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【短編】ロンリネス・ケバブ

ビルの入り口にはケバブ屋のキッチンカーがあった。
そこには既に数人が並んでいて、僕と先輩は辟易した顔でその列に加わる。
先輩は腕時計を見ながら、次のミーティング開始時間を気にしているようだ。
僕は彼女を見ながら人差し指の先っちょをさすっていた。今朝から妙に痛む。
ケバブ屋のラインナップには普通のケバブ以外に、ケバブ丼とケバブ弁当があり、ソースを選ぶことができた。
先輩は甘口のソースにして、僕はそれを見て辛口にした。互いにケバブ丼だ。
ビルに戻ろうとする僕を呼び止め、ここで食べて行こうと先輩は提案した。

ケバブ丼をお互いに貪った。先輩は唇の隙間からキャベツがはみ出ていた。僕はそれを指摘せず見る。すぐにキャベツは先輩の口内に吸い込まれていった。一瞬のことだった。
先輩になぜ甘口のソースを選んだのか聞くと、辛みが邪魔だからだと返答があった。
僕はケバブに関して大して知識もなかったが、本場のケバブはきっと辛いだろうという旨の事を言った。先輩の食べる手が止まる。
それからしばらく、先輩はケバブ丼を口にしなかった。
僕は彼女を傷つけることも、何も言っていないと思ったので、無関心にケバブ丼を食べ続けた。
結局彼女は、打ち合わせの開始時刻数分前にケバブ丼を慌ててかき込み、ゴミを僕に押し付けて戻っていった。
僕の休憩時間は20分残っている。

その夜、僕と先輩は居酒屋に行って飲んだ。
最初は直近の仕事の話をして、その後は結婚した同僚の話をした。
次いで先輩は僕の彼女の話を聞きたがった。
僕は最初しぶしぶ話始め、少し経つと饒舌になった。
話には出さなかったが、彼女と観覧車に乗りながら抱き合ったのが思い出され、つい話していて愉快になった。
先輩はだんだん笑わなくなり、甘い酒を飲まなくなり、終いにはホッピーばかり頼んで、どんどん濃くしていった。

目尻が垂れた先輩は唇を噛みながら、本場のケバブソースは辛いと言ってきた僕が嫌いだという旨の話をした。
大して理由も気にならなかったが、なぜかと聞いた。
すると先輩は、自身の大学生時代を語り始めた。

先輩が通っていた大学は留学生が多く、よくカルチャーの違いが話題になっていたらしい。

先輩は会話の中で、ある留学生から「甘口のカレーはありえない」という話をされたそうだ。先輩は甘口のカレーが好きだった。

なぜかと聞かれ、甘いカレーを美味しいと感じるからだと答えた先輩は、なぜ甘いカレーが美味しいのだと更に問い詰められた。

先輩はそこで説明できず黙ってしまったらしいが、その話し相手は、カレーが辛くあるべきだと、スパイスの種類と効能、カレーの源流・伝統などを裏付けとして延々と語ってきたのだという。

先輩はだんだん面倒になってきて、一緒に話をしていた女子の友達に助けを求めた。すると、その女子が「味を楽しんでる余裕なんてないのよ、ジャパニーズは。世界一忙しい、過労死の国なんだから」と笑いながら言った。

そこで先輩からの話は終わった。どういうことですか、僕は先輩の肩に手を添えた。この手を添える行為は、僕が彼女の話自体をどうでもいいと感じている証拠で、今になって思えば軽薄だった。

先輩は、寂しい感じがすると言った。

僕は先輩に「明日からケバブはどのソースにしますか」と聞いた。
先輩は「どうすればいいと思う?」と聞き返してきた。
僕は軽薄さの延長線上で「甘口にすればいいじゃないですか」と言った。

軽薄な発言だったのだが、彼女にとってそれは欲しい答えだったようだ。
笑顔になった先輩は「甘口しか勝たん!」と言って、妙に元気になった。

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