ジョニーへの伝言
いじめは無かった、とあの生徒は言ったそうですが。
学年主任は、わざわざ作った苦い表情を隠さずに言った。
全部何もかも私はわかっててそれをお知らせしてるだけです、と言う口調で。
ジョニーはだから、相槌も打たずに次の言葉を待ったのだそうだ。
下手に口を挟めば長くなる。
それに、何を言われるのかは、もう分かっている。
何度も言われてきた。何度も、何度も何度も。
多分、いや間違いなく、学年主任はこう言うはずだとジョニーにはわかる。
完璧に覚えましたよ、とジョニーは言った。
先生の経歴は素晴らしいと思います。大学を出てから色々な職業を経て見聞を広め、それを教育の現場に活かそうと試みられている姿勢も、我々学校と言う世界しか知らない職員こそ学ぶべきものだと常々思っているのですよ。ただ、それが生むデメリットと言うのもあるのではないでしょうか。生徒にニックネームでご自分を呼ばせていると言うのもそのひとつ。教員と生徒と言うものの間には、綺麗事ではなくて距離感というものもまた必要なのではないでしょうか。それがなくなった時、どうなるか分かりますか先生?学級が緩むんです。緩んだらどうなるか分かりますか先生?
「その緩みこそがね、いじめを生むんですよ。」
多分話に出てきた学年主任の癖なのだろう、
語尾をはね上げる甲高い口調を真似て言うと、ジョニーはうんざりとした手付きでロックグラスを握る。
グラスのウイスキーは、バッティング・モルト。
単一の蒸留所の原酒で作られたのがいわゆる「シングル・モルト」
それを数種類合わせたものが「バッティング・モルト」と呼ばれる。
ブレンデッドウイスキーの一種であるバッティング・モルトとは、それ自体完成したものをあえて合わせて作られる。
良い風に言えば、個性をぶつけ合う。
意地悪な言い方をすれば、余計なことをする。
「余計なものが混じってる、純粋な教師じゃないってね。建築現場に飲食店、教員になる前のオレの経歴が結局は気に入らないんすよ、主任は。それに、いじめがあったと頭から決め付けてる。何にも知らないくせに。」
膿んだ空気をどうにかしようと、今日のライブには間に合ったんですか、と僕は聞いてみる。
六時半からのはずだったライブは、まだやってる時間だ。
ジョニーは間に合わなくて、または別の理由でライブには行かずにそのまま店に来たのだろう。
ならジョニーのアマチュアバンドには、今ギターがいないことになる。
「元々ね、今日辺り学年主任に何か言われそうな気はしてたんですよ。生徒にはライブの自慢してたから多分日にちも知ってるだろうし。だから保険で知り合いに頼んでたんです。遅れたら代わりにやっててくれって。だからバンドは大丈夫なんです。何回も代役頼んでるし、なんならアイツの方がギター全然上手いし。」
空気を変えるつもりだった合いの手は、話を別方向の暗闇に転がした。
ジョニーが僕の仕事場のバーに始めて来たのは半年前。
近くにある、生ライブをやるバーからの紹介だった。
素人でも趣味でも、そこそこ腕があれば飛び込みで演奏をさせてくれるその店での通称が何故かジョニー。
どこからどう見ても、完全に日本人にしか見えないジョニーの本名は誰も知らない。
本人も何も言わないから、気に入ってはいるようだ。
だからジョニーはうちの店でもジョニー。
ただ、それを職場の学校にまで持ち込むのは、嫌味な学年主任じゃなくても、ちょっとどうかと僕も思ってしまう。
それがジョニーだ。
「モンキーショルダー、お代わりください。」
この変わった名前のウイスキーは、最近のジョニーのお気に入りだ。
ウイスキー作りの地道な重労働に付き物の、肩の痛みの呼び名が「モンキーショルダー」
だからボトルには肩を丸めた三匹の猿が描かれている。
示唆的なチョイスだと言えなくもない、と思うのは僕の勝手な深読みだろう。
別に、何だっていいのだ。
「でもね、正直に言えばあの子はね。いじめられてるんですよ。恐らく。」
中学校の教師でもあるジョニーは、最近その生徒の話ばかりする。
そして、その話をし出した頃から酒量が一気に増えた。
