ですわ〜。


そして、何がミュージシャンとしてのスタンダードかも知らずに、

ジャンポール・ヤマモトというバンドをはじめて、この時期はまだ、はじめたばかりで、サイテーな打ち込み技術と、最悪なギターのスキルで、なんも知らなかったこそ、始められたライブ活動!!

シナライからこそ、堂々とできた!

いや、実は「堂々と。。。」でも、なかったですが、、、。冷や汗

当時、自分が思ってたイメージは、こんな。

太平洋の荒波にたったひとりで、漕ぎ出す。。。。

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乗ってるボートはこれ。

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まさにこんなイメージだったんです。。。。


ともかくペダルさえ、踏んでれば何処かへ着くだろう。

だから、   

ただただ、  踏み続けた。


それしか、出来んかったしー!!!


何回かライブをやってるうちに、音楽のテクニックや、スキルよりも、度胸だけがどんどん、ついてきた。

まあ、やりたい放題やっても、自分のバンドなんで、誰からも文句は言われないし。見てる方も、嫌だったら、帰るだろうしー。てな具合い。

楽曲の方はライブ可能な最小限の演奏時間、つまり6曲くらい(20分くらい)作って、同じセットリストを毎回やって、アンコールなんかあるわけないので、それだけしか楽曲がなくても、まったく問題なくライブをこなしておりました。苦笑

それでも、いえ、簡単ではなかったです。バンドの運営、人間関係、ライブをやって、人を集めて、、、というので、いっぱいいっぱいだった。


いつもの長い前書きがやっと終わりました。

オールド・カスタマーの方(顧客ともいう)大変、お待たせいたしました!

やっと、本題に入らせていただきます!!!!!

その頃、私が音楽を始めるきっかけになり、ヨーロッパツアーまでやった

最初のバンド、セックスロバですが、

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この相棒のケビン、覚えていらっしゃいますか?

コリアン系アメリカ人!!

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泣く子もだまる、テルミンの超凄プレイヤー!!


そんな音楽の才能の持ち主なのに、私が「ギターがやりたい」と言い出した頃、彼は「映像がやりたい、、、」となってたんですよ。

いや、人生の展開って面白いですね〜?

もともと彼は音楽と同じくらい、映像オタクで、セックスロバの時も、自分で好きで集めた昔のSF映画の画像などを編集しなおして、ライブの時にプロジェクターで、うつしたりしていたんですよ。

それで、セックスロバが、まーひと段落して、私がギターやりたいっていったのと同じ時期に、ケビンはケビンで、音楽から映像の方に方向転換しようとしていたのでした。

ちなみに、今、思えば、彼のこのキャリア・チェンジは大成功!!!

のちに、彼は業界のメジャーな会社、ニコロデオンや、ドリームワークス、カトゥーン・ネットワーク、などで、アニメーターはもとより、ライターやその音楽をやったりして、もう大活躍してるんですよ!!!

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おめでとう!!ケビン!!

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一方の私は、、、今もって音楽で食えてない。。。


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同情ありがとうございます。


これにめげずに、お話を続けましょう!!!

その頃、ケビンがキャリアチェンジを考えてる時に、ハリウッドのエジプシャン・シアターで、Attack of the 50 Foot Reelsという、8ミリの映画祭を毎年やっておりました。そして、彼から「その素材を探してるんだけど、ジャンポールのミュージックビデオ、撮影しようか?」と、話を持ちかけられました。

その頃、それなりのバンドは、曲を作ったら、次はビデオを作るのが当たり前の時代でしたが、私はもうそれどころではなくて、ライブをやるのが精一杯だったので、考えてもいませんでした。

ミュージック・ビデオ!!音楽と映像がくっついてる、、楽曲のイメージに多大な影響を及ぼすと言われるやつ。。。。

イケてるバンドは、みんなイケてる映像を流してる!!

もうーーー作ってくれるんだったら、なんだって、やる!!と。

と、なりました。

しかし、

彼には条件があった、。。。

音楽は日本の演歌みたいなのがいい、、、っていうんですよ。

歌詞も日本語で。。。

え? あ、あのね。。。。

ケビンが日本の演歌を評価してるのは知っていましたが、(日本独特のものがありますからね)しかし、ジャンポールは、演歌のバンドじゃないし、。。。。

まあ、私自身が日本人だし、そういう演歌風っていう楽曲はあったのですが、それは、ヘビメタと演歌を合わせたようなやつでー。演歌そのまんま、、、っていう曲は、なかったです。

が、しかし。


。。。。そのまたのまた、一方。。。

昭和生まれの私なので、、音楽といえば、歌謡曲や演歌がテレビでいつも流れていた時代で育ってきましたので、そんな歌の数々が自分のディフォルトであったことは事実です。

それで、アメリカに引っ越してからも、その頃の歌をたまに思い出したりして、あんな曲もあったなあ〜、こんな曲もあったな〜と、思いをはせることもありました。

なつかしい、祖国の歌!!


