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ダラムサラーとダライ・ラマ14世

【海外写真放浪記】 INDIA 5 ダラムサラー 

インド北部、エベレスト連峰の海抜が上がり始める山岳地帯の山肌にダラムサラーの街は有る。このインドの中でも取り分けて何もない小さな街を世界的に有名にしているのがダライ・ラマ14世だ。(※写真はダライ・ラマ14世ではない)


チベット仏教の生き仏にして最高指導者、そして法王でもある。このダライ・ラマ14世が何故インドの田舎町に居るのか?その答えが僕をインドに呼び寄せた理由の一つでもあった。


これに関しては間違いのない様にお伝えしたいので調べながらこの文章を書いているのだが、もし間違ってお伝えしている事があれば初めに謝罪しておきたい。何せ宗教問題、領土問題、民族問題が深く入り混じっているため要約したいのだけれど上手くまとまらないし、僕の学の無さも合間って誤認して伝えてしまうかもしれないからだ。


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山の斜面に街が形成されている


元々ダライ・ラマ14世は20歳までチベットのラサにあるポタラ宮殿で過ごしていたが、1950年中華人民共和国が侵攻し強制的に併合されてしまう。

59年にラサで起きた中国に対する大規模なデモの時にヒマラヤの密林を抜けてインドに亡命しチベット亡命政府を樹立する。


略歴を言うとこう言う事なのだが、この強制併合の中身が酷すぎる上に今現在でも進行中の問題なのだ。

一部言うと弾圧や改宗の強要、漢民族との強制結婚や言語の中国語化など今正に行われているし、東トルキスタン(ウイグル自治区)や最近ではブータン国境付近までその力は及んできていると聞く。


ダライ・ラマ14世は非暴力、平和的な対話での解決をずっと叫んできている。その活動が評価され、89年にノーベル平和賞を受賞する。


そんな中、北京オリンピックのあった2008年ラサでまた大規模な暴動が起こり僧侶が焼身自殺を測ると、国際社会からの中国に対しての避難が集中する事になる。


このダライ・ラマを信仰するチッベット人たちは今も耐えながら対話と言う平和的な戦いを今も続けているのだ。


非暴力


簡単な事ではない。戦争をしない戦い方は人類史上初なのではないだろうか。中国の勢いが強くなって来た昨今Freetibetと言う言葉は忘れ去られてしまったが覚えておいて欲しい。彼らの戦いは終わっていない事を。


このダライ・ラマ14世が尊敬され慕われるのには訳があって、この『ダライ・ラマ』と言うのが世襲制ではない点にある。


今までにダメなダライ・ラマも数多く居たのだ。


ダライ・ラマ制度は前ダライ・ラマが予言の様な感じである地方を指し、その中から選ばれた子供が15歳になるまで法王になるための勉強をし襲名すると聞いたのだが、生まれ持った性格や尊さは幾ら勉強しても身につくものじゃない。


激動の中亡命し、非暴力を訴え、今も民族の為に奔走しているダライ・ラマ14世。実は東日本大震災の際来日してお経を唱えてくれているのをモニターで拝見したことがある。その彼の説法を受けられるのがここダラムサラーなのだ。


僕は2011年の、あの時のお礼が一番言いたかったのかもしれない。



なんだか上手くまとめられなくて不甲斐ないが僕のダライ・ラマへ対する思いが伝わってくれたら嬉しい。


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ダラムサラーには多くのチベット難民が暮らしているが、殆どを寺院で過ごしている。街中にはどちらかと言うとシーク教のインド人が多いイメージだった。


標高が1700メートルある為朝晩は冷える上にすぐに雲の中に入ってしまい、湿度100%がずっと続いていて洗濯物が一つも乾かず生乾きの匂いがダラムサラーの匂いとして記憶に残っている。


そんな街で1週間、信仰とは何かを考える事になる。

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次回 india 6




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