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中高年になった時に後悔しない人生論

20代で汗を流さなければ、
40代で涙を流す。

30代で知恵を出さなければ、
50代で部下がいなくなる。

40代で人脈がなければ、
60代で仕事がなくなる。

50代で人望がなければ、
70代で孤独になる。

60代で希望がなければ、
80代で後悔する。

70代で夢があれば、
90代で歴史に残る。

米津等史さんの
「人の一生」からです。

どんな仕事をしていても
いかなる人生を歩んでいても、
長~い目で見ないと
見えてこないものってありますね。

焦らず、見ようと意識し続けていれば
いつか見えてくるものではありますが、
見えたのが遅いと自分が損します。

キャリアや人生において
時間軸の発想は「超」重要です。

「今だけ」ではなく、
いかに「今」を「未来」に繋げていくか?

中長期的な視点って大事ですね。

過去があるから今があり、
今はすべて未来に繋がっていきます。

私たちは望む望まないに関わらず、
この時間軸の中で生きているのですから
過去、現在、未来という「流れ」を
常に意識しておくのがいいですね。

つとめても なおつとめても つとめても
つとめたらぬは つとめなりけり。

こちらは新渡戸稲造の言葉です。

終わりなんてないさ。
終わらせることはできるけど。

そんなふうに私は受け止めました。
それは、誰のため、何のため?

自分のことばかり考えていいのは
20代、ギリギリ30代前半くらいまでじゃないですか。

だって30代半ば以降なら
自分のためと思えば
むしろ、必然的に人のため、社会のために
活動しなければならないことに気づきますよね。

50才も近くなって
自分、自分、と自分勝手なことを言ってる人もいますが
確実に、さみしい老後を過ごすことでしょう。

いや、最近気づいたのは
こういう中高年はメンタルが壊れかけてます。

本当は自分が間違っていることに
うすうす気づいているのに
それを認めたら自分を否定することになるので
どうしても認められない。

そんなんだから何もかもが上手く行かない。
辛い人生のスパイラルにハマりこんでますね。

やはり人間というものは
身体の成長とともに
心の成長、
そしてもっと大事な「考え方」も
合わせて成長させねばならないのだなと痛感します。

話しを戻しまして…
この場合の「つとめ」ですが
仕事の「勤め」とも取れますし、
義務や責務という「務め」にも受け取れますし、
「勉め」でも「努め」でも当てはまりそうです。

あえて平仮名で書いたというのは
そのあたりの意味の複合化を狙ったのかもしれませんね。

ここで私、思うのですが…
自分のレゾンデートルが見えてくれば
「つとめ」の価値が大きくなるということです。

「つとめ」というものは
誰がやっても「つとめ」なわけです。

そのごく一般的な「つとめ」に対して
価値を上乗せするのが自分ですよね。

自分が「つとめ」たから
「つとめ」の価値が向上しましたというのが
本来的な意義なのだろうなと思います。

つまり「つとめ」を考えるのではなく
自分のレゾンデートルを考えましょう。

ここがポイントです。
自分を活かすってこういうことです。

これが世のため人のために繋がり、
自分の価値を相対的に押し上げてくれるので
自分に跳ね返ってくるのですね。

今だけカネだけ自分だけ。
こういう人はあっという間に全てを失います。

表層的、近視眼的な自分を抜け出して、
世のため人のためになれる自分にならないと
50才とか、60才になっても
オレが正しい!と
妄信する恥ずかしい人に落ちぶれますよ。

そういう人はたくさんいますけど、
何も手にしていないから
益々オレが、オレが、となってしまい
余計に何も手に入れられない人になりますね。

自分をパブリックな人間にして、
中長期的な視点でモノを考えられる人にすれば
必ず、必ず、自分に返ってくるんです。

人類はそうして生き延びてきたのですから。


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