おりしも、その頃、丁度、レコードやカセットテープからCD に変わった時代で、日本に帰国すると、復刻版が、CDになって、ガンガン出てたんです。なので帰るたびに、CDのレンタルで音源コピーしたり(合法)百均の演歌CDベスト版のようなのを買いあさったりしておりました。

ハリウッドのカラオケ・バーにひとりで行く時も、そんな日本で買ってきたカラオケCDを持ち込んで、歌の練習をしてたのは、以前にお話しました。

その後、自分のバンドをはじめて、音楽を自分で作るようになってからも、

ますます、やっぱ、いいなあ〜〜〜って。

それで、調子にのって、ライブの時に、自分のバンドの前座に、自分自身が出て行って、着物を着て日本の演歌のカバーをうたって、おちゃらけていたのでした〜〜。

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一番多く、歌ったのは、「藤圭子の夢は夜開く」とか、青江美奈の「伊勢崎町ブルース」とかです。(何が演歌で、何が歌謡曲かというのは、この際、おいといてください)

ただ、歌うだけではあきたらず、そのための、芸名、「ユニオシ・ケイコ」っていうキャラまで作ったんです。

ユニオシ、ってみなさんご存知でしょうか?

オードリー・ヘプバーンの「ティファニーで朝食を」は、ご存知ですよね?

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これに出てくるオードリー・ヘプバーンの住んでるアパートの大家が、日本人で、ミスター・ユニオシって名前なんです。

この役は、ミッキー・ルーニーという白人のコメディアンが演じているのですが、

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設定は、日本人らしく、デッパで目がちっこい。これ。

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ひどくないですか?このメイク!!!!爆笑

今から、言わせると、もう立派な人種差別で〜。苦笑


でも、私はそういうブラックジョークが好きなので、それを逆手にとって、

自分はミスター・ユニオシの娘だって事にして、

こういう、つり目のメガネをかけて、自身のキャラを作ったんです。

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普通のアメリカ人だと、もはやタブーの主題なので、日本人以外には、絶対にできないジョークです。

そんな、無茶苦茶リスクのはったジョークを、舞台でやったりしてたのですが、

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でも。。。悲しい事に、ライブでやっても、これがわかってくれる人が、3人くらいしかいませんでした。

そして、わかっても、日本人じゃないと、笑っちゃいけないジョーク、たとえ、笑ったとしても、あとで、「ごめん」って、謝るみたいなタイプのジョークの部類でした。

あまりにニッチ。。。。。トホホ

なんで、自分はいつも、こういうところにハマってしまうんだろう。。。

ここにも、なんか、映画秘宝の町山、柳下さんの影響があるような気がしてなりませんけどもー。苦笑

まあ、このユニオシキャラは、のちに演歌でDJをやらせてもらったりして、自分の中の日本人濃度を上げるのに、ずいぶん役に立ちました。

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話が、ディープになってしまいましたが、戻しますと。

ミュージックビデオの話でした。

で、おそらくケビンは昭和な日本のイメージのものを作りたがった。

が、ジャンポール自体は、そういう演歌まんまの曲は、まだなかったので、このケビンの要望にあわせて、わざわざ演歌?みたいな曲を、見よう聴きマネで、作りました。ミュージックビデオを作ってもらいたいという理由だけでね。笑 (音楽的ポリシー、ゼロ!)

歌詞も日本語でいいからと。なんとか、できたのをケビンにきかせたら、これでいこう!!!と。

彼は70年代の日本の映画、イメージは、日活の野良猫ロック、梶芽衣子でいくと言いました。(若い和田アキコが出ている映画シリーズ)

これ、、。。。汗

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あの。。。。

イメージは、梶芽衣子?!!

あ、あの、あたくし、が、つまり、梶芽衣子役???

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そ、そんなっ!

もともと、役者???演劇なんて、やったことないし、、、。 

おちゃらけた演歌はいいけど、真面目な女優なんて???

音があれば裸体ヌードドレスで、歌い叫びまくる、なんてのもまったくはずかしくないのですが、カメラの前での演技なんて、無茶苦茶はずかしい。。。。ホントです。

ただ、高校の時にスケバンとかそういうカルチャーが周りにあったし、前にお話した、永ちゃんがいたキャロルのファンクラブもそんな人ばかりだったので、まあ、体感覚でわかるっちゃーわかる。あ。ちなみに、私はスケバンではありませんでしたよ。父親は北九州市の教育委員会の指導部だったんでー。苦笑

自分的には、ここまできたら、このチャンス(ミュージックビデオ)をのがしたくないし、もう梶芽衣子を目指して失敗したくらいの出来損ないくらいだったら、できるかも、と、思い。。。さっそく黒いセンター分けのズラを買ってきてかぶってみました。

しかし、友達からは、梶芽衣子より、山下達郎やねーみたいと言われました。爆笑

その辺は厚めのメイクでなんとかせんと、ヤバイ。。。しみじみ。。。


でも、なんとかここまで頑張った!!

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それから、ケビンのリクエストは、すべて日本で70年代に撮影したみたいにしたいと。なので、キャストは全員日本人。服もなんとなく70年代で統一。そして、マクドナルドのサインなどがまったくない場所を選んで。。

できあがった、女子たち。。。。

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男子ら。

なぜか、まったく怖くないこの3人。笑

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それに比べるとこの二人はちょっと怖い。笑

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ケビンのすごいのは、この8ミリ映画フェスは、編集なしというルールが、第一前提なんです。だから最初から綿密に計画を立てて、撮影しなくてはなりません。後で、撮影し直すっていうことができないんです。

今みたら、本当によくできてる!!!

メインの楽曲の作詞、作曲は私が作りましたが、そのほかの効果音はケビンが作りました。

ちなみにこのタイトルは、自分で書きました。

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いつか、どこかで探してた。。。。

何もない、、、なんにもないんだよ〜〜!


それでは、十分に、お楽しみくださ〜い。

追伸。

よかったら、スキを押してくれたら嬉しいです。今の時点でたった9人!涙

L*




















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