分かりやすく思い悩んでいるのがわかる。
ただ、僕に出来ることは話を聞くだけだ。
よく誤解されるんだけど、アドバイスも相談も、バーテンダーの仕事の範疇じゃない。
それを求められない限りは。
「本人が認めないからなかなか手が出せないんです。最終的にそれがないと、僕らのやれることは極端に限られてしまう。」
いかにも悔しくて仕方ないと言う風に、ジョニーはロックグラスを握り締める。
それも、もう見慣れた光景ではある。
ジョニーが今夜ライブに出るはずだった会場は、五十人くらいは客の入る、この辺ではなかなかのライブバーだ。
そこそこ近辺で名が売れれば出れないことはない、ただ店に選ばれたバンドだけが、店の看板の下にある小さな黒板にのバンド名を書いて告知して貰える。それは、その店の名物にもなっていて「テスト」と呼ばれていた。
ジョニーが今回はスゴく調子がいいと言うので、僕は「テスト」の結果を見ようと、出勤のルートをわざわざ変えて、数時間前その前を通ってみた。
ジョニーのバンドの名前は、黒板にあった。
「ちゃんと話してくれれば、出来ることはまだあるのに。」
ジョニーはまた、ウイスキーを二口で飲み干す。
通常ウイスキーのワンショット、一杯分とは30cc。
つまり大さじ二杯。
氷が詰まっているグラスだと、それなりな量に見えるけど実はほんのひとくち。
うちの店は店長の指導でその三倍、90ccはワンショットで入れるように言われている。
いい加減な僕のハンドメジャーだから、グラスには多分それよりも多く入ってる。
それを二口で飲む。
このところ毎回。
一度だけ、バンドの打ち上げでジョニーは仲間と店へ来たことがある。
バンドの飲み会というものもに対する、僕の完全な偏見を裏切って、ジョニーのバンドは淡々と穏やかに酒を飲んだ。
演奏がどうだったのかは知らないし、ファンなんて一人も参加していないささやかな打ち上げだったけど、それはとても暖かく幸せな光景に見えたんだ。
「も、一杯だけ。最後ちょっと多めに入れて下さいよ。」
ジョニーがまた、二口で飲み干したグラスを僕の方にガタガタと付き出した。
よっぽどの事でもない限り、うちの店ではお客のオーダーを断ったりはしない。
それは、カウンターに座れなくなったり眠り込んだりすることで、その基準で言えばジョニーはまだ「よっぽどの事」にはなっていない。
さっきと全くおなじ量を入れたウイスキーを、僕がステアして混ぜ終わるのを待ちきれないように、ジョニーは指を伸ばしてグラスを迎えた。
澱んで下がった瞼の奥で、酔いに染まった目は僕を見ていない。
どこも見ていない。
ライブバーの「テスト」の黒板には、バンド名の下に当日の出演者の名前を書くスペースがある。
ライブの数時間前、メンバー自身が書いておくはずの場所にはジョニーの名前が無かった。
「バンドにも迷惑かけちゃって。いくら上手い奴が入ったからってまとまりとかあるでしょ、長年一緒にやってるんだし。アイツちゃんと演奏出来てるんかな。」
ジョニーは間に合わなかったのじゃないかも知れない。
会場の前で「テスト」の結果を見たのかも知れない。
バンド名の下に書かれた、いや書かれなかったバンドからの伝言も。
ぶつぶつと何かを言いながら、ジョニーは最後のグラスには、まだ口をつけない。
僕は、カウンターにまっすぐ立ってただそれを見ている。
アドバイスも相談も、求められない限りはバーテンダーの仕事の範疇に無い。
だから、まだ僕に言えることは何もない。
余計な事はやめようと、繰り返し僕は自分に向かって言う。
「学校もバンドも、どうすりゃいいかわかんねえよ。」
俯いたままの椅子から崩れ落ちそうなジョニーを見ながら、果たしてこれはオーダーだろうかと、僕は口を開く前に少しだけ悩んだ。
「どうすりゃいいんだよ。」
もう一度だけ言ってカウンターに突っ伏したジョニーを見て、僕は開きかけていた口を、今度は迷わずに閉じた。
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