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【短編】倒れそうな私をPOPにしてよ

油断したら飛び跳ねるのをやめてしまいそうだった。だけど周りは腕をあげ、体を揺らし、頭を振っているから、私はしっかりバカなまま2ブロック目のセットリスト終了まで楽しみ続けることができた。

技巧派なフロウと独特な言葉選びが特徴的な、白髪の男性ラッパーは深くお辞儀をした後に、「まだまだ楽しんでいけ」という旨のメッセージを残して、ペットボトル片手に中央のステージから去っていく。

それを見届ける私は茫然としつつ体を火照らせていた。肩に手を置かれ、ミキだ、と思い横を向けば当たり前だけどミキがいた。

「フード行こ、たぶんめっちゃ混むよ」
「え、あー、でも次って」
「20分後だから大丈夫だって、早めに並んでサクッと食べちゃおうよ。ゴールドだし、遅れても全然見えるって」

できるだけ前の方で見たいフィメールのラッパーが来るのだが、私はミキの言葉に強く返せず人混みに混ざりながらゴールドチケットのエリアを出た。

「げー、やっぱ混んでるわ」

フードエリアでは出店が多く出ていたけど、丼ものだったり肉串だったり、写真を見るだけでも吐きそうなラインナップが並んでいた。私はそれから目を逸らすためにスマホでインスタを開いた。このフェスに呼ばれていない男性ラッパーがインスタライブをしていて、開いたら野太い声が流れ始め、慌てて閉じる。ミキは気付いていないようだった。

「フミカ、なんか食べたいのある?」
「ううん、私あんまり空いてない」
「えぇ、最後までもたないっしょ」
「いける、だいじょぶ」

ミキの訝しんだ表情からも目を逸らし、その先のハンバーグカレーからも目を逸らし、「食べる場所確保しておくね、あっち」と指をさして、その方向に歩き出す。ミキの表情がまだ曇っているのか確かめたかったけど、さすがに振り返る気にはなれなかった。

太いジーンズをアスファルトに密着させ、長座状態で天井を見た。
約3万円、ミキの分も立て替えたので数か月前に6万円が手元から消えた。
正直今朝まで行きたくないとすら思っていたこのフェス。ちょくちょく好きな曲が流れる中、私はずっと何次関数のグラフか分からないぐらい精神を波立たせていた。唐突に今朝の自分が戻ってくるんじゃないかと怖くなる。
周囲の食事、カップルも多い、みんな同じようなものを食べていた。
私は鼻をつまんだ。息が詰まり、体がぎゅっと締まっていくのを感じる。
このまま窒息死してやろうか、どうしようかと考えていたら喉が渇いた。
ミキが戻ってきたタイミングで、「飲み物いる?」と聞いた。

「じゃあレモンスカッシュあったから、それ」
「おっけい」

私は立ち上がって歩き出し、再び屋台の方に体を向けると、一瞬目に入った青い色からレッドブルがあると判断し、そのまま下を向いて列の最後尾らしき所に立った。前にいる男性のものらしき足、緑と白のエアフォースワン。
私は黒のエアフォースワン。
陳腐になりかけている「洗練されたデザイン」というやつに、安心感を覚える私がいた。

完全にミスした。私は愛する彼女の貫禄とダンスのキレキレ具合と、偶に見せるチャーミングな演出に頭がやられてしまい、貧弱な体を跳ねに跳ねさせてしまった。

普段は恥ずかしいと思っているハンズアップもノリノリでやって、ブンブン腕を酷使してしまったので、今は真顔で節々の疲弊を把握できる。

これはまずい。倒れるかもしれない。黄色いレッドブルが空っぽな腹の中でいやらしくちゃぷちゃぷしているのが分かる。

それでも平然とした顔で、「やばいねぇ」と静かにミキに言ったりしてみた。ミキは笑顔でぶんぶん頷く。よかった。なんとか友達だ。

なんとか友達、とか言う時点で私はここにいるべきじゃないかもしれない。

次、次誰だったっけ。私が確認しようとすると、「次、ほら」とミキがスマホを見せてきた。そうだ、また次も大好きだ。

しばしの暗闇の後、サッカーの試合らしき歓声が聴こえてくる。
彼の曲のイントロだ。

ごめん、好きだけど勘弁してくれ。私はステージに出てきた可愛い青年に「きゃー」と申し訳程度に歓声を送り、その後の2分足らず、可愛らしい程度に首を横に振って過ごす。

その後は浮遊感のあるビートが続き、彼のビートアプローチに改めてうっとりしつつ、私は安定した横揺れをキープすることができた。

「ねぇ、客演来るかな」

ミキはウキウキで言った。来てほしい、来てほしくない、来たらあの曲だ。フックでガンガンに縦ノリだ。土砂降りのゲロが足元に撒き散らされる光景を想像したら、とても大歓迎とは言えなかった。

