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水にお金を払うなんて…
水にお金を払うなんてもったいない。
水なんて家で飲めるし、どうせ飲み物を買うなら甘くて美味しいやつがいい。
お茶を買うのも意味がわからない。
子供の頃は心からそう思っていた。
水とお茶なんてジュースが無くなった時に仕方なく飲むもので、自分的には金を払う価値なんてなかったのだ。
しかし、いつからかわからないが飲み物を買う時はお茶と水しか選ばなくなった。
だいたい成人した辺りからだろうか。
いちいち飲むものに味がついていることに、はたりと嫌気がさした。
飲み物は喉を湿すものや、ちょっとした味を楽しむ娯楽という認識から、油っぽいものや食べたものの味をゆすぐためのものという認識へ切り替わったのだ。
さらに言えば甘いジュースを500ml飲むのが辛くなったという理由もある。
コンビニで飲み物を選ぶ時間をかけたくないから、手軽でどこにでも売っている水かお茶を選んでいるという部分もある。
だとしても水ならわざわざ買わず、家で水筒に詰めて持っていけばいいだろうと考えるだろう。
筆者もお金がなかった時代はそう思ったが、お金を得ることと引き換えに時間の無い社会人にとっては、水筒を洗ったり持ち歩くという手間を100円で買っていると考えればそう悪くない。
なるほど、だから大人たちは水やお茶をわざわざ買うのかと自分も大人になってやっと理解したのだ。
それと同時にいかに大人になることがつまらないものなのかも理解した。
ジュースを飲むと体調が悪くなるような体では、もう子供の頃の感覚を思い出すことはできない。
それでもたまに思い出したくなって、人工着色料たっぷりのケミカルなジュースを買っては飲みきれず後悔する。
この子供の頃の思い出を思い出したいという感覚だけは、忘れたくないのだ。
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