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続けることの難しさと捨てるべき思考

こんばんは。21日目の更新です。
と、言いたいところですが昨日更新してません。
しっかり寝落ちしたので20日連続で一旦途切れ、本日からまた再開します。

これとは別にいま、自分のメディアサイトを作ろうと水面下で動いております。それ以降はそちらにシフトするかもですがまた書いていきます。

今回は、(たかが)20日ですが毎日このnoteを書き続けたことで感じた事を2つだけまとめてみます。

①毎日続けることで自分の習慣にすることは勿論、誰かの日常になる
②毎日書くことの継続性もだが発信する内容の濃度が大切

この2点ですね。
1つめの習慣と日常という話ですが、これは「ブランディング」もしくは「ポジショニング」という表現の意味合いが近いかもしれません。

どういうことかというと私は20日間毎日noteを書きました。
自分なりにインプットしたことや日々感じていることをこのサービスを通じて発信している訳ですが、自分がそれを発信するという作業はただの習慣であり自分自身の意志でどうにでもなることです。

どんなに大変で忙しくても自分が文章を書いて発信すれば「習慣」としてはキープできます。

一方で、毎日自分が発信する情報を見ることを友人のSさんが習慣にするとします。でも、それは毎日私が作業(習慣)を継続し続けない限り物理的に不可能な習慣ですよね。

でもこれが実現していることが素晴らしいことで、自分の自己満足な情報発信を毎日誰かが習慣にしてくれるということは、自分自身が第三者の「日常」に入り込めるということになります。

だとすると、これが情報発信を行う上での醍醐味であると同時に意味というものが生まれると思う。
だからより多くの人の日常になるためには「良質な情報」=「濃度の高い情報」を発信し続けないといけない。

それが2つめの気付きです。
日常になるためには読んでくれる人が次の更新もまた読もう!と思ってくれることが大前提なのだから、書いている情報の内容もそうだが情報を書いている「私」という著者ベースで考えてもらわないといけない。

この人の考えや文章がスキ!と思ってもらえないことには絶対にリピートされない。だからこそ文章の内容が薄くてはいけないので、そこに毎日書かないと!という作業優先であってはいけないということもわかった。

文章内容なのか、著者なのか、どっちが大切なんだよと思うかもしれませんが両方です。書く内容が面白くて初めて著者を見てもらえる。著者としてみてもらえるようになったら内容が良質であり続けることが重要。

本質はシンプルだがめちゃくちゃ難しい。でもこれが出来て初めて誰かの日常になれる。そんなnote(情報発信)を今後はかけるようにしていきます。


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