私は会場を見回した。意外と単体の曲が知られていないのかもしれない。とってもいいのに。みんな彼が客演で招かれているメジャーな曲ばかり期待しているのかも。急き立てられるようなビートの上で、不気味にフローを残していく彼の姿も、MVやSpotifyで鑑賞する分には魅力的だ。

でも、今は、今は、勘弁してほしい。
私みたいな人だって、この場で楽しめるんだって安心させてほしいのだ。

「みんな最後の曲だけど、たぶん知ってるよね?」
うぇーい、うぉーい、きゃーきゃーきゃー。
「知ってる?ほんとに知ってる?」
知ってるよ、もちろん知ってる、あなたのどんな曲でも。
だからね、気が変わって、あの再生数まわってる曲の自分のパートだけやろうかななんて気まぐれ起こさないでね。

その祈りが通じたのか、そもそもそんな気まぐれ起こりようもないのか、とにかく最後は、音こそ重いものの、彼の独自性を裏付けるかのような代表曲が流れ始めた。

ブレイクタイムでミキがナンパされていた。

白いオーバーサイズのシャツに太いジーンズの私と比べ、ミキはかなり体のラインが出る服を着ていた。ミキは私より体つきがふわっとしているけど、太っているわけではない。

どういう体の仕組みしていたらそういう肉の付き方するのっていうぐらい、
絶妙なバランスを保ってスタイルキープしていた。していないか。ミキが食べ物我慢してるの見たことないもんな。

ナンパしてきたのはセンター分けをした高身長と、それのサイドにいる小鬼みたいな金髪の男子。ナンパの舵をきっているのは高身長の方だが、小鬼も何かの間違いでこっちに来いと期待しているのか、ちょいちょい茶々を入れていた。

「えー、でもフミカも超細くてスタイルいいんだよ」

いつの間にそんなところまで話がいったんだ。私は心の中でつっこみつつ、危険を察知した動物のように体を硬直させた。しかしすぐ「肩の力抜け」と自分に命じ、口角をあげながら、「そんことないから、マジやめてよ」「いやマジで、ほんと細いから」、男子たちは興味なさげに笑顔を若干引きつらせた。

傷。
彼らの引きつった表情が、私の胸にぐっと刃物を突き立てるような、それは既にあった傷を再びこじ開けられるような感覚。
私は歯医者とかタトゥーパーラとか色々な経験を思い返して、そのうえで「あぁ、やっば、煙草吸いたすぎ」と野太い声で言った。

「え、行く?」
「いいよ、すぐ始まるでしょ。ここいて、私行ってくる」
「あー」
「次見たいでしょミキ、私はちょっと無理そう、ヤニ切れ」

そう言って作り笑いすると同時に、男2人にも素早く目を向ける。どうも2人とも非喫煙者らしく、そうなんだぁという表情をしている。「ここらへんいてくれたら、私戻ってくるから」と言って、返事を聞かずに私はゴールドエリアを再び後にした。

私は喫煙所まで歩きながら、後ろを振り返る。フェスのタイトルがステージのサイドにあるスクリーンへ映し出されている。

POPは君のもの、か。英語できないけど、多分そんな感じ。

なんかPOPはミキと、あの男2人と、この会場にいる私以外のものであって、私のものにはならないんじゃないかと、とか。

くだらない、脳をこれ以上動かしたくない。
私は喫煙所で絶対に2本吸いすることと、ついでにレッドブルの2杯目を購入することに決めた。

私が出口から出る瞬間、会場は暗くなり、歓声が聞こえた。

明日、行けるかな。ミキにそう言おうか迷ったが、「ヒロキくんって人の方を聞きたかったんだけどんぁ」と連絡先交換失敗の件について憂いているのでやめておいた。彼らは1日目のみだったらしい。

「ねぇ、フミカどう思う?」
「でもその、ヒロキくんってほうチャラそうだよ。金ネックレスしてたし、あーゆうのつける人ナルシストっぽいし」
「偏見やば、でも確かにつける人によってはダサいかも」

会話が成り立っているかはどうでもよかった。
優先席に座った私たちは舞浜で大量に乗ってきた客に膝を圧迫されながら話す。視界の端にはリボンの付いたカチューシャがフラフラ揺れており、なぜか私はそれを目障りだと思った。

ミキが東西線に乗って、私は山手線に乗るからと「また明日ねー」って手を振って別れた後、なぜか安心してしまう。
第二世代のAirPodsをつけて、池袋・上野方面の線路を見下ろす位置に来て、なんでこんな前出てるんだ私と後ろに下がって、丁度そのタイミングで電車が来た。
山手線はそこまで混んでいなかった。なんといってもまだ土曜日だから。

ミキはどうせあの高身長男子に会おうとする。そして高身長男子は私のことを話題に出して、ちょっとだけ馬鹿にしたりするかもしれない。
ミキは私と男を天秤にかけ、その場の会話だからと言い訳して私を酒の肴にするんだろう。

新宿駅に着いて、喫煙所で煙草を吸う。明日出演するアーティスト、全員終えているわけじゃないし、公式プレイリスト見ても知らない曲の方が圧倒的に多い。でも今から聴いたことのない曲を処理するほどキャパはなくて、座り込んだ私は明日のヘッドライナーの曲だけ聴くことにした。彼の曲は全曲欠かさず聴いている。

おそらく一番新しく出た曲。ピアノベースの綺麗な旋律が私の体に染み渡るニコチンを輝く銀箔に変えてくれるかのような、とにかく癒し効果が絶大だった。しかしその曲が終わったら、公式プレイリストのシャッフル再生がハードなドリルを流してくる。今のテンションとは違う、ごめん。

でも明日だ。明日、とっても行きたい。行けるだろうか。
ぐぅと腹が鳴る。会場の爆音にかき消されていただけで、きっと今日何百回も鳴っている。
私は白くて細い自分の体を思い浮かべる。それは私にとって嫌悪の対象でもあり、目指された理想への過程でもあった。

ミキを思い浮かべる。あの男子と肩を並べ、メロがいい曲でキャーキャー言って、アーティストの方を見ずに彼の方ばっか見るミキを想像した。
私は舌打ちをする。
今日最も素直に、感情を表に出した。

私の中にあるのはミキへの、いや違う、ミキなどを包括したこの街、この地表全体を覆う空気の流れのようなものへの反骨心だった。
腹がぐぅと鳴る。また舌打ちをする。そして頭は反骨心に支配され、考える機能を放棄したらしい。

私は牛丼チェーンに入り、大盛りのキムチ牛丼を頼んだ。そしてがっつくように食べた。キャップを外していないことに途中で気付いて、邪魔くさいと乱暴に脱いだ。隣の席の椅子に雑に置いたら、床に落ちる。
落ちたキャップに刻まれたロゴ。元彼と行ったブランドのお店。必死に彼の趣味に合わせようとして、彼きっかけでヒップホップも聴き始めて、結果的に曲の趣味は全然被らなかった。
別れた。音楽性の違いが原因ではない、多分。
彼が異性観や性癖の話をちらつかせるたび、私は彼に怒るのではなく、自分のことを蔑んで泣き出すようになった。面倒だ、とは言わなかったけど、彼は怪訝な顔をしていた。

私は涙と肉汁とキムチ汁をミックスして、
自分の中の何かを必死にリミックスしようとしていた。

結果的に帰りの電車に乗る直前、引き返してトイレに駆け込み、先ほど腹の中に押し込んだ牛丼を全部吐き出した。消化も充分にされておらず、喉を通る物すべてが痛かった。便器の中にあるうんこみたいな色のゲロを見て、また泣いた。

〈POPに手を伸ばし続ける、HIPHOPが大好きな私という現象の話〉


※当該音楽イベントを批判・バッシングする意図では書かれていない。
※実際のイベント内容へ脚色を加えた。主人公に加え、彼女の周辺人物は架空のものである。


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