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(連載29)自称ファイン・アーティストがマネタイズの方法を考えた:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:1990年代半ば

1990年代半ば。 アタクシ、
アメリカに引っ越してきて、はや4年が経とうとしていました。

その間、毎日、何をやってたのかというと、仕事は、フリーランスで。。。というとなんか、カッコイイですが、要するに行き当たりばったり。チラシや名刺のデザイナーみたいな事をやったり、日本人の友達が、アメリカで撮影の仕事をしていたので、そのアシスタントをやったり、日本からやってくる人を車で案内するアテンド業など。など。なんか、人に頼まれ「便利屋」みたいな事をやってました。

つまり、基本的には、サービス業。しかし、その間、何がなんでも、作品制作だけには、執着し続けておりました。これをやらないと、自分じゃなくなる。。。みたいなものがあったような気がします。

東京に住んでいた1980年代に、自分で作ったブラックな仕事環境のせいで(連載1)身も心もズタボロになってしまった私の自我が、無意識にこのあたりを学んでいたのかもしれません。

ありがたい事に、こういう作品制作に関しての執着を、夫のトッシュは応援してくれました。そのおかげで、この頃までにアメリカで、3回ほど小さな個展をやり、ファッション・ショーに見せかけたアートパフォーマンスを1回やる事ができました。(連載20)

しかし、、、だからナニ? なんですよ。

個展の初日や、イベントの当日は、人も来てくれて盛り上がり、「わーい!!やってよかったな〜」が、それが終わると、その充実感も、海の引き潮のごとく、去ってゆき、何事もなかったかのような、元の状態にもどる。

つまり、毎日せっせと作品制作に励んでも、あ〜、やっててよかったなあ〜。と、しみじみ感じられる日は、せいぜい1年に一回くらい。

今だったら、SNSがあるので、何かを作って、発信して、すぐに反応が可視化されて、数字が増えていったり(私の場合、1日、一人とかでも。汗)感激するので、それがまた、励みになったりします。しかし、この頃は、そういうものがなかったですから。。。

個展が終われば、しーーーーーーん。

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なにも、、、なし!

もちろん、これらからの収入はゼロです!

こんなにエネルギーを費やして、(もちろん、好きでやってんだから、文句はありません!)

でも、なーんか、ワリに合わん作業。。。。それがアーティストの仕事? 

じゃ、ワリ?って何よ?

で、今回は「アーティストと仕事=マネタイズ」について、書いてみようと思います。

前書きが、なっがーーーーーーーーっ!!!


日本で「アーティスト」というと「それで、食べてるの?」と、問われ、マネタイズしていないと、「趣味ですね。」と、そんなに本気にしてもらえない。。。マネタイズが、人の社会的な価値を決める大きな基準になってるという印象。今は違うかもしれませんが、当時はそうでした。

これに関して、この頃、興味深い経験をしたんですよ。

アメリカのビザをとる時に、職業欄に「アーティスト」って書いたら、

「主婦」と書き直させられたんですよ!!!

「アーティスト」って、職業としては、認められてない!!

つまり、アーティストって、職業名じゃないんですよ!

「主婦」は職業名として、通用するのに、「アーティスト」は通用しないのであります!!

つまり、裏を返せば、

職業名じゃないので、アメリカでは、
それで食べていようが食べてなくても自分が「アーティスト」って言えば、「アーティスト」で、あります。

それは自分で決めていいんです。


その昔、初めてのニューヨークで、何かのパーティーに行った時に、そこで、初めて出会った人たちに、「あなたは何をやってるの?」と尋ねると、全員が「 I am an Artist 」って言うんで、「わ〜〜!今、私は、ものすごいパーティーに来てるんだ〜〜!」って、むちゃくちゃ感激したんですよ。さすがニューヨークって!(なんかアンディ・ウォーホルのシルバー・ファクトリーのイメージ)爆笑

でも、後からわかったんですけど、誰もそのアート活動で、お金なんか稼いでなかったんですよねー。笑

穴の空いたものにヒモを通しただけで、すぐにアクセサリーのデザイナーになれるように、キャンバスをそこにおいているだけで、もうアーティストです。

いや、キャンバスなんてなくても、便器でも領収書でもなんでもいいんですよね。もしくは、まったく、何もしなくても。。。

自分でアーティストって決めたら、アーティストっ!!


