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インド最終日の長い1日

【海外写真放浪記】 INDIA 13ジャイサルメール ーイスタンブール

前回散々な目にあった僕の砂漠ツアーだが、その後に更に過酷な移動が待ち受けていた。

ツアーから戻ると、僕はデリーからトルコのイスタンブール行きのチケットを購入していたため電車のチケットを買いに駅舎へ向かっていた。

駅舎はデリーの駅に比べ簡素な建物で受付も分かり易かったので早速チケットをいつも通りアッパーシートで予約した所


Fullの一声。


日にちをズラしても一向にFullの一声しか発しない。むしろ調べもしてくれないのでイライラし始めたのだが、違う駅員さんが登場し、その理由を説明してくれた。


実は、この1週間インデペンデンスデイ(独立記念日)により大移動が起こるらしく、超満席だったのだ。


インドのイベント=大惨事。


全く手立ての無いまま数日が過ぎたある日、宿の親父からタッタカールはどうだ??と声を掛けられる。タッタカールとはキャンセル待ちの事の様でエマージェンシーシートとも言っていた。


あるなら駅舎で言ってくれ!と思いながら、もう一度駅舎へ行き、タッタカールの申請をしてギリギリまで待ってみる事になる。


航空券のチケットは格安航空券だった為、払い戻しが不可能だったので最悪タクシーで乗れる駅までも考えたが、奇跡的に飛行機の一日前の日が空いたのだ。


宿の親父と一緒に喜び笑顔でジャイサルメールを去ったのだが、ここから怒号の電車移動となる。


夜行列車で飛行機の当日朝にデリー着の予定だったので夜の飛行機には十分間に合う予定で、流石にナンボ遅れても24時間は掛からないだろうと考えていたが、そこはインド。期待を裏切らず24時間を軽くオーバーして27時間でデリー駅に到着する事になる。


乗り始めは始発だった為快適に外の空気を吸いながら景色を眺めていたのだが、2駅ー3駅と停まる毎に夥しい人が雪崩れ込んできた。


仕方なく日も暮れていないがアッパーシートへ移動して横になってみたのだが、気がつくと朝の山手線状態になってしまっていた。これで一番困るのがトイレだ。


食べ物はもしもの時の為にお菓子を買い込んでいて、水も1リットルと多めにしておいた。だがトイレだけは我慢できないので、4時間位我慢した後に意を決して人を押しのけトイレまで移動する事になる。


インドの列車のトイレはボットン便所方式で穴の下は走行中の砂利担っている。これはケータイ落としたりしたらもう取り戻せないだろう。そして夏フェスのトイレ以上に汚い。


なんとかトイレを済ませたのだが、ここで駅に到着してしまう。

そう

また人が雪崩れ込んでくるのだ。



自分のシートまでは完全に戻れない状態になってしまいどうにもできない事になった僕を見兼ねたジェントルインド人が3等の硬座(ただの木の板)シートに僕を座らせてくれ、大勢の人が降りた駅までの3時間ギュウギュウのシートで深夜耐え忍ぶ。


ようやく自分のシートへ戻るとそこにはバックパックが置いてあるのに、僕のシートなのにインド人が4人座っている。さすがインド裏切らない。


これを27時間耐え凌ぐのは本当に応えた。


インデペンデンスデイを知らなかった自分に責任があるのだが、インドへ渡航される際は十分イベントがあるか無いかを確認してから行動して頂きたい。



そうして休みもロクに取れぬまま空港へ行き訳も分からぬままゲートインしてイスタンブールへと到着することとなる。

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インドの旅を終えて一番印象に残っているのはやはりアイデンティティーの違いだろう。


日本は島国ゆえ見えない協調観念が多い。人口が10億人を超えるインドに日本のアイデンティティーなど微塵も通用しない事、むしろ必要ない事、勝手にやって来た日本人の僕がその違いのせいでイライラしブチギレる。


客観的に、そして冷静に見た僕のインド旅行はこの繰り返しだった気がする。


それと同時に見れて良かった事、体感できて良かった事が本当に多かったし、まだまだ見ていないインドがあるのでまた再訪できる日までにインドの見所を漁るとしよう。


ありがとうインド。


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次回は時系列で言うとAurora festival2011 RaveReportなのですが、旅の話ではないため旅ブログの方は【海外写真放浪記】 Turky 1 へお願いします。


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