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だから、他に仕事してようが、してなかろうが、全く関係ないです。少なくともアメリカだと、それで稼いでないからって、負い目を感じているアーティストはいないと思います。

ああ、もう、これは、素晴らしい!!!楽チンだし!!

で、私も、もちろん、その仲間入りをさせて頂いたわけなのです。笑

ただ、アメリカだとコマーシャル・アートとファイン・アートが、はっきり分かれてると気がついたのもこの頃でした。人によって、いろいろと定義はあると思いますが、大雑把に分けると、コマーシャル・アートはクライアントがいる(デザインとよばれるものも、含む)で、マネタイズを前提としている分野。

そして、ファイン・アートは、マネタイズ前提なしで、とくに現代美術だと、アートの流れに沿って語られる分野のもの。。。。であります。

ところが、この頃、私の作っていたものは、端から見ると、なんか中途半端。ドレスとかハンドバッグとか、実際に着れるし、使えるもので、クライアントは自分で、デザインと呼べなくもない。

ま、こういう箱の服などは、

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ま、論外でありましょうが。笑

こんな扉のついた服や、スカートが劇場になってる服。

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こんな洋服などを着て、パーティーに行ったり、ちょっと変わったハンドバッグ(鳥かごのバッグなど)を持ち歩いていると、「それってどこかで売ってるの?」とか 「それを量産したら、お金になるよ」。。。みたいな事を、言われました。

これ、鳥籠バッグです。上の部分が開閉する。

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他にも、こんなギターのバッグ(中に物がいれられる)とか

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こういうハンドバッグもすべて、中に物がいれられます。

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つまり、これらを、ファッション=コマーシャル・アートとして、売れば、アメリカでのビジネス・チャ~ンス!というわけです。

うーーん。決して、お金が嫌いな訳ではありません。笑 

いいなあ、プール付きの豪邸で、召使い。。。

本格的に自分のブランドをはじめたら、どうか?

しかし、その頃、何か直感があったんです。

なぜか、ファッション・デザイナーにはなりたくなかった。


別に職業差別をしてるわけではありません。今でも、尊敬しているすばらしいデザイナー達はたくさんいます。ただ、この頃の自分は、東京での経験で資本主義社会のシステムの中で、作る片っ端からどんどん消費されていく流れの中で、衣服を作るのは、いやだった。

なので、よく、ナイト・クラブなどで、お祭り騒ぎのようなファッション・ショーをやらないか?と誘われましたが、全部断りました。
今から考えたら、そこは強く意識的に、私の服は「一つの作品」だという自負があったんでしょう。

じゃ、ファイン・アートか?

うーん。こちらも、美大出身のアーティストと、イズムだの、なんだのって、アカデミック評論家とコレクターだけで動いているような世界のような気がして、自分にはよくわからない世界。。。。

私の作るものって、服とかハンドバッグとか、実用性を売り物にしてるので、そのあたりの線引きがむずかしい。

それって、わけないとダメ? 両方じゃダメなの?

逆にそんな中途半端な立ち位置を、なんとかキープできないか?と思ったんです。

つまり、ファッションとアートの間の境界線。

その境目を行ったり来たりできない?

前にも書きましたが、人は「アート・パフォーマンス」というと、敷居が高くて、気軽に動かないけど、「ファッション・ショー」というと、必ず興味を持ってくれます。

ファッションという言葉の開かれたイメージと、マネタイズのパワーを自分の作品に利用できないか?と考えた。

つまり、二足のわらじ、両方のいいとこどり!!


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(なぜかここから大阪弁!)

キーはファッション・ショーやでぇ〜〜!!

作品が溜まったら、ファインアート系のギャラリーで

定期的に、ショーをやるんや!! 

酒抜きで、人を集めて、ガンガン作品を売るんや〜〜!!

次回へつづく。

